冒険者と緊急事態
その日、レニーはリブの森林で依頼をこなしていた。支援課の業務である定期的な現地調査も兼ねて、エレノーラから依頼されたキノコや薬草を、スケッチと照らし合わせながら採集していた。
「暗くなってきたかな」
森の薄暗さが増してきたところで、レニーは額の汗を拭う。
リブの森林には二時間ほど居続けている。戻る時間も考えると潮時だった。
レニーはスケッチをマジックサックに入れ、出口へ向かおうとする。
――が、足を止めた。
何かが、迫ってくる。
レニーはカットラスに手をかけつつ、迫ってくる音に耳を澄ませる。
やがて木々の奥から人影が三つ見えた。警戒を続けながら、レニーはゆっくり歩み寄る。
「あれ、この間の三人じゃん」
レニーは警戒を解き、手を振る。
「助けてっ!」
魔法使いの悲痛な叫びが森に木霊する。ただ事ではないとすぐに察した。レニーは急いで駆け寄る。
三人は走ってこちらに向かってきたが、レニーが来るとわかったらしく足を止めた。誰もが汗を大量に流し、切羽詰まった顔でこちらを見る。
「試験官! 助けてくれ、おっちゃんが、おっちゃんが」
戦士が叫ぶが要領を得ず、理解ができない。レニーは戦士の肩に手を置いた。
「落ち着け。一回深呼吸して息を整えろ」
戦士が深呼吸を終えるまで待つ。その間にレニーは三人に怪我無いかを確認した。とりあえず大丈夫そうだった。
「緊急か、そうじゃないか、まず答えろ」
「緊急! 魔物が出たんだ!」
「よし良い子だ。今追われてるの?」
戦士がぶんぶんと首を振る。
「パールの先輩が囮になってくれたんだ。僕らだけ逃げて、ルビーの冒険者を呼んできてほしいって」
「なぁ試験官、助けてくれよ!」
ルビーの冒険者を呼んでこい、その言葉が正しければ、洒落にならない事態になっていそうだった。
「……どんな魔物だ、色は」
「赤だよ」
「特徴が似てる魔物を言うんだ。いいかい、形がわかればいい。本当に似てるとか考えるなよ」
「大きいゴブリン・ソルジャーよ」
魔法使いの言葉に、レニーは戦慄が走った。
「……オーケー」
レニーは肩のベルトを外すと、マジックサックとカットラスを背中から落とした。鞘からカットラスを抜く。周りを警戒しながら、静かに告げた。
「手短かに言う。助からない」
「そんなっ、だっておっちゃんは俺たちの面倒見てくれたんだ。凄く良い人で……アイツから逃げるときも、真っ先に囮になってくれたんだ」
戦士の訴えは実に切実だった。その言葉から、顔も知らぬ冒険者をどれほど好いていたかわかる。
「どうにかならないのかよ」
悲愴にまみれた三人の表情に、レニーは考え込んだ。数秒、迷った。
「……正直に言おう。オレじゃその魔物を倒せない」
三人に絶望の色が上塗りされる。
「生きてるなら逃がせる、が。可能性はないに等しい」
トパーズで対応できない魔物をパールが相手取れるわけがない。レニーが今、ベルトを外し、カットラスを抜き身にしたのは万が一に備えてでしかない。
レニーとしてはこのまま三人と逃げたほうが安全だ。ただ、それはレニーとこの三人だけの話であって、この森で他に、依頼を受けている冒険者いるのなら、危険なのは間違いない。
「戦士くん」
自分でも驚くほど低い声で、戦士を呼んだ。
「奇跡に命賭けれる?」
拳を握りしめながら、レニーは聞く。戦士は意を決したような、引き締まった顔つきになった。
「当たり前だろ!」
よほどそのパールの冒険者を助けたいのだろう。足を震わせながらも、力強く戦士は頷いてみせた。今は正直、駆け出し故の蛮勇でしかない。
ただレニーはその姿を眩しく感じたし、大切にしてほしいと思った。
「戦士くん、名前は」
「ライ」
「荷物を捨てろ」
「え?」
困惑するライの目の前でレニーは屈み、背中を見せる。
「オレがキミを背負う。軽いほうが良い。キミのやることは一つだけ、道案内だ」
「……わかった」
ライは戸惑いながらも、持ってるものを全て投げ出して、レニーの背中にしがみついた。
「よし、オレはキミの体を支えたりしないからな。冒険者なら振り落とされるなよ」
立ち上がる。肩に命の重みがずっしりと伝わってきた。
続いて、射手と魔法使いに視線を移す。
「キミらはオレらの荷物を持って予定通りルビー以上の冒険者を呼びに行くんだ、いいね」
二人が強く頷くのを確認し、姿勢を低めた。
「じゃ、行くぞライ。覚悟しろ」
「おうっ!」
シャドーステップの魔法を自分にかける。加速の効果をのせて森を駆けだした。
「真っすぐで平気?」
「右に進んだ方が近いかも」
「了解」
陽が、沈んでいく。
間に合え。柄にもなく、そう思った。
○●○●
さほど時間をかけず、そこにはたどり着いた。
道案内の先に、男がいた。
木を背にして、革鎧が原型を残さないくらいズタズタに引き裂かれ、血に濡れている。破壊された盾と剣が大地に転がっていた。
「おっちゃん!」
レニーの背を飛び降りて、ライが男の方へ向かうとする。それを肩を掴んで止めた。
「何すんだよ!」
「諦めろ」
「諦めろって、なんで!」
レニーはライの首根っこを掴むと、後ろの木に叩きつける。ライが嗚咽を漏らしながら両手を地につけた。
「……何で連れてきた」
血を吐き出しながら男が聞いてくる。
意識はかろうじてあるようだった。
「助けに来たんだけど」
レニーは鼻で笑う。
「奇跡なんて、信じるもんじゃないよな」
一歩踏み出す。
「来るな……!」
かすれた声で男は叫ぶ。
「俺はもうダメだ、逃げろ」
「大丈夫さ、もう手遅れだ。オレもアナタと同じさ」
一歩、一歩、と着実に男に近づく。
「アナタ、名前は」
「ユーグリス」
ボロボロで顔がまともに見えなくても、レニーはその顔を脳裏に焼き付けた。三人の命を救った英雄。その名前を記憶に刻み込む。
「ユーグリス。あの世行きになったら一杯おごってくれ」
レニーはカットラスを上に構えた。
同時に赤い何かが降ってきた。
上からの強い衝撃に、後ろへ弾き飛ばされる。それでも数歩で踏みとどまり、カットラスを構えなおした。
そして見て、知った。
相手が予想通りだった事実と、レニーには対応できない相手である、その絶望感。
それがレニーの胸中を支配し、恐怖の念が沸き上がる。だが、レニーは口角を上げた。
――冒険者は死線を好む。
レニーの本能が、刻み込まれたスキル群が、闘争を求めて興奮作用を促す。
「さて、キミはオレを殺せるかな」
完全な強がりだったが、それでも不敵に、レニーの眼光は相手を真っすぐ射抜いた。
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