第28話 樹海神域①

「誰か! 生きている者はいないのか!」

 フウエンが声を張り上げた。イスカも叫ぶ。

「生きている人がいたら、返事をしてください!」

 声をあげながら、ふたりは天代守の宿舎の方に回る。

 フウエンの声を聞きつけたのか、剣と槍で武装した男たちが三人、建物の陰から姿を現した。全員血で汚れた天代守の装束を着ている。

「救援か? でもあんたら、都の領兵……じゃないよな」

「旅人だ。一体、何があったんだ?」

 男たちは顔を見合わせる。

「助けになれることがあるかもしれない。話してくれないか」

 フウエンがうながすと、男たちの一人が、

「……いきなり、巡礼者の集団が襲いかかってきたんだ」と吐き出すように言った。

「巡礼者だと?」

「ああ、シシガキ屋の店主ご一行様さ」

 シュウカ領では知らぬ者のいない薬種商の大店だ。打ち身や切り傷によく効く軟膏で財を成した店で、天代守たちもシシガキ屋の薬にはよくお世話になっている。

「護衛たちと一緒になって暴れ出したんだよ」

 大店の店主の巡礼ともなれば、護衛が付き従うのも不自然ではない。武器は入口に預けなくてはいけない決まりだが、短剣程度ならばいくらでも隠せる。大社を襲撃するならば巡礼者になればいいというのは、案外盲点かもしれなかった。

 しかし、大店の店主がなぜそんな暴挙に出たのか。築いたものをすべてふいにしても構わない、のっぴきならない理由でもあったのだろうか。

「それで、そいつらは?」

「女の子を中心に、裏門を破って樹海に向かった。天羽の連中が追っかけていったよ。おれたちは樹海から入り込んだ妖獣退治を任された」

 女の子、それはもしかして。イスカが口を開くより早く、フウエンが質問を重ねる。

「天代は無事なのか」

「真っ先に天羽たちが脱出させた。今頃都じゃないか。まあ、襲撃者のお目当ては天代じゃなかったようだけどな。ったく、おれたちも逃げたいよ。ついてねえぜ。もうちょっとで任期も終わりだってのに」

 なげく男の横腹を、隣の男が肘でつつく。

「ぼやくなよ。どうせだから、特別報酬でも要求しようぜ」

「お。いいな、それ。村で待ってるかあちゃんに土産が買えるな」

「そうだな。おれの方からもかけあっておこう」

 フウエンは言って、いぶかしげな顔をする男たちに背を向けイスカに向き直る。

「イスカ、まずは妖獣どもを片付けよう」

「すみません、フウエンさん。ぼくは行かなきゃいけない所があるんです」

 イスカが言うと、フウエンは微かに苦しそうな顔になる。

「……樹海には天羽が向かったんだ。わかるだろ」

 もう手遅れかもしれない。そうじゃないにせよ、ミズカが捕まるのは時間の問題だ。フウエンはそう言いたいのだろう。

「それでもぼくは行きます」

「つらいことになるかもしれんぞ」

「もう、逃げないって決めたから」

 何を言ってもイスカの決意は翻らないと悟ったのだろう。フウエンはうなずいた。

「わかった。そこまで言うなら止めはしない。武運を祈る」

 一礼し、イスカは裏門へと向かう。

 神使の力か、大きな門は鋭利な刃物で入念にばらされたように断ち切られていた。残骸が石畳の上に転がっている。残骸を乗り越え、イスカは樹海に足を踏み入れた。

 途端、トウガの森とは比べものにならない密度の神気が身体を包み込んだ。

『大丈夫か?』

「なんとか。でもすごいね。飲み込まれそうだ」

『気を強く持て。少しくらいなら、わたしが守ってやる』

 父たちとトウガの森に踏み入ったときは、不安に押しつぶされそうだった。

 もう父はいないし、この先に何が待っているかもわからない。状況は間違いなくトウガの時より悪い。にもかかわらず、不思議なほどに落ち着いていることができた。場数を踏んだということもあるだろうが、一番の理由は、身の内に頼もしい相棒がいるからだ。

「ありがとう。ソフウがいてくれてよかった」

『ふん……。ミズカたちはもっと奥のようだ。ここまで来れば神気は違えん。行くぞ』

 ソフウの案内で樹海を進む。

 木々や植物が複雑に入り組んで生えており、樹海は天然の迷宮のようだった。光もあまり届かない。土地勘を持たぬ者だったら、たちまち迷ってしまうことだろう。

 少し進んだところで、いきなり地面が小刻みに揺れた。鳥が一斉に飛び立っていく。

「なんだ?」

 振動はすぐに収まったが、大地そのものが振るえているような感覚が残る。

『大地がざわめいている。神獣が干渉を受けているのか……?』

「いやな感じがする。急ごう」

 イスカは足を速める。妖獣たちも落ち着かないようで、道々、せわしげに移動している群れと何度かすれ違った。こちらを襲うどころではないらしく、人間など眼中に入っていないとばかりに、側を駆け抜けていった。

 途中、何度か骸を目にした。イスカは一瞥を送るだけで、立ち止まろうとはしなかった。前を見据え、ひたすら走る。段々と神気が濃くなる。ミズカの側に近づいているという確信が強くなる。

 息が苦しくなってきた頃に、開けた場所に出た。

 思わず息を呑んだ。

 夕焼けの中に立つ、大きな、とても大きな樹があった。大きいと思っていたトウガの神樹よりもさらに一回り大きい。シュウカの神大樹だ。

 苔むし、ねじくれた太い幹、四方八方に伸びている無数の枝、空を覆うほどに茂っている大量の葉、すべてが神々しく見えた。

 心が吸い寄せられるような、そんな魅力が神大樹にはあった。人の魂が神大樹に宿るというのも納得できる。

 神大樹の根元には一人の少女がいた。こちらに背を向けているが、見間違うはずがない。

 やっとだ。とイスカは杖を握りしめる。やっと追いついた。見つけることが、できた。

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