第25話 都のふたり②

 ミズカの父親が立ち寄る小料理屋は、食堂や酒場が多く軒を連ねる繁華街から少し離れた所にあった。繁華街特有のざわめきも、ここには届かない。

 路地の隙間に身を潜め、クレノとソウライはじっと入り口を見張っていた。ミズカの父親が入っていったのは確認済みだった。

 いつも軽く一杯引っかけるだけで済ませるらしく、長居はしない。あまり長く待つ必要はないだろう。巡回の兵士に当たったら面倒だが、その時は繁華街から外れてしまった巡礼者を装うことにしてある。二人の格好は巡礼者がよく身にまとう頭巾付きの外套だ。

 やがて、一人の男が店から出てきた。どこかすり切れたような顔をしている男だった。ミズカの父親で間違いない。

「行くぞ」と小声で言って、クレノはソウライを連れ男の後を追い始める。大通りを横切り、脇道に入る。

 人気が途絶えたところで、クレノは一気にミズカの父親に駆け寄った。

「すみません」と声をかける。

 ミズカの父親は驚いた様子もなく、ゆっくりと振り返った。

「きみは誰だ」

 頭巾を外し、クレノは一礼する。

「おれは天代守のクレノと申します。そして……」

 クレノは脇に避ける。後ろに控えていたソウライが進み出る。ソウライが頭巾を外すと、父親の表情が強張った。

「お……とう、さん」

 神使の声ではない。かすれてはいるが、ミズカ本人の声だった。父親と向かい合ったことによりミズカの意志が浮上したのか、神使がミズカを呼んだのかクレノにはわからない。何にせよ、間違いなくミズカは娘として父親と対面していた。

「許せ」

 と、ミズカの父が腰から何か取り出した。クレノはとっさにミズカの肩をつかみ、引き寄せる。

 直後、風を切り、刃が走った。

「なん、で……」

 腕を押さえ、ミズカが呆然とつぶやく。足下に血が滴った。

「すまない。こうするしかなかった」

 苦しげに言って、ミズカの父は淡く輝く小太刀を構えた。クレノはミズカを後ろに押しやり、かばうように前に出る。

「あなたは霊具職人の刀工でしたね。もしかしてその小太刀、あなたが鍛えたのですか」

「献上したものを借り受けた。わたしの最高傑作だ」

 神樹の恩恵を受けた地で採れた砂鉄を原料に精製した鋼がある。そしてその鋼を用いて製作された武器は霊力を帯びる。質がいいものならば神使の御霊を斬ることも可能だろう。

「自分で鍛えた霊刀で娘を斬ると?」

「……わたしの娘はもういない」

 その言葉で合点がいった。

 ミズカの父は事情をすべて知っている。知った上で、娘を斬ろうとしている。おそらく、神問省から言い含められたのだろう。実の父親を刺客として使う。最適だが最低だ。人間のやることじゃない。

「神問省の奴ら、ひどいことをさせる……」

「違う。これはわたしの意志だ。他の者に任せるくらいなら、わたしがやると言った」

「なぜです!」

「わたしは父親らしいことをほとんどしてやれなかった。そんなわたしが父親として、せめてできることだ」

「ふざけるな! そんなの、納得できるものか」

 涙ながらの親子の再会など、少しも期待してはいなかった。そんなの甘い幻想だと思っていた。だからといってしかし、こんな拒絶の形があっていいはずがない。

「きみに納得してもらおうとは思わない。そこを退いてもらおう」

「そう言われて退くとでも?」

「ならば、押し通る」

 言うなり、ミズカの父は斬りかかってきた。それなりに鋭い斬り込みだったが、クレノにとってはまったく問題にならない。刃をかわし手首をつかんで、足を払って転倒させる。クレノは倒した拍子に奪い取った小太刀の切っ先を、ミズカの父の首に突きつけた。

「ソウライ、逃げてくれ」

 返事はなかった。クレノは首だけわずかに動かして後ろを見る。地面にへたり込んだミズカは、焦点の合わない目であらぬ方向を見つめていた。白痴のようなミズカの表情に、背筋が寒くなる。

「ソウライ、何をしてる! こういう時こそあんたの出番だろ!」

「あ……あぁ」

 ミズカが、両手で顔を覆った。子供のような嗚咽が口から漏れ出す。

 もしかして、小太刀で斬られたことでソウライは消えてしまったのかもしれないという考えが頭をよぎった。それはとても恐ろしい考えだった。だとしたら、いまのミズカはたったひとりで感情の渦に翻弄されていることになる。

「ああぁぁぁぁぁ……」

 耳を塞ぎたい。やめてくれと思う。聞いているだけで胸が張り裂けそうになる慟哭だった。それはミズカの心からの訴えだった。つらい想い、くるしい想い、かなしい想いが凝縮されていた。

 クレノは激しい無力感を覚える。自分は一体何をしているのか。ミズカのために何もできないのか。

 この結果は予想できてもよかったはずだった。なのに、自分はミズカが父親に会ったその先を考えることができなかった。考えようともしなかった。

「きみは天代守だろう。わたしを殺したらどうだ。天代に害をなす者だぞ」

 ミズカの父は力なく言った。

「……ミズカ様を傷つけるだけ傷つけておいて、最後は人任せか」

 小太刀を投げ捨て、クレノはミズカの父の襟首をつかんだ。

 クレノは是非にと望んで天代守になったわけではない。親友のイスカがなるというのならば、自分もなろうと思っただけだ。深い意味なんてなかった。小さい頃から器用になんでもできたクレノは、修練所の鍛錬もそつなくこなすことができた。適当にやっていても、結果はいいものが出た。本気で何かに打ち込んだことなどなかった。

 だからなのだろう、達成感というものを得られたことは一度もない。

 一方でイスカはなぜそこまでというくらい、何事にもひたむきだった。そんなイスカに、クレノは引け目を感じていた部分があった。自分にはないものがイスカにはある。

 イスカは時折、クレノが羨ましいというような事を口にした。だが、クレノにしてみればイスカの持っているものの方が、よほど羨ましい。

 あなたはなぜ天代守になったのですか。

 初の護衛前、ミズカはクレノに問うた。クレノは答えることができなかった。ミズカの真摯な眼差しに釣り合う理由を、クレノは持ち合わせていなかった。

 しかしいま、クレノは思う。これ以上、ミズカを哀しませたくない。唇を噛み、クレノは拳を握りしめた。

「…………っ」

 怒りをぶつける場所が欲しかった。だがどうしても、ミズカの父に拳を叩きつけることができない。殴ったところで何の解決にもならないことは自明だった。無駄に拳と心を痛めるだけだ。

「落とし前なら自分でつけろ。おれを都合よく使おうとするな」

 押し殺した声で言って、クレノは拳を解いた。襟を離し、ミズカの父を解放する。

 いつしか、ミズカの泣き声は止まっていた。放心したように地面にへたり込んでいるミズカに近寄ると、クレノは肩をやさしく叩く。

「もう、ここにいることはありません。いきましょう、ミズカ様」

「……でも、どこに?」

 そう問うた声は、神使のものだった。クレノは安堵感を覚える。自分だけでミズカを支えきれる自信がなかったからだ。引きはがしてやると考えていたくせに、勝手だなと思う。

「……なんだ、ソウライ。いたのなら早く言ってくれ。消えてしまったのかと思った」

「わたしはミズカにしあわせになってほしい。家族に拒まれたのなら、どこにいけばミズカはしあわせになれるのですか?」

 クレノは無言で目を伏せた。答えることなどできるはずがなかった。それは、クレノもいま一番知りたいことだった。

「教えてください、クレノ。わたしにはわからないのです。ミズカも、何も言ってくれません」

 人に憑いた神使と、人の形をしたバケモノと。自分たちはどこに行けばいいのだろう。

「……とにかく、この場を離れよう」

 クレノがソウライを立ち上がらせようとした時だった。

 頭上に嫌な気配を感じ、クレノはとっさにソウライを抱きかかえ、横に飛んだ。一瞬遅れて、それまでクレノたちがいた場所に何かが降ってきた。

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