第26話 都のふたり③

 ミズカから離れ、クレノは腰から天羽の小太刀を抜きつつ立ち上がる。

 屋根の上から降ってきたのは、焦げ茶色の装束に身を包んだ小柄な少年だった。

 少年は一息で間合いを詰めると、手にした短剣をクレノに振るう。クレノは迫り来る刃を小太刀で受け流す。横に回り、クレノは少年の脇腹を拳で強く突いた。うめき声一つたてず、少年は飛び退いて間合いを取る。

「伏兵か。そうまでしてミズカ様を殺めたいか」

「違う。……どういうことだ。わたしに任せてくれるのではなかったか!」

 ミズカの父親が少年に向けて言った。少年は視線をクレノに据えたまま、

「おまえは失敗した。だから我々が始末する」と抑揚のない声で言う。

 少年の言葉に呼応するように、路地の影からしみ出るように三人の少女が現れた。少年の含め、敵は合計四人。前方に二人、後方に二人、完全に包囲されていた。

「ソウライ、動けるか?」

「……先ほどの小太刀のせいでしょう。身体が思うように動きません」

「わかった。ならば、おれがなんとかする。壁に身をつけて姿勢を低くしていろ」

 四人は一斉に襲いかかってくることはなく、じりじりと包囲の輪を狭めてくる。数の優位の使い方をわかっている、そういう動き方だった。クレノは小太刀を逆手に構える。空気が張り詰める。互いの息遣いすら聞こえてきそうな静寂だった。

 敵の一人が動く。まるで重さを感じさせない足捌きで肉迫してくる。淡く輝く短剣を、クレノの胸目がけて突き出す。これもどうやら普通の武器ではないようだ。当たったらただでは済むまい。

 寸前でかわし、反撃しようとしたところで、横合いから別の敵が襲いかかってきた。身を沈めつつ、クレノはその敵のすねに斬りつける。足を上げ、斬撃を避けた敵はそのままクレノの横面を蹴り飛ばした。鋭い蹴りに意識が遠のきかける。

「クレノ!」

 ソウライの声、眼前に刃を振りかざした少女がいた。下手に避けようとせず、踏み込んだクレノは肩口から少女にぶつかった。少女が吹き飛ぶ。一瞬包囲が崩れるが、すぐさま残りの三人がそれを補うように位置を変える。

 敵の練度は高い。

 自分ひとりならなんとか切り抜けることもできるだろうが、ミズカを守りながらだと難易度は急激に跳ね上がる。せめて、ソウライの力が使えたら。

 クレノは口元の血をぬぐって、苦笑いを浮かべる。昼間、ソウライを咎めたばかりだというのに。

 活路は必ずある。己を奮い立たせ、クレノは少年たちを睨みつける。歳は全員、十五かそこらか。月明かりの下、少年たちの顔に表情らしい表情はない。感情をどこかに置いてきたかのようだった。

「おまえたち、何者だ? 身のこなしが軽やかだが、まさか旅芸人とかじゃないよな」

 反応は期待していなかったが、少年はこれが答えだとばかりに人差し指を立てた。第一関節と第二関節の間に、黒い環のような刻印があった。それでぴんと来た。神問省が使う密偵のことは、以前小耳に挟んだことがある。

「……黒指衆か。しかしその歳で暗殺までやらされるとはね。嫌にならないか?」

「やれと言われたらやるまでだ」

「いいように使われて、まるで狗だな」

「だからどうした。おまえも似たようなものだろう」

 少年は動じずに言う。見え見えの挑発には、やはり乗ってくれないようだ。

「喋りすぎ。早く終わらせましょう」少女のひとりが少年を制するように前に進み出る。と、その動きに合わせるように、クレノと少女たちの間に何かが投げ込まれた。何だと思う間もなく、吹き出した煙でたちまち辺りが見えなくなる。刺激臭のある煙だった。あわてて口元を抑えるが、少し吸ってしまう。涙がにじみ出る。咳き込みながら、クレノはソウライの元に後退する。

「……な、なんです? この煙……」

「おれにもわからない」

 突然、誰かが路地に駆け込んでくる気配があった。新手かと身構える。煙でよく見えないが、周囲で剣戟の音が聞こえ始めた。まさか同士討ちではないだろうと思うが、状況がまるで掴めない。

「おい、こっちだ」

 剣戟の音に混じって、くぐもった声が聞こえた。声のした方を見れば、口元を布で覆った男が裏通りから手招きしている。

 即座にクレノはソウライの手を取ると、男の方へ走った。罠の可能性は低いと踏んだ。こちらを仕留めようと思ったのなら、この混乱に乗じて不意を突いているはずだからだ。

 クレノたちがたどり着くと、男は無言で通りの奥を指で示し、走り出す。不安そうに見上げるソウライにうなずき、クレノは男の後を追い始める。

 人口の増加に合わせ、拡張に次ぐ拡張で複雑に入り組んでいる平民街の裏通りを、男は迷わず進んでいく。遅れがちになるソウライの手を引きながら、クレノは走り続けた。

 やがて、男は一つの建物の前で立ち止まった。どうやら商家の蔵のようだ。辺りを確認し、男は分厚い扉を一定の調子で三度叩き、少ししてから今度は二度叩く。扉が細く開けられた。乾燥させた薬草の匂いが漂ってくる。薬種問屋の蔵なのかもしれない。

「入ってくれるか」

 素直に言葉に従い、クレノたちは蔵の中に入った。

 男も続いて入り、扉を閉める。明かりは蔵の中ほどに置かれた燭台だけだ。

 燭台の周りには、五人の男が立っている。それぞれ都人がよく着る衣服を着用していたが、まとっている雰囲気は明らかに都人のそれではない。肌を突き刺すような鋭さがあった。

「この子たちが例の天代と天代守か」

 中年の男が口を開く。恰幅のいい、商人風の男だった。

「はい、間違いありません」

 クレノたちを連れてきた男が返事をした。中年の男は尊大にうなずく。場の様子から、クレノはおそらくこいつがこの場の首領格だなと見当をつける。

「なんなんだ、あんたら。ただの都人じゃないよな」

「その通り。きみの後ろにいるお嬢さんがただの天代じゃないように、わたしたちもただの都人ではない」

「……どこまで知っている?」

「逃亡したトウガの天代に、実は神使が憑いていた、ということぐらいだな」

 いずれ漏れるにしても、一介の都人がつかむには、あまりに早すぎる情報だった。

「なぜ、それを」

「我々の目と耳はどこにでもある。たとえば、きみが銀の装飾品を売った行商人とかな」

 クレノは立ち寄った村で商談をかわした行商人の、人の良さそうな笑顔を思い出す。

「……そういうことか。で、何が狙いだ。慈善で助けたわけじゃないだろう」

「話が早いな。では単刀直入に言おう。我々の目的に協力してもらいたい」

「あんたたちの正体と目的次第だ」

「子どもがあまり調子に乗るなよ。おれたちは天代がいればそれでいいんだ。おまえだけをたたき出すことだってできるんだぞ」

 横にいた男が声を荒らげる。クレノは素早く抜き放った小太刀の切っ先を、男の胸、心臓の手前でぴたりと止めた。

「おまえたちを皆殺しにするか、ひとまず話を聞くか、どちらでも選べる」

 冷ややかに言って、クレノは小太刀を握る手に力を込めた。場がざわめく。

「クレノ、刃を収めてください」

 ソウライが、穏やかな声で言った。

「この方たちの話を聞きましょう」

「しかし……」

 ソウライはゆるりと首を振り、中年の男に向き直る。

「窮地を救って頂いたことには感謝します。ですが、もしもミズカやクレノに危害を加えようとしたら、その時は覚悟してください。命をもって償ってもらいますので」

 静かながらも確かな威圧感があった。中年の男は気圧されたように、小さくうなずく。

「理解してくれてうれしいです。ではクレノ、あとは任せます」

「了解だ」とクレノは小太刀を鞘に収める。

「まずはあんたたちの正体を聞かせてもらう」

「朝廷に恭順しなかった古の民族の生き残り。きみたちからすれば、まつろわぬ民ということになるな」と、中年の男は淡々と答えた。

「……なんだと」

 クレノが驚きを示したのを見て、中年の男はにやりと笑う。

「まつろわぬ民のすべてが山や森に隠れ住んでいるわけではない。行商人、旅芸人……中には都や村の暮らしに溶け込んでいる者だっている。もしかして、獣の毛皮をまとった野蛮人のようなものを想像していたか?」

「いや、さすがにそこまでは。……ただ、凶悪な連中だという印象は持っていたけど」

「凶悪、かもしれんな」

「どういうことだ」

「我々は朝廷の喉に噛みつく機会を伺っている」

「もしかして、それが目的に繋がるのか」

「その通り。きみたちはそのために必要な人材だ」

「さっきの男の口ぶりじゃ、必要なのはミズカ様だけのようだが」

 言って、クレノは隅に引っ込んだ男を見やった。

「彼は先走ったのだ。わたしはきみが都まで天代を守ってきた手腕を高く評価している。是非、戦力として欲しい」

「戦力って、まさか真っ向から朝廷に喧嘩を売るつもりじゃないよな?」

「当然だ。我々の情報網はさっき示したとおりさ。正規軍と勝負にならないことくらい、嫌になるほどわかっている」

「じゃあ、どうする気だ」

「ここから先を聞いたら、後戻りはできなくなるが?」

「白々しい。最初から、あんたたちの腹は決まってたんだろ。おれたちが提案を受け入れればよし。もし拒めば」

 と、クレノは手刀で自分の首を斬る仕草をする。

「きみたちを力でどうこうできるとは思っていないよ」

「抜け目のなさそうなあんたのことだ。神使を封じる霊具の一つや二つ、隠し持ってるんじゃないか」

「さぁ、どうかな」

 食えない奴め、とクレノは内心で毒づいた。

「どうする、ソウライ」

 さすがに自分の一存で決めるわけにはいかない。荒事になったらミズカも巻き込まれることになる。

「続きを聞かせてもらいましょう」

「いいのか?」

「ええ、構いません。わたしたちには他の道はありませんから」

「……わかった。話してくれ」

「わたしたちの目的は、神獣の解放だ」

 中年の男は、とんでもないことを涼しい顔で言ってのけた。

「……神獣だと? 正気かよ」

「もちろん。もっとも、きみたちが現れなければ、思いつかなかった計画だがね」

 神使を憑けることができるほどに強力な天代ならば、もしかしたら神獣の解放も可能かもしれない。男たちはそう考えたのだろう。朝廷に反抗心を抱く男たちにとって、ミズカはとてつもなく魅力的な存在に映ったに違いない。

 不意に、クレノの胸の内に火が灯った。それは怒りの火だった。

 クレノは、決してミズカのことを思って行動していたわけではない。

 恩人や仲間を殺し、自分をひとでないものに変えた神使がただ憎かった。だから神使を祓うことを第一に考えていた。その過程で、ミズカのことはできれば傷つけないようにしようと、それくらいにしか考えていなかった。ミズカをいいように利用しようとする男たちの勝手さは許せない。そしてそれ以上に、自分の無神経さが許せない。

「で、ずっと待っていたわけか」

 様々な思いを呑み込み、火は炎となって燃え上がる。

「何のことだ」

「事前にミズカ様の父親が娘を始末するよう言われていたこと、掴んでいたんだろ。その上で放っておいた。父親に拒絶されたミズカ様に、手を差し伸べようと考えたからだ」

「誤解だ。わたしたちは、そこまで」

「だったら、どうしていままで姿を現さなかった? 見失っていたとか言わないよな。おれたちの動きはあんたらに筒抜けだったんだろ。でなきゃあんな状況で助けに来ることはできないはずだ」

 黙りこんだ中年の男は、視線をクレノから逸らす。

「実際、一番効果的な場面だったな。あんたらの読み通りだとしたら、たいした物だよ。神問省顔負けのえぐい手口だ」

「……わたしたちの祖先は信仰する神を殺され、土地を奪われた。それからずっと日陰を生きてきたのだ。朝廷に一矢報いることができるなら、なんだってするさ」

 男は開き直ったように言った。

「そのためには、あんたらには何の関係もない女の子ですら利用すると?」

「ああ、利用する。群れからはぐれた天代だぞ。適材じゃないか。国のために存在する天代を使って、国を支える柱を折る。素晴らしい意趣返しだとは思わないか」

 積もり積もった恨みの大きさは、まつろわぬ民ではないクレノには実感できないものだった。漠然と、男の言葉の背後にある巨大な何かを感じる。それはおそらく民族の歴史なのだろうと思う。

「恨みもあるが、憂いだって同じくらいある」

「憂いだと?」

「そうだ。いまのアキツの姿を、きみは正しいと思うか? 神獣、神使を利用し、貴族共は肥え太る。平民は平民で、自分たちの生活が何の上に成り立っているか、考えようともしない。誰かが声をあげねばならんのだ」

 男の言い分にも、納得できる部分はあった。だが、そのためにミズカを利用しようということだけは、受け入れるわけにはいかない。誰も彼も、どうしてミズカを道具としてしか見ないのか。

「ミズカ様は道具じゃない。恨みだが憂いだか知らないが、あんたらだけで勝手にやれよ」

 クレノが言い放つと、男たちから殺気混じりの怒気が発せられた。

「こいつ、言わせておけば」

 後ろに控えていた若い男が剣の柄に手をかける。クレノも小太刀に手をかけた。

「わたしは構いませんよ」

 一触即発の空気の中、ソウライがぽつりと言った。

「ソウライ。何を言っている」

「わたしは彼らに協力します」

「どうしてだ」

「彼らは集団で、ミズカを庇護する力があるからです。協力すればその後も、お互い友好的なお付き合いができる。そうでしょう?」

 ソウライが問うと、中年の男はうなずく。

 情報網の確かさは身を以て体験した。加えて、男たちの剣は一般に使われている剣とは異なった形状をしている。独自の製鉄技術と施設を有している可能性が高い。組織としての力はかなりのものと判断していいだろう。

「しかし……!」

 なおもクレノが食い下がると、ソウライは、

「他に道はあるのですか? 野で、ミズカが生きていく術はあるのですか?」と、淡々と問う。答えは持ち合わせていなかった。クレノは唇を噛んでうつむいた。

「……だからって、神獣を解放するなんて。どんな影響がでるかわかったもんじゃないぞ」

「神獣の力はわたしたち神使を遙かに凌ぐ。おそらくアキツ列島の均衡が崩れるでしょうね。……天変地異、妖獣の暴走。未曾有の大混乱が起きるに違いありません」

「そんなの、ミズカ様が望むはずがないだろう」

 ソウライは、引きつったような笑みを浮かべた。

「そのミズカが望むとしたら、あなたはどうしますか」

「ばかな。ミズカ様が、そんなこと」

 顔を上げたクレノが声を荒らげると、ソウライは喉元を抑える。

「……わた、しは」「望みますよ、ねえ、ミズカ」

 ミズカの顔が苦しげに歪み、やがて瞳に薄い膜のようなものがかかる。表情が不自然なまでにおだやかになった。

「ソウライ、おまえ、ミズカ様の意志を無理矢理ねじ伏せたのか」

「おや、気に入りませんか」

「当たり前だ!」

「ならば、いっそここでわたしを斬ったらいかがです。いまなら、わたしは力を振るえない。あなたの悲願を達成する絶好の機会ですよ」

 言ってソウライは剣帯を外し、鞘ごとクレノに剣を差し出した。男たちがどよめく。

「知っていたのか」

 ソウライはうなずく。クレノは剣を見据えた。剣を抜きミズカを斬るのに、瞬き一つの時間も要らない。

 気持ちが、揺れた。

 斬ればミズカの哀しみを終わらせることができるし、自分の復讐心も満たされる。この場で自分が取るべき正しい行動は、たったの一つしかない。

 クレノは手を伸ばす。

「……だったら、おれがどうしてもできないことも、知っているんだろ」

 だが直前で手を止めたクレノは、力なく肩を落とした。

 ソウライは妖艶な笑みを浮かべる。

「ええ。知っています。あなたの甘くて、やさしいところ」

「戯れ言はよせ。なぜ放っておいた。おれを利用するためか?」

「……どうなのでしょうね。わたしは協力者ではなくて、理解者が欲しかったのかもしれません」

 意外な神使の言葉だった。クレノは毒気を抜かれたような顔になる。

 隙あらばクレノに襲いかかろうとしている男たちに目配せして、中年の男が口を開いた。

「それで、きみはどうするんだ」

 クレノは嘆息する。完全に、負けだった。

「こうなったら、最後まで見届けるしかないだろう。おれはミズカ様についていく」

「ありがとう、クレノ。これからも、よろしく」

 ソウライは微笑んだ。ミズカの意志は、もはやないはずだった。神使が笑っているに過ぎない。その笑みは、クレノの目にはなぜか痛々しく映った。

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