決意の話

冒険者と悪夢

 真っ黒い影がラフィエを囲んでいる。人も背景もぼやけていて誰なのかどこなのかラフィエにはわからなかった。


 ──ラフィエ、今までお前ががんばってきたのはわかるんだ。


 懐かしい声。声が聞けるのは喜ばしいことのはずなのに、その言葉はラフィエの心を抉った。


 ──でももうあたしらもカットルビーだから、さ。


 待って。置いてかないで。

 叫ぼうとしても、声が出ない。手を伸ばそうとしても、届かない。


 ──本当はこんな別れはしたくなかったんだ。悪いんだけど……


 必死に呼び止めようとする。だが影は背を向けて光の中に消えていく。


「──待って! 待ってみんな!」


 バッと起き上がるとベッドの上で壁に向かって手を伸ばしていた。


 全身に大量の汗を流している。呼吸もひどく乱れていて心臓の鼓動が強く胸を叩いていた。


「……ハァ……ハァ……」


 額の汗を拭う。

 ゆっくりと、先程の現実離れした光景が夢であったのだと、受け入れる。

 両手で自分の体をかばうようにして、うずくまる。

 目から涙がこぼれ出した。


「……夢。夢だから、大丈夫」


 呼吸を整える。

 時間をかけて自分の精神状態をなんとか元に戻していく。


 夢だ。もうあんな想いをすることはない。

 今は大丈夫。


 何度も何度も自分に言い聞かせる。


 それから自嘲した。


「未練がましいなぁ、私」


 本当は仕事の準備をしなければならなかったが、とてもそんな精神状態ではなかった。


 脱力して、ベッドに体を投げ出す。


「お昼までに行ければいいよね」


 ぼうっと天井を眺めながらラフィエは呟いた。




  ○●○●




「ごめんなさい! 待たせちゃって!」


 約束をしていた時間から大幅に遅れて酒場ロゼアにやってくると、ソロ冒険者のレニーは無表情のまま、まずこちらに目を向けた。


 走ってきて汗だくのラフィエは、両膝に手を置いて、呼吸を整える。


「大丈夫。とりあえず座りな? すいません、フルーツジュースひとつ」


 レニーはまるで、ラフィエが時間通りにやってきたかのような態度だった。何かを気にした気配もなく、座るよう促してくれた。責めるような視線の鋭さもなく、態度も柔らかだ。


 というかくつろいでいる。


「本当ごめんなさい!」


 それでも、ラフィエは申し訳なさで胸がいっぱいだった。約束したのは自分なのに待たせるなんて最悪だ。

 ビクビクしながらもレニーの向かい側に座る。


 フルーツジュースが運ばれてくるとレニーはラフィエを手で指し示し、店員にラフィエの前に置くよう促した。


「水分取ったほうがいいよ」

「あ、ありがとう。そ、その……怒ってないの?」

「悪意もないし、ちゃんと謝ってくれたし、特に急ぎの用でもないからね」


 背伸びをしながら答えられる。

 安堵のあまりつい息が漏れた。


「ちなみに寝坊かい?」


 少しからかうように笑みを浮かべてレニーが聞く。

 ラフィエは恥ずかしさで顔を赤くした。


「二度寝してしまって……」

「気持ちいいよね二度寝。オレも休みにした日はそうする」


 頬杖をついて、のんびり話すレニー。


「寝付き悪かったのかな。悪夢でも見た?」


 いきなり当てられてドキリとする。


「そ、そうです」


 自分でも声が震えるのがわかった。レニーは目を細めて、それから口を開く。


「なら思い出さない方がいいね。後味が悪くてもすぐ内容を忘れられるのが悪夢のいいところだから」


 悪夢のいいところなんて話す人を初めて見た。


「レニーさんはその、悪夢って見るの?」

「見るよ」


 にべもなく答える。


「ちなみにどんな夢とか覚えてる?」

「覚えてる」

「忘れられるとは……」


 さっきはすぐに忘れられるのがいいところといったくせに自分は覚えているみたいだった。


「何度も繰り返し見てればねぇ」


 特段、そのことを悩んでいないようで、レニーは当然のように話す。


「どんな夢なの」

「真っ黒い泉に引き摺りこまれて溺れる夢」


 それはつまり、死ぬ夢だろうか。自分だったら気が滅入りそうだ。


「もちろん毎日じゃないし、たまーにだけどね」

「毎日はいやだね」

「飽きるね」


 悪夢に飽きるなんて言葉、初めて聞いた。


「それで依頼手伝ってほしいんだよね」


 頷く。

 トパーズ級の依頼を手伝ってもらおうとレニーにお願いしたのだ。


 よく一緒になるパーティーはカットパールの冒険者たちなのでトパーズ級の依頼は受けられない。そういったときにレニーに手伝ってもらっていた。


 初めてここに来たときの良くしてもらった冒険者だったからだ。過去に長年一緒だったパーティーを抜けなければならなくなったことがあったラフィエは、パーティーに加わるということが軽いトラウマになっていた。中衛という自分の役割をこなすためにも誰かと組んでいる必要はある。従ってトパーズ級の依頼はレニーと、それ未満はパール級のパーティーとしかやっていない。


 それがラフィエにとっていくらか安心できるギリギリのラインであったからだ。


「依頼、今日じゃないとダメかい?」

「え。なんで」

「顔色悪いし、休んだほうがいいかなって。明日でもいいなら明日予定空けとくけど」

「だ、大丈夫! 私行けるから!」


 朝の夢がちらついて思わず大声で言ってしまう。

 はっと我にかえるとレニーがキョトンとした顔でこちらを見ていた。


「……ごめんなさい。でも本当大丈夫だから」


 レニーは少し沈黙した後、指を鳴らした。


「明日は空いてる?」

「……うん」

「じゃあ、今日はオレの依頼に付き合ってもらおう。明日改めてラフィエさんの方の依頼を消化する……ってのはどうだい?」

「それはありがたいけど、その、レニーさんの依頼って」


 レニーは両手を広げてから掴んでもぎ取るような動作をして、言い放った。


「キノコ狩り」

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