第22話 ユサナ④
お茶をおいしそうに飲んで、ユサナはほうっと息を吐き出した。
「さて、何から話そうか」
「差し支えがなければ、ユサナさんのことを教えてもらってもいいですか」
何にせよ、聞ける範囲でユサナのことを知る必要があった。
「いいわよ」
「天代だったんですよね」
「ええ。シュンセイ領の神獣を担当していたわ」
「シュンセイで、しかも神獣をお鎮めしていたんですか。すごいですね」
東にあるシュンセイ領は天子の御所がある領で、アキツ国の中枢である。シュンセイ領の神獣を担当する天代となれば、相当の重要人物だ。
「ぜんぜん、すごくなんてない。神獣は樹下に実体があるからね。洞に入って御魂と直接対面する必要がないの。わたしは幹に手を当てて話をしたり、歌を歌っていただけ」
神使と違って、神獣はあくまで封印されているだけだ。その身体を完全に滅ぼすことはできなかったらしい。
「ところで、シュンセイの天代だったのなら、なぜシュウカ領に住んでいるんですか?」
役目を終えた天代の処遇について、イスカは何も知らなかった。
「色々込み入っているの。まあ、きみになら、話してもだいじょうぶかな」
「ユサナ様」
脇に控えていたリョウブが、押し殺したような声を発した。
「イスカくんは無関係ではないのよ」
「どういうことですか?」
「イスカくんの中には神使がいる」
無言だったが、リョウブの顔に驚愕の色が広がった。
居住まいを正し、ユサナはイスカの目を見据える。
「きみは、天代についてどれくらい知っている?」
「え、と。神問省に選ばれて、年に一度、鎮めの儀を行って、そして」
「そして?」
「孤独です」
イスカが知っていることはたったこれだけだった。改めて、自分が天代について何も知らないことに気づかされる。
「ぼくは天代守です。なのに、これだけしか知りません……」
「天代について詳しいことを知っているのはほんの一握り。気にすることはないわ」
言って、ユサナは寂しげに笑う。
「きみは天代を孤独だと知っている。充分よ」
天代はね、とユサナは静かな口調で続ける。
「神獣、神使の声を聞くと同時に、怒りを受け止めるの」
「怒りを、ですか?」
「どんなに穏やかな神使でも、ずっと木の中に閉じ込められていたら、鬱憤も溜まる。それをそのまま放置していると、悪い神気となって神樹の外に漏れだしてしまう。だから天代が受け止めるのよ。年に一度、鎮めの儀でね」
「もしかして、妖獣って」
「野生動物は神気の影響を受けやすい。受け止めきれず溢れた悪い神気が関わっていると思うわ。……天代だって万能じゃないから、すべてを受け止めるなんてできない」
一旦言葉を切ったユサナは、自分の髪に手をやった。
「神気を浴び続けると、いずれ身体に変調をきたす。わたしの場合、髪の色が目に見える変化。真夜中になると、こうなっちゃうのよ。変化は限界の印でもあるわ」
「つまり、それ以上神気を受け止められないと?」
「そういうこと。そして、限界を迎えた天代は、次の天代と交代する。お役ご免となった後は悠々自適の生活、といきたいんだけど、そうもいかないのよ。ここで、どうしてわたしがシュウカにいるかという話に繋がるの」
喉の渇きを覚え、イスカはお茶を飲む。薬湯のような味わいだった。あんまりおいしくないが、気分を落ち着ける効能でもあるのだろうか。
「神気を浴びすぎた天代は、妖獣を呼びよせる存在になる。そうなったら、ひとの住む場所の近くにはいられない」
「そんな、じゃあ……」
「隔離ということになるわね。この庵はいわゆる隠れ家なのよ。アキツ各地に点在しているうちのひとつ。わたしの場合、たまたまここが空いていたから住むことになったの」
ユサナは何でもないことのように言う。
「あんまりじゃないですか……」
頑張ってきた天代を役目が終わるなり故郷から引き離し、遠い場所に隔離する。そんな勝手があるかと思った。
「何が?」
きょとんとした顔でユサナが訊く。どうしてと思った。どうして、こんなに自身の哀しさに無自覚なのか。
「天代として選んで、神使を任せてきたくせに、最後には追い出してしまうなんて。ひどいことですよ。勝手すぎます」
「フウエンと同じ事を言うのね。でもわたしはそう思わない」
「なぜですか」
「殺されないだけ、いいでしょう」
「殺すって……」
「お役目を終えた天代は危険だから始末してしまえ。……って主張する人たちが出てきても、おかしくないでしょ?」
そんなのおかしいと思った。間違っていると思った。でもあり得ることだとも思った。
命があればいいというのは、ユサナの心からの本音だろう。重みがあった。
だけど――。
人の世の営みから切り離され、孤独の世界を生きる。
天代であったときと、何も変わらないのではないか。人としての幸せを求めてはいけないのか。
本当にそれでいいんですかと言おうとして、イスカは直前で思いとどまった。ユサナのことをよく知らないイスカが軽々しく口にできる言葉ではなかった。
黙って唇を噛んだイスカに、ユサナは微笑みかけた。
「ありがとう。きみはやさしいんだね。わたしはだいじょうぶだよ。もう、ひとりじゃないし、ここでの生活、わりと気に入っているから」
「妖獣とか、怖くないんですか?」
「あの子たち、いまはちょっと気が立っているけど、本当はおとなしいの。まあ、元々わたしのことは襲わないんだけど。仲間だと思っているのかしらね」
なるほどこの場所は安全だ。皮肉なことに、妖獣までもが意図せざる護衛として機能している。
「……ツクバネ村の人たちは、このことを?」
「一部分だけ。もっとも、食料調達なんかはリョウブがやってくれるから、わたしの顔は誰も知らない。妖獣を呼び寄せる得体の知れないやつがいる、くらいの認識かしら」
森に入るなという掟の意味が、おぼろげながらわかった気がした。
村人たちの余裕のある暮らしぶりは、おそらく税の軽減が理由だ。もしかしたら朝廷から補助も出ているのかもしれない。引き替えとしてユサナに関しては目をつむり、口をつぐめ。万が一妖獣が村を襲っても、文句を言うな。そういうことなのか。
『役目を終えた天代は厄介者扱い。ひとがひとを使い捨てにするのか』
誰が天代の制度を考えたのかは知らない。
だが、その顔も知らぬ誰か、そして天代という制度を整え、関わってきた無数の人々にイスカは怒りを覚える。その中には他でもない、自分自身も含められていた。天代守になったのはミズカを守りたかったからだ。だというのに。
「さて、わたしの話はおしまいにしましょう。次はイスカくんの番」
「……あ、は、はい。わかりました」
「なぜ、きみの中に神使がいるのかしら」
来た。さて、なんと答えたものか。
ソフウの事を話せば、ミズカのことにも触れなくてはいけない。いくら元天代といえども、どこまで話していいのか。
「言いたくない?」
「それは……」
「もしかして、神問省が躍起になって捜している、トウガの天代の子と何か関係があるのかな?」
「……!」
「あ、やっぱり。イスカくんは正直だね。顔にすぐ出る」
「トウガのこと、なぜ知っているんですか?」
「ちょっとした情報網よ」
辺鄙な場所にいるユサナに情報をもたらした者は誰か。
「フウエンさん、ですか」
旅人と自称していたフウエンの名が真っ先に浮かんだ。
「まあ、そういうことね」
ユサナはすんなり認める。
「フウエンさんは神問省の関係者ですか? 追っ手とか」
「フウエンについては、わたしの口からは言えない。ただ、追っ手じゃないことは確かよ」
イスカは黙ってうつむく。
「いまのわたしたちは神問省とは何の関係もない。縁ならとっくに切れているわ」
イスカのためらいを見透かしたように、ユサナは言った。そうして、イスカの瞳をのぞき込む。
吸い込まれるようなユサナの瞳だった。
「ぼくは生き残りなんです」
気づいたら言葉が口から滑り出していた。信じようと思った。根拠など何も無い。ただ、天代を務めていたという目の前の女性を信じたかった。
「鎮めの儀の日、ミズカ様を護衛していた天代守は、ぼく以外みんな殺されました。父も、友達も、神使に殺されたんです。……ぼくも死ぬところでした」
胸を押さえる。あの時のことを思い出すと、どうしても胸がうずく。
「死にかけたぼくを救ってくれたのが神使のソフウです。ソフウに呼ばれて神樹の中に入って、それで命を救ってもらいました」
「トウガの神使は二柱だったわね。一方がミズカちゃんに憑いて、一方はイスカくんに宿ったのね。……旅をしているのは、ミズカちゃんを捜すため?」
「はい」
改めて、一体どういう巡り合わせなのかとイスカは思う。
本当ならば、あの時自分は死んでいたはずだった。なのに生き残って、こうして旅をして、ミズカを捜している。
「つらかったでしょう。よく、がんばってこられたね」
ユサナのやさしい声を聞いたら、なぜか目の前がぼやけた。はりつめていたものが、ふっつり切れた気がした。
「なんでぼくだったのか、わからないんです。一緒にいたクレノは、とても強くて、頭もよくて。……それを言ったら父さんやみんなも、ぼくより、ずっと、ずっと」
いままで胸に詰まっていたものが、急にあふれ出てきた。
「ぼくよりもっとうまくやれる人たちが死んでしまい、一番力のないぼくだけが生き残ってしまった」
詰まっていたものは劣等感であり、無力感であり、罪悪感だった。ソフウにすら隠していた、心の奥底にずっとわだかまっていたものだった。
いまならば、ツクバネ村に留まりたいと思った裏にある本当の気持ちがわかる。
必要とされたかったからだ。自分の力で誰かを助けることができると、たとえ錯覚だとしても思いたかったからだ。
そして何より――。
「ぼくはミズカ様に会うのが怖い。助けるって誓ったけど、本当にできるか、自信がない」
『イスカ、おぬし……』
一度手ひどい失敗をした。今度も失敗しないとは限らない。誓いは決して嘘ではないが、実現できるかどうかはまた別の問題だった。
「きみはひとりなの?」
ユサナが尋ねた。静かな問いかけだった。イスカは顔を上げた。
ぼくはひとりか?
『おぬしはひとりか?』
「……違う」と、かすれ声でイスカは答えた。
「ぼくはひとりじゃない」
今度ははっきりと答える。
これまで戦ってこられたのは誰のおかげか。折れずに立っていられたのは誰のおかげか。
ひとりじゃない、ソフウがいる。自分で言ったばかりだったのに。
「どうして、ソフウはきみを呼んだの? なぜ、きみの命を救ったの?」
重ねてユサナは問う。
ソフウがイスカを呼んだのは、イスカの意志を感じ取ったからだ。死にたくない、生きたいという強い意志だ。そして、生きたいと願ったのはなぜだ。
「ソフウがぼくを救ってくれたのは」
答えは明白だった。
「一緒に、ミズカ様を助けるため」
次にミズカと向かい合うとき、イスカはひとりではない。
「うん。きっと、きみたちはだいじょうぶだよ」
『言われるまでもないわ。なあ、イスカ』
腕で目をぬぐって、イスカはうなずく。ソフウと一緒にいたくせに、自分一人でなんとかしようと考えて、あげく、怯えすくんでいた。
「すみません。なんか、弱音を聞かせてしまって」
「誰だって弱音が出ちゃう事はあるよ。でも、いいんだと思う。吐き出して、軽くなって、少しでも前に進めるなら」
言って、ユサナはイスカの目を見る。
この目だ。心の奥まで見通すようなユサナの目に見られると、つい何もかも話してしまいたくなる。そして、ユサナにはそれを受け止める包容力があった。
『天代とは関係無しに、この娘の資質だな』
「ところで、イスカくんはミズカちゃんの行く先に心当たりはある?」
「……いえ、ここまではソフウが神気を辿ってくれたんですが、見失ってしまったんです。もしかして、何かご存じなんですか?」
「十日以上前のことかな、イスカくんの中にいる神使と似た神気を感じたわ。森の妖獣が騒ぎ始めたのはそれからね。近くを通ったことは確かよ。ただ、どこに行ったかまではわからない。……でも」とユサナは一拍置いて続ける。
「推測することはできる。神使の気持ちから考えるの。なぜ、神使はミズカちゃんに憑いたのかしらね。自由のため? 復讐のため? それとも、純粋にミズカちゃんを思って?」
ひとつ、思い当たることがあった。
「あの神使、ソウライは、ミズカ様に幸せをあげたい、と」
しかしミズカにとっての幸せとは何だろうか。そもそもミズカが何を望んでいたか、イスカにはまるで見当がつかない。
『ミズカは家族を恋しがっていた。隠そうとしても隠しきれない、殺そうとしても殺しきれなかった想いのひとつだ』
ソフウがぽつりと言った。
「家族……?」
イスカが呟くと、
「……あぁ」と、ユサナはわずかに目を伏せた。
「ミズカちゃんのご家族は?」
『シュウカの都にいるはずだ。ミズカが口にしたことがある』
「ソフウが言うには、シュウカの都だと」
「ならば決まりね。ミズカちゃんに憑いた神使はきっと、都を目指しているはずよ」
「家族に会うためですか。でも、いまのミズカ様が家族に会ったら……」
「間違いなく、いい結果にはならないでしょうね」
「そんな……、止めなくちゃ!」
これ以上、ミズカに哀しい思いをしてほしくなかった。立ち上がろうとした途端、目眩がしてイスカは膝をつく。
「そんなへろへろで無茶しないの。怪我だってしてるんだし」とユサナはイスカの肩に手をかけた。
「痛みなら我慢できるし、怪我はソフウが塞いでくれるから平気です」
イスカが言うと、なぜだかユサナは一瞬だけ哀しそうな顔になった。勢いを削がれたイスカが戸惑っていると、気を取り直したように、
「……ここからシュウカの都まで、女の子の足ならかなりかかるわ。天代守なら馬に乗れるわよね。うちの馬を一頭貸すから、夜が明けたら追いかけなさい」
「けど」
「自慢の駿馬よ。買い出しくらいにしか出番がなかったから、きっと張り切って活躍してくれるわ。無事、ミズカちゃんを助けることができたら返しに来て」
決して強い口調ではないが、逆らいがたいものがあった。
「わかり……ました」
「よし、いい子」
と、ユサナはイスカの頭を撫でる。肩の力が抜ける。完全に子ども扱いされていた。
「一人で戻れる? 部屋までおんぶで連れて行った方がいい?」
「せっかくですけど、遠慮しておきます。フウエンさんに怒られますから」
「な、な……。ふ、フウエンは関係ないわよ」
「それでは、失礼します」
微笑し、イスカは部屋に引き上げていく。
その背を見送ったあと、ユサナはふっと吐息を漏らした。
「まさかまた、こういう形で神使と関わるなんてね」
「お嫌ですか?」とリョウブが尋ねる。
幼い頃からユサナを見てきたリョウブは、ユサナが平穏な生活を望んでいることを誰よりも知っていた。
ユサナにしてみればもう過去のことで恨んでなどいないのだが、リョウブはずっと引け目を感じているようだった。かつて神問省の人間として、ユサナを家族から引き離したことに。
ユサナはリョウブたちが自分を連れ出しに来た時のことを思い出す。他の人間たちが無表情な中、リョウブだけが苦悶の表情を浮かべていた。
「いいえ。ただ少し、びっくりしただけ」
神使を宿した少年と、神使に憑かれた少女と。ユサナは二人の数奇な運命を思う。
「イスカくん、ミズカちゃんを救えるといいね」
ユサナは言う。リョウブは黙ってうなずく。
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