最終章

第24話 都のふたり①

 周囲をそれとなく見回し、誰も尾行してきていないことを確かめると、クレノは宿へと入った。

 シュウカの都、平民街でもあまり治安のよくないところにある安宿である。質がいいとは言えないが、金さえきちんと払えば客の詮索はしない。そんな宿だ。

 二階の部屋に入ると、障子を開け、格子窓から眼下を眺めていたミズカがとろんとした目を向けてきた。起きているのか眠っているのかわからないような目だった。

「あまり外に顔を見せるなと言ってあるだろう」

 追っ手の気配はないが、用心するに越したことはない。

 クレノは障子を閉めた。部屋が少しだけ暗くなる。

「たまには外の空気を吸わせないと、ミズカの身体に悪いでしょう」

 ミズカの口から、ミズカのものではない声がした。何度聞いても慣れない。

 あの日、鎮めの儀の日の夜、森の外でミズカはひとでなくなったクレノを迎えた。

 月光の下で微笑むミズカは、人間離れした美しさだった。実際、もはやミズカは人から離れてしまっているのかもしれない。

 神使ソウライに憑かれた少女、それがいまのミズカだった。

 ミズカ本人の意識は表層には出てきていない。身体を動かしているのも、喋っているのもすべて神使、ソウライだ。

「首尾はどうでしたか。いい加減、頃合いではありませんか」

 都に潜伏して半月、そろそろ神使も焦れている。

「そうだな。ミズカ様の生家の周りに、追っ手が潜んでいる様子は無い。……しかし、何か嫌な感じがする」

「この都に来るまで散々回り道をしたではありませんか。もはや安全なのでしょう?」

 最初、都とは逆方向に向かい、訪れた村々でミズカの装飾品や高価な衣服を少しずつ売り払い、路銀に換えた。そうやってわざと痕跡を残しておいて、今度は森の中の獣道や古道を選び、都を目指した。時間はかかったが、都に着くことはできた。

 だが、ここまで追っ手の気配がないのが不気味だった。

 追っ手はクレノたちの目的地が都だと、とっくに気づいているのかもしれない。気づいていて泳がせているとしたら、ミズカが家族と接触するところを狙うはずだ。クレノが追っ手の立場ならばそうする。一番手っ取り早くて確実な方法だ。

「そもそも、追っ手など本当にいるのですか? 一度も出会ってないのですが」

「いる。神問省が神使の憑いた天代を放っておくはずがない」

 ソウライは万事がミズカ中心で、他のことに気が向かない。もしもクレノがいなかったら、都にたどり着くことすらできず、追っ手に捕縛されていただろう。

 いや、とクレノはソウライの力を考える。

 すべて、返り討ちにしていたかもしれない。ミズカを通して行使されるソウライの力は強大だ。聖域で嫌というほど見せつけられた。

「仮に追っ手がいたとしても、すべて排してしまえばいい」

 その強大な力に裏打ちされた、ソウライの発言だった。

「これ以上、ミズカ様の御身を血で汚す気か?」

 クレノが睨みつけると、ソウライは肩をすくめる。

「ならばあなたが働くことですね、天代守」

 皮肉めいた言い方だった。内心の苛立ちをおくびにも出さず、クレノは、

「ああ、ミズカ様のためにな」と薄笑いを浮かべる。

 ソウライはクレノの真意を推し量るように、わずかに眼を細める。

「それで、どうするのですか。あなたが行かないと言い張るのであれば、わたしたちだけでもミズカの家に向かいます。場所を教えてください」

 どうやら、これ以上引き延ばすのは限界のようだ。それに滞在が延びれば延びるだけ発見される危険も大きくなる。とりあえず、ミズカを家族に会わせて神使を納得させなければならない。そしてその後は……どうすればいいのだろう。

 道中も、都に着いてからもずっと、クレノは神使をミズカから引き離す方法を考えていた。だが、何も良策は思い浮かばなかった。手がかりを求め、神問省の蔵書庫に忍び込もうともしたのだが、警備が厳重すぎて無理だった。

 クレノはソウライのかたわらにある剣を盗み見る。鞘に収められた剣は、かつて神使を斬ったという神宝だ。

 これまで幾度となく剣を奪う機会はあった。だが、クレノはそのたびにためらって、毎回実行に移せなかった。ミズカを斬って、神使の御霊だけを滅せるのならばいい。しかし、もしもミズカの命まで断つことになったら……。

「おれも行くよ、もちろん」

 考えがまとまらないままにクレノは言う。ソウライは唇の端を持ち上げる。

「そう言ってくれると思っていました」

「ただし、直接家に行くのはだめだ。ミズカ様の父親は仕事が終わった後、必ず小料理屋に立ち寄る。その帰りに接触する」

「またずいぶんと回りくどいことをするのですね」

「悪いな。臆病なんでね」

「……いいでしょう。あなたにはこれまで世話になってきました。信用していますよ」

「そいつはどうも」

 クレノは腰の鞄から二つの包みを取り出した。

「ところで、昼飯を買ってきたが、食うだろ?」

 露店で買い求めた串焼きだ。クレノは豚と野菜を焼いたものを取り、ソウライには魚の塩焼きを渡す。

「ありがとう。頂きます」

 ソウライがおいしそうに魚を食べ始める。

 クレノも豚肉にかじりつく。塩胡椒を振った豚肉だ。味はいいのだが、故郷の猪肉の方が絶対うまかったと思う。ひとじゃなくなっても、好みや食べるものは変わっていない。その事実を思うと、少しだけ安堵する。

 魚を食べ終わり、満足そうにお腹をさすると、ソウライは敷いてあった薄っぺらい布団に目をやった。

「お腹がいっぱいで眠くなりました。少し休みます」

 ソウライは布団に横になり、毛布にくるまる。すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。神使が憑いていても、ミズカの身体は休息を必要とするようで、定期的に睡眠を取る。その間は神使の意識も一緒に眠っているらしく、ミズカは完全に無防備となる。寝首を掻こうと思えばいくらでも掻けるのだ。クレノを信用しているという神使の言葉に偽りはないのだろう。

 クレノはミズカの寝顔を眺める。一切の苦悩から解放されたような、安らかな寝顔だった。自らを神使に委ね、ミズカはもうずっと夢の中をただよっている。そこにはおそらく苦しいことも、哀しいこともない。

 ソウライはミズカを幸せにしたいと言った。天代の重責も、人の世のわずらわしさも、いまのミズカには関係ない。それはもしかしたら、幸福と言えるのではないか。

 ミズカから神使を引きはがしてもいいのだろうか。心地の良いまどろみを奪い取ることになりはしないか。

 クレノは串の先を指に刺す。赤い粒が盛り上がった。指をこすり合わせ、血をぬぐう。傷は瞬く間に癒えていた。

 ここに来て何を迷う。自分を殺し、人でないものに変えた神使を恨んでいるのではなかったか。

 何にせよ、今夜だ。ミズカが父親と会うことにより、何かしらの変化が起きるのは間違いない。

 夜に備えて、クレノも眠ることにした。壁に背をもたせかけ目を閉じる。眠りに落ちる直前、目蓋の裏に浮かんだのは、幼い頃のイスカと、ヒイナと、自分だった。

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