冒険者と白い天井

 レニーが目覚めると白い天井があった。


「……知らない天井だ」


 左右を見る。

 ベッドの上で、どうやら仕切りで区切られた部屋らしい。レニーがサティナスに来てから見てない光景ではあるが、心当たりはあった。


「医務室、か。ギルドの中だな」


 体を起こそうと力を入れる。

 瞬間、全身に電撃が走ったように激しい痛みが巡ってきた。

 レニーは無言で倒れ込む。


「……二度寝しよ」


 呟いたところ、仕切りの一部が開けられた。遮光性の高い布なので捲ればいい。


「レニー、くん?」


 震えた声が名を呼ぶ。

 フリジットだった。瞳を潤ませて、不安げにこちらを見ている。


「やぁ。キミが運んでくれた感じかい」

「良かった」


 口元を抑えて、フリジットはその場に座り込んだ。


「護衛バチ倒した後、レニーくん、気絶しちゃって……お医者さんは大丈夫って言ってたけど、心配で」

「……ごめん。平気だよ」


 フリジットが顔を寄せる。


「回復魔法かけてもらったけど、体は何ともない?」

「んー強化痛だけじゃないかな。攻撃受けた覚えないし」


 強化痛。


 魔力が枯渇するほどスキルを使い込むと、筋肉痛のような症状が出る。


 スキルツリーが伸びる前兆として喜ばれるものだが、痛みは全身に強く現れる為、強化痛が出た人間は基本的に一日は休むことになる。


 もっとも、この強化痛が起こらなくともスキルツリーは強化されていくし、戦闘を行う人間以外でこの強化痛が現れることはほとんどない。スキルを余すことなく使い、スキルツリー全体が強化されることでこの強化痛が起こるのだ。


 トパーズが相手をするには多すぎる数のハチを相手にした結果の、痛みだった。回復魔法では治らない。


「ははっ、あんな数のムネアカメガバチ倒したの?」

「ほぼ、かな」

「女王バチと護衛バチ以外?」

「そうだね」

「ジェックスは、その……」

「倒せたのは五、六匹くらいかな。で、持ちこたえられずに死んだ」


 レニーは嘘をついた。


 自分が意図的に、間接的に、殺したことを隠した。元から殺すつもりだったことも、胸にしまい込む。それを伝えれば、フリジットがどう思うかわからないからだ。


 嫌われたくない、わけではない。傷つかせたくない、のほうが正しかった。


「聞いたよ、ジェックスのパーティーメンバーから。腹蜜をレニーくんにかけて、罠にハメたって。その後、自分の手に蜜がついてたのに気付かなくて、メスのハチに巣の奥地まで連れ戻されたんだって?」


 事実と全く異なる話に、レニーは一瞬理解が追いつかなった。しかし、話を訂正しようとは思わなかった。きっと何かを察したパーティーメンバーが嘘をついたのだろう。


「……彼、そんなバカだったの?」


 だから、せっかくの嘘にのっかることにした。


「てっきりオレの死にざまを見ようとして逃げ遅れたのかと……いや、どっちにしろアレか」

「だね。死んでほしいとまでは思ってなかったけど、これで付きまとわれずに済むかな」


 フリジットも元は冒険者だ。他人の死に思うところがないわけではないだろうが、事故で、しかも自業自得で死んだのならあまり気にしないだろう。


「結果良ければ全て良しってやつだね」

「全然良くない。だってレニーくん裏切られて死にかけたんだよ? なんで平気そうなの」


 そうなるように仕向けた、とは口が裂けても言えなかった。


「言ったでしょ、確認したいことがあるって。ジェックスがキミを諦めたのか、ターゲットを変えたか確認したかったんだ」

「ターゲットって。レニーくんに?」

「そ。だってオレがいなくなれば彼氏の存在は消滅するわけでしょ? だから何かしら仕掛けてくるんじゃないかなって、予想はしてたんだ」

「……そんなので好きになるわけないじゃん」

「話の通じないやつってのはそんなもんさ、災難だったね」

「……ごめんね、私のせいだ」


 俯いて、フリジットは拳を握りしめる。


「キミが冒険者の時、依頼主を責めたことはあったかい?」

「ない、けど」

「なら同じさ。オレはジェックスがいなくなって清々したね」


 遅かれ早かれ騒ぎは起きていただろう。関係の軋轢は大きなトラブルを生む。ロゼアは良いギルドだ。もっと良い冒険者がやってくるだろう。その時に厄介な冒険者がいては困るのだ。


 話がこじれにこじれる前にこうして決着をつけられたのは、レニーにとっては喜ばしいことだった。


「オレが余計に討伐した分のハチなんだけどさ、素材って換金される?」

「時間はかかるだろうけど、かなりの額になると思うよ」

「まるまる、ジェックスのパーティーメンバーに払っといてくれる? 彼らがやり直せるだけの資金にはなるだろうから」

「いいの?」

「オレはキミからの報酬があるしね。彼らの損失は大きい。リーダー死んだし」

「……優しいんだね」


 レニーは心の中で否定した。

 ジェックスを殺した、そのけじめでしかない。


「ここの医療費は?」

「検査代とこの部屋代くらいだろうからあんまり取られないと思う、けど。私が払うし、気にしないで」

「なら依頼報酬から引いといてくれ。キミに責務ないし」

「……わかった」


 何か言いたげなフリジットだったが、結局レニーの希望通りにすることにしたらしい。渋々頷いてくれた。


「ここにしばらくいるなら、イスでも持ってきたら?」

「ううん、ギルマスに報告するから、すぐ行くよ」


 フリジットは立ち上がる。


「ねえ、ひとつ聞いてもいいかな」

「なんだい」

「なんで依頼受けてくれたの?」

「……理由って必要かい」

「できれば」


 すがるような視線を受けて、レニーは考え込む。フリジットとの記憶を辿りながら、自分のそのときの感情を静かに思い出す。


「……依頼だから受けたとしか。断る理由もないし」

「本当に理由ないの?」

「……ない」


 依頼なんてものは直感で選んで受けて、達成する。そのときの気分でしかない。やりたくないと思えばやらないし、やってもいいと思えたのならやる。ただ、それだけだ。


 ジェックスを殺したのも、依頼を達成するのにはそれが良いと判断しただけで、特別憎悪があったわけでもない。


「そういえば恋人のフリはもうしなくていいのかい?」

「……そう、だね。ちょっと寂しいけど。でも、支援課は手伝ってもらうからね」

「構わないよ。いくらでも」


 レニーが承諾するとフリジットは軽く笑った。


「よろしくね。じゃ、また」

「うん、また」


 フリジットが部屋から出ていき、静寂が訪れる。


 しばらくフリジットの心は傷ついたままかもしれない。自分のせいで他人を死なせたし、死にかけに追いやった、そう考えるだろう。あからさまに元気がなかったし、引き摺っても不思議ではない。

 ただ、依頼としてはこれで終わりだ。フリジットにいつまでも付き添う必要はない。


 偽の恋人じゃなくても助けるときは助けるし、フリジットだってレニーしかいないわけではない。その内いつも通りに戻るだろう。

 だから、少しだけ傷が早く癒えるように、小さな嘘は墓に持っていくのだ。

 レニーは天井を見上げた。


「……二度寝しよ」


 こうして、受付嬢との奇妙な依頼は終了となった。

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