冒険者と治療法

 護衛バチの三匹分の触覚と、女王バチ特有の顎の一部。それらをタンクであるガーシェと後衛の一人であるプライグが採集してる中、ジェックスは女王バチから死にかけの子どもが腹を食い破って襲ってきた場合に備えて警戒を続けていた。また、働きバチが帰ってこないか、レニーとテンダで見張っている。


「さっきはありがとう。さすが、トパーズ等級の人だね」

「気にしなくていい。報酬は山分けだし、いい仕事できたと思うよ」

「それでその、ジェックスのことなんだけど、あまり嫌わないでくれると助かるっていうか」


 レニーはテンダの目を見る。赤茶の髪に、灰色の瞳。特に鼻から頬にかけてあるそばかすが特徴的だった。


「彼、冒険者の壁って言われるカットトパーズからトパーズになったばかりで。有頂天になってしまったんだと思うんだ。だから、フリジットさんにも付きまとっちゃって……」


 テンダは杖を握りしめて、見上げる。


「止められなかったこと、改めて謝るよ、ごめん。でも同じトパーズのレニーさんに負けて、自分はまだまだなんだって実感してくれたと思うんだ。あれから凄いまともになったし、彼、本当は気が良くて、その、良い人なんだ」


 ちらり、と後ろを見る。

 ガーシェと腕を組み喜び合っているところだった。ちらりとレニーに視線を移してわらう。そして親指を立てた。

 レニーは息を吐く。


「テンダさん」

「なに」

「キミにとってジェックスはとても良いリーダーのようだ」

「……うんっ!」

「でも、狂人ってのはいつもはまともなんだ。当たり前さ、ずっと狂人だったら生きていけない。だから直接会話してもまともに見える事が多い」

「それって、どういう」

「本性っていうのはね、ぽっかりあいた空白に顔を出してくるもんなのさ。この巣みたいね」


 首をかしげるテンダ。しかし会話は続かなかった。

 ばしゃり。

 レニーは頭から足先まで、甘い臭いのする液体をかけられていた。鼻からぬける臭いで嗅覚がまともに機能しないほどだ。


「おっとすまねえ。手が滑った」


 犯人ジェックスを睨む。


「ムネアカメガバチの腹蜜、ねぇ。女王バチが子育てに使う希少な蜜だ。綺麗に切り取れば高価で売れるだろうに」

「へへっ、舌も蕩けるくらい甘いだろう」


 女王バチの腹蜜は、適切に取り出さなければならない。処置を怠ると、強烈な臭いを放つからだ。そしてその強烈な臭いは働きバチを呼び寄せる。なぜなら、女王バチが「自ら潰す」腹蜜から放たれる臭いは、巣の危機を知らせる臭いに他ならないからだ。ゆえに真っ先に燃やされる。適切に腹蜜を取り出せないとハチの報復によって確実に死が待っている為、唯一臭いの出ない燃やすという手段が一般的なのだ。腹蜜は死ぬほど甘美、と言われる由縁である。


 ジェックスは腹蜜が燃える前に取り出したのだろうか。地面を見ると大きめの瓶が転がっていた。瓶に蜜を入れたのか、事前に買ってきたものを持ってきたのか、レニーはジェックスの行動を見ていなかったのでわからない。興味もなかった。


「おいジェックス。何のつもりだ」

「ジェックスさん、なんで」


 責めるようにジェックスの肩を掴むガーシェと震えた声で問うテンダ。


「なに、フリジットにつく悪い虫は、排除しなくちゃな」

「てめ、本気で言ってるのか」

「そ、そんな、レニーさん、死んじゃうよ!」

「あぁ、死ぬな。だが俺たちも早くずらからないと死ぬぜ。行くぞおめえら!」


 有無を言わさず、駆けだそうとするジェックス。その背中をレニーは見るだけだった。


「……レニーさん! あぁ、なんてこと」

「キミらも早く逃げときな」

「だがよ、これはジェックスがやらかしたんだ。責任は俺たちにある」

「そうだ、余力はあるから僕ら三人でレニーさんをサポートすれば」


 テンダの言葉を手で遮る。


「わかるかい、時間がないんだ。急いで」

「でも」

「生きて帰ってギルドに報告するんだ。ジェックスが何をしたかを、ね」

「レニーさん」


 テンダが瞳を潤ませて、名を呼ぶ。きっとパーティーメンバーたちはまともなのだろう。ここに残ってくれようとしたのが証拠だ。

 なら、ジェックスひとりが狂ってしまったということになる。


「くっ、すまん」

「レニーさん、必ず助けるから!」

「どうか無事で」


 三人がそれぞれの言葉を残し、去っていく。


「……さて。ジェックスは予想通りだったね」


 好きな女に付き合っている男がいる。付きまとっている男ならそれだけで諦めるとは思えない。ああいう輩は、邪魔者さえ排除すれば自分が一番になれると本気で思っているのだ。

 自分の都合の良いように物事を考えていたやつが、現実を突きつけられた程度で変われるはずがない。


 長年、賊どもや賞金首を狩ってきたからわかる。ああいうやつらの治療法はひとつだ。


 レニーは無言で手を引っ張る動作をした。

 しばらく待っていると影の手に捕まれたジェックスが戻ってきた。レニーの前で尻もちをつく。


「あ? なんでお前が」


 状況を呑み込めてないジェックスがレニーへ目を向ける。傍まで歩み寄ると、レニーは座り込んだ。


「魔法さ、魔法」


 手をぐっと掴んで引き寄せるしぐさをする。


「あの影の手か! だがあの魔法はそこまで」


 瞬間、閃光が走った。

 何の前触れもなく、魔弾がジェックスの膝に直撃したのだ。骨の砕ける音と共に、右脚がおかしな方向に曲がる。


「あっ、あがぁあああ! 足がっ、足がぁ!」


 レニーは舌なめずりをする。蜜をかけられたせいで甘かった。


「な、何しやがる、お前っ」


 震えた声で、ジェックスが叫ぶ。


「うん? 最初からこのつもりだったからだけど」


 レニーは両手を広げる。


「ダンジョン攻略。確かにオレみたいな役割は必要だね、罠にかからない為にも安全性は取らなきゃならない。だからごく自然に誘える」


 お人好しであれば何の疑いもなく引き受けるだろう。


「途中まで仲良くやって、次に奥地で置き去りにする。これをやるのにムネアカメガバチはぴったりだね。何せ蜜をぶっかけて囮にすればいい。ギルドには事故で報告できるし、疑いはあっても証拠がないから処罰されない。実に都合が良い場所だ。


 現に、


 ジェックスの肩をゆっくり、手で叩く。無論、蜜がついた手だ。


「戦士系が考える事、ならず者ローグが考えないとでも?」

「く、くそっ、ふざけるな! お前だけ死にやがれ」

「なんだ、つれないな。フリジットを賭けた仲じゃないか」


 皮肉たっぷりに笑う。


「どうせキミのことだ。オレがいなくなればフリジットが振り向くと思ってるんだろ」

「当たり前だ。今は……そうだ、俺に嫉妬してほしくてお前と付き合ってるんだ。フリジットがお前みたいなやつと付き合うはずがねぇ」


 付き合うはずがない、の部分だけ同意する。実際には恋人ではないのだから。


「認知が歪みまくると諦めるってことを知らない。狂人に付き合うつもりはオレにはないし、彼女にそんな暇はない」


 だから、と。

 レニーは両手で倒れて死んだ人間を表現してみた。


「キミがいなくなれば万事解決、だよね」

「いなくなるのはお前だっ」


 ジェックスが素早く斧を引き抜く。

 剛腕によって繰り出される一撃は、非戦闘体勢のレニーに避ける術はない。

 魔弾が、右肘を砕いた。


「ぎゃああぁああ! 腕が、腕があぁああ」

「あーあ。左腕で斧使ってくれれば生存率上がったのに」


 斧が地に落ちる。

 避ける術がないなら一撃を許さなければいい。単純な話だ。

 レニーにはその手段早撃ちがいつもある。


「なんだ、なんなんだお前は」


 痛みにもがきながら、怯えた様子で声を上げる。


「……恋敵?」


 小首をかしげて、レニーは呟いた。

 巣穴の出口から羽音が響いてくる。死の羽音だ。


「たっ、頼む。助けてくれ」

「いやいや希少な体験だからぜひ体験していってくれ。付きまとってくるやつから逃げられない、いい経験じゃないか」


 羽音が大きくなる。

 レニーは背中を向け、ジェックスから離れる。


「ま、待ってくれ。金、金払うから。今回の報酬も、全部渡すから。だから助けてくれ。フリジットも、フリジットも諦める。だから」

「ジェックス」


 振り返り、見下す。カットラスを引き抜きながら、静かにこういった。


「生まれ変わったらソロ冒険者になりなよ。その方が怪しまれないから」


 ジェックスの顔が絶望に染まるのがよくわかった。


 そして死がやってきた。


 数匹のメスがジェックスに襲いかかる。ジェックスの体はすぐにメスの体に遮られて見えなくなった。

 ぐちゃぐちゃと、肉が裂ける音が響く。ジェックスは悲鳴を上げたがすぐに羽音にかき消された。


 トパーズの冒険者なら数匹のムネアカメガバチを同時に相手にしても問題ない。ただそれは五体満足のときであり、更に言えば一時的なものだ。トパーズだけでは巣の中のハチを全滅させる前に己の体力が尽きるのが先だ。


 巣をまるごと絶滅させるには念入りな準備とカットトパーズの冒険者が十人以上必要だ。とはいえ、女王だけを叩けば跡継ぎのいない巣は勝手に壊滅する。

 故に、トパーズで受けられるこの依頼は、慎重さと深追いはしないことが要求される。


 この状況はジェックスが欲を出し、慎重さを欠いた結果だ。

 レニーはカットラスと杖を構える。


「バカは死ななきゃ治らないってね」

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