第27話 大社の惨劇
客の事は教えられない。
ようやく突き止めた宿の主人は、なだめてもすかしてもその一点張りだった。仕方が無いので、奥の手を使う。
「これでどうですか」とイスカは主人に金貨を差し出した。
桜の文様が刻まれたオウカ金貨だ。この金貨が一枚あれば、ひと月は楽に暮らすことができる。
「確かに泊まっていたよ。あんたぐらいの年頃の男の子と女の子だ。金の払いはいいが、どうも辛気くさい二人だったな」
金貨を目にした途端、主人の固かった口は滑らかに動き出した。
「男の子……? それで、二人はいまどこに」
「さあな。三日前から帰っていない」
イスカは金貨を持った手を引っ込めた。主人はあわてた様子で、
「う、嘘じゃねえ。なんなら部屋を見せてもいい。荷物があるはずだ」
「案内してもらってもいいですか」
「おう。こっちだ」
主人は受付台を出ると、階段を上り始める。イスカも後に続く。一歩上るごとに、古びた階段は軋んだ音を立てた。
案内された部屋は、がらんとした殺風景な部屋だった。片隅に、忘れ去られたように置いてある背嚢があった。
『神気の残滓がある。間違いない、ミズカはこの部屋にいた』
それだけ確認できれば充分だった。荷物を適当に調べると、イスカは主人に、
「ご協力、感謝します」と金貨を手渡した。「ついでだ。その荷物、持って行っちまっても構わないぜ。どうせ処分するつもりだったしな」と主人は言い残し、部屋を出て行った。
イスカは窓に近づくと、障子を開ける。
格子窓から見る街並みはなんだか窮屈だった。
都に着いてからこの宿屋を見つけるまで、だいぶかかっている。そうして、やっと追いつけたと思ったのにミズカはいなかった。
『確実に側まで来ている。あと一息だ』
イスカの気持ちを汲んでか、ソフウが励ますように言った。
「そうだね。……にしても、男の子って誰なんだろう」
『協力者と見るのが妥当だろうが、正体が掴めぬな』
背嚢には、旅に必要な最低限のものが詰められていた。手際のいい荷造りだったが、これだけでは何の手がかりにもならない。
『とりあえず出るぞ。残った神気を辿り直してみよう』
ソウライにうながされ、イスカは宿を後にする。
ひとたび通りに出ると、行き交う人の数に圧倒される。これだけの人がこの街のどこかに住んでいると思うと、不思議な気持ちになる。大勢の人がいて、みな、それぞれの生活を持っているのだ。
夕方の人いきれに満たされた雑踏の中をおぼれそうになりながら歩いていると、唐突に肩を叩かれた。
「よう、奇遇だな」
振り向いたイスカは、そこに意外な顔を見た。
「……フウエンさん?」
「こんなところで何をしてるんだ」
「あ、と。観光、です」
「ほう。しかしこの界隈は観光には向いてないぞ」
「田舎者なので、都のものはなんでも珍しいんですよ。それより、ぼくに何かご用ですか? 奇遇って、嘘でしょう」
イスカは警戒の色も隠さずに言った。これだけの人の中からイスカを見つけ出す。さらにはイスカが宿から出た所を見計らったかのような出現。偶然にしてはできすぎだった。
「ばれたか」
フウエンは悪びれた風もなく笑う。
正体が掴めないと言えば、この青年もそうだ。イスカは油断なくフウエンと距離を取り、何かあったらすぐに対応できるよう、自然体になる。
「そう警戒するな。おれはおまえの味方のつもりだ」
「味方? どういうことですか」
「おまえはトウガの天代を助けたいのだろう。おれもその事で近辺を探っていてな、それでおまえを見かけたんだ」
「……あなたは、一体」
イスカの質問を遮るように、フウエンは手を大仰に振る。
「なんだっていいじゃないか。……ん?」
と、フウエンの目がイスカの背後、空の一点に固定された。ごまかすつもりなのかと疑ったが、それにしては真剣な顔になっていた。イスカも振り返る。西の夕空に、一条の煙が立ち上っていた。赤い空よりもなお赤い、どこか毒々しい煙だった。
「狼煙、でしょうか」
「シュウカ大社からの火急を知らせる狼煙だ」
固い声でフウエンが言う。
『あちらの方角から強い神気を感じる。ソウライが大きな力を行使したらしい』
ソフウの言葉を聞くやいなや、イスカは走り出した。
「おい、どこに行く!」
背中からフウエンの声、イスカは振り返りもせず、
「大社に行きます!」と答えた。
逗留していた宿屋に戻り、大急ぎで馬小屋に回る。ユサナから借りた馬に最低限の馬具を着け、手綱を引いて足早に西門に向かう。街中では馬で走れないのがもどかしい。
西門に到着すると、そこにはすでに馬を連れたフウエンがいた。
「フウエンさん、どうして」
「大社の大事はさすがに見過ごせん」
言って、身軽に馬に飛び乗る。見事な馬体の馬だった。
「さあ、急ぐぞ。もたもたしていたら、もうじき出される先遣の兵たちに飲み込まれる」
「わかりました」とイスカも馬に飛び乗った。
霊峰、
シュウカ大社はその白帝山の麓に広がる樹海の入り口にある。都の中心からは若干距離があり、巡礼者たちは大抵徒歩で向かう。巡礼路を歩くことにより、身が清められるとされているからだ。
本来ならば徒歩で行くことが推奨されている巡礼路を、イスカとフウエンは馬に乗ったまま駆けた。
何度か大社の方から逃げてきたと思しき人々とすれ違うが、止まらずに走り続ける。事情はどのみち大社に着けばわかることだ。
飛ばした甲斐あって、半刻も経たずに入り口の門にたどり着くことができた。
「これは……」
むっとするような血の臭いが鼻をついた。二人は眉をひそめる。
馬を下り、いるべきはずの門番がいない表門をくぐると、そこには惨状が広がっていた。
おびただしい数の人と妖獣の骸が、石畳の上に横たわっていた。石畳が血と夕焼けで赤黒く染まっている。血なまぐさい風の中を、蜻蛉が飛び回っている。
日常から剥離した異様な光景の中、シュウカ領随一の威容を誇る大社の本殿が、何事もなかったかのように鎮座していた。
人と妖獣の骸。否応なく、鎮めの日の出来事が思い出される。二度と見たくないと願ったはずの光景だった。だけど。
目を逸らすな。状況を把握しなくてはいけない。
自分に言い聞かせ、イスカは骸を見た。天代守の装束を着た者もいれば、巡礼者の格好をした者もいる。妖獣にやられたと思しき骸だけではなく、矢が突き刺さった骸や刀傷がある骸もあった。単純に妖獣が攻めてきたという事態ではなさそうだ。
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