第30話 樹海神域③

 鋭い斬撃を避け、距離を取ったイスカは杖を横に薙ぎ払う。クレノはこれを難なくかわし、懐に飛び込んでくる。

 矢継ぎ早の斬撃。すさまじい速度と精度だった。イスカが杖を振りにくい位置を確実に取り、連撃を放ってくる。致命傷はどうにか避けているが、クレノが小太刀を振るう度に、確実に傷が増えていく。

「おれはイスカが思っているほどできた人間じゃないんだよ!」

 心の奥の想いを絞り出すような、切実なクレノの叫びだった。斬撃が勢いを増す。

 胸を狙ったクレノの刃を石突きで流し、すねに蹴りを入れる。ひるんだところで、鼻先目がけて頭突きを見舞った。鼻を押さえて、クレノが数歩後退する。

「ぼくはなんでもできるクレノが妬ましかったし、羨ましかった。クレノみたいになれたらなって、ずっと思ってたよ」

「そいつは気の毒に。おれのこのざまを見て、さぞやがっかりしただろう」

 鼻血をぬぐい、クレノは唇の端を持ち上げる。

「しない。ただ、クレノも同じなんだってわかっただけだ」

「同じ? 何がだ」

「迷って、悩んで、もがいている」

 優れた人間や強い人間は困難に出会ったときに、それを容易く乗り越えていけると思っていた。

 けど違う。

 乗り越えるつらさはきっと誰だって同じだ。秀でた才能や能力は手助けにこそなるだろうが、決め手にはならない。

 最後にものをいうのは強固な意志で、それは選ばれた誰かだけが持つものじゃない。望みさえすれば誰でも持つことができるものだ。

「なんだよ、やっと気づいたのか」

「そして、間違いもするんだね」

「だったらどうする。その間違い、正してみせるか!」

 クレノが小太刀を構え、踏み込んでくる。

 まっすぐに突き出された刃を、イスカは左腕で受け止めた。熱い痛みが脳髄に抜ける。歯を食いしばる。クレノが驚愕に目を見開いた。

 杖を離し右の拳を固める。渾身の力を込め、イスカはクレノの顔面を殴り飛ばした。よろめくクレノの腕と肩をつかむ。クレノの身体を下に引きながら、胴体に強烈な膝蹴りを喰らわせた。

「ぼくはぼくにできることをする。できなかったら、できるまであがいてやる」

「は……言うように、なったじゃないか」

 イスカが手を離すと、クレノは力尽きたようにその場にへたりこんだ。イスカは腕に刺さった小太刀を引き抜き、戦況を見守っていた中年の男に突きつける。

「まだ、戦いますか?」

 青ざめた顔で、男は首を横に振った。

「ならば、クレノをお願いします」

 男は肯定とも否定ともつかないうなずきを返す。

「クレノ、行ってくるよ。後は任せて」

 ぐったりして動かないクレノの前に小太刀をそっと置いて、イスカはミズカに向かって歩き出す。歩きながら、背中から神樹の杖を抜く。赤い光が杖を覆う。傷ついた左腕が癒えていく。戦闘の昂揚はすでに消え失せ、心は凪いでいた。

「ミズカ様」

 あと数歩というところで足を止めたイスカはミズカに呼びかけた。ミズカがゆっくりと振り向く。

「生きていたのですか。しぶといこと」

 声はミズカのものではなかった。忘れもしない、ソウライの声だ。ソウライはイスカの背後に視線を送り、

「……クレノたちは負けたのですね。あと少しだったのですが。まあいい、もう一度、今度はわたしが殺してあげましょう」

 ソウライが手を振る。三日月のような風の刃がその手から発せられた。父たちを殺した力の正体はおそらくこれだ。しかし、避ける必要はない。刃はイスカに届く直前で、杖の力に弾かれて消える。

『ソウライ、ミズカを苦しめるのはもう止めろ』

「おや、あなたも出てきたのですね。なるほど。生き延びたのはソフウのおかげですか」

『わたしの力だけじゃない。この少年には意志があった』

「意志、とは?」

『生きようという意志、そしてなにより、ミズカを守りたいという意志だ』

「笑わせないでください。身の程を知れと言ったはずです」

「ぼくは確かに弱い。けどあなたには負けない。ミズカ様を返してもらう」

 返事はなかった。代わりに次々と刃が飛んでくる。そのすべてが、弾かれて消えていく。

「……なぜそんな人間に力を貸すのですか。ソフウ」

『わからぬか、ソウライ』

「わかりません」

『この人間が、一番ミズカを想っているからだ』

「たわごとを! あなたらしくもない。その少年に毒されたのですか?」

『ひとにもっとも寄り添えるのは、やはりひとなんだ。わたしたち神使ではない。おぬしとて、本当はわかっておろう。ミズカの心の声を聞いたのだから』

 ソフウの、幼子に語りかけるような口調だった。

「ですが、わたしは……」

 ソウライが目に見えて狼狽する。攻撃がぴたりと止んだ。

 そしてイスカはミズカの目の前に立つ。

 これまで何度も失敗した。みっともなく転んだ。

 それでも、立ち上がってここまでたどり着くことができた。ソフウや助けてくれた人々がいたからだ。自分ひとりでは、きっと無理だった。

 ここから先は誰の助力もあてにはできない。自分が自分の言葉でミズカに語らなくてはいけない。イスカは息を吸う。

 ソウライの向こう、ミズカに向けて、イスカは言葉を発する。

「ミズカ様。ぼくは生きています。生きて、あなたのところまで来ました」

 ミズカの表情は変わらない。ただソウライが憎々しげな瞳でこちらを睨んでいるだけだ。

「ミズカ様のつらさはミズカ様にしかわからないもので、ぼくには想像することしかできません。完全に理解はできない」

 まっすぐにミズカを見据え、イスカは言葉を紡ぎ続ける。

「つらいことや嫌なことばかりで、殻にこもりたくなるのも無理はないと思います。でもミズカ様、目を閉じて、耳を塞いでいても、何も変わりません」

 いくら言葉を尽くしても、自分の思いは届かないかもしれない。けれどたったひとつ、これだけはどうしても伝えたかった。天代守ではなく、ひとりの人間として、自分がミズカにできることは何か。

 ただ守るだけでは足りない。ミズカ自身にも決意してもらわなくてはいけない。

「ぼくも一緒に戦う」

 イスカは右手を差し出した。

「あなたはひとりじゃない。だからミズカ、戦って」


 暗闇に一条の光を見た。やがて光は手の形となった。

 戦ってという声を聞いた。

 身を縮こまらせて、嫌なこと、理不尽なことをやり過ごすだけじゃない、戦うという選択肢だってあるのだと思った。

 なぜ、いままで気づくことができなかったのだろう。がんじがらめで身動きの取れないような状況であっても、その状況に対してどう反応するかの自由は残されているのだ。選ぶのは、自分でなくてはいけない。

 手を伸ばそう。伸ばして、あの手を取ろう。

 誰かが問いかける。

『行ってしまうのですか』

 誰かに答える。

「はい。わたしはあの手を取りたい」

『安寧に浸っているだけでは、いけないのですか』

「あなたに甘えているのは楽だけど、それではわたしは一歩も前に進めない」

 ただ嘆いて誰かにすがっているだけでは何も解決しない。自分ができる戦いをしなくてはいけない。そう思った。

『自ら望んで戦場に赴くのですか。傷ついて、傷つけて。外はつらいことだらけですよ』

「いいことだってあります。あなたに出会えたことも、その一つです」

『いいこと……。あなたは、わたしを恨んだりはしないのですか?』

「あなたはわたしのことを思って、行動した。そんなあなたを恨むのは違うと思うんです」

 その過程で失われた命は当然痛ましい。だが彼女を恨む気にはならない。すべてを彼女に委ね……いや、押しつけたのは自分だ。責任は自分の弱さにある。諸々を抱きかかえて、自分は行かなくてはいけない。

 手を伸ばす。輝く手を掴み取る。


 暗闇が、晴れていく。

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