第21話 ユサナ③

「どういうつもりですか、リョウブさん」

「いまのを凌ぐか」

 一度は捉えたはずのリョウブの気配が消える。気づいたら、喉元に刃を突きつけられていた。あまりの速さに背筋が凍える。

「答えろ、きみは何者だ」

「なんだか知らないけど誤解です。ぼくはただの旅人で」

 頬を刃がかすめる。流れ出した血が頬を伝う感触。すさまじい早業だった。

「嘘を言うな。ただの旅人が天羽の小太刀を持つのか」

 一般人は、天羽の小太刀についてはまず知らない。通常の天代守と天羽の区別もつかないくらいだ。

「あなたこそ、何者なんです」

 斬撃。受け止めた小太刀は巻くように搦め取られ、部屋の奥に飛ばされた。

「質問しているのはわたしだ。正直に答えなければ、次は耳を落とす」

 抑揚のないリョウブの声、単なる脅しとは思えなかった。

「……トウガ群所属の天代守です」

「天代守がなぜここまで来た」

「サギリを助けるために」

 再び頬を斬られた。

「そうじゃない。どうして持ち場であるトウガ地方を離れたのかと訊いている」

「……特務です」

「どんな特務だ」

 さすがに腹が立ってきた。どうしてこんな一方的に尋ねられなくてはいけないのか。攻撃までされて。

 闇に目がだいぶ慣れた。リョウブの姿も、おぼろげに捉えられる。

「あなたには言いたくない」

 イスカは毅然とした態度で言い放つ。

 暗闇を斬撃が走った。宣告どおり耳狙いの攻撃を、イスカは身を逸らして避ける。

 半身になりつつ、手の甲でリョウブの手首を打つ。短剣が落ちるが、リョウブは武器には目もくれず、そのままみぞおちに拳をたたき込んでくる。イスカはとっさに腕でかばう。重たい衝撃は防いだ腕を抜けてきた。

 うめきつつ、後ろに下がった拍子に背中が戸に当たる。夜の静寂を破る音が響いた。伸びてきた手に喉をつかまれる。ものすごい握力だった。

「狙いはユサナ様か?」

「な……に、を」

「誰に頼まれた」

「さっき……から、わけの……わからない……ことを!」

 身をよじり、踵でリョウブの膝頭を蹴る。わずかに拘束が緩んだ。隙間に指をねじ込み爪を立てて振りほどく。脇腹を蹴り飛ばし、押しのけた。

「油断がならないな。さすがによく訓練されている」

「ぼくのこと、暗殺者か何かと勘違いしてませんか」

「違うとでも?」

「違います、と言っても信じてくれなさそうですが」

「信じるための材料は何一つ無い」

 話し合いには応じてくれそうもない。この場を切り抜けるためには、相手を無力化する必要があるようだ。できれば、命を奪わずに。

 覚悟を決めたイスカが、攻勢に出るために踏み出そうとしたときだった。

「ちょっと、何騒いでるの?」

 戸が開いて、明かりが飛び込んできた。イスカは反射的にリョウブから間合いを離し、振り向く。

 手燭を持ったユサナが立っていた。しかし、その髪。

 明かりに照らされるユサナの髪は、青みを帯びた銀色になっていた。

 部屋の奥にいたリョウブに目を止めたユサナは、厳しい顔つきになる。

「リョウブ、お客様の部屋で何をしているの?」

 呆気にとられるイスカをよそに、ユサナは鋭い口調で問う。迎撃のための構えのまま、リョウブは、「ユサナ様、お下がりください」と言う。

「いいから、わたしはなにをしているのかと聞いているの」

「危険人物の検分です」とリョウブは答える。

「危険人物? イスカくんが?」

「はい、この少年は得体がしれません」

「……リョウブ」とユサナはため息をついた。

「わたしを殺めようとする暗殺者が、わざわざ森に迷い込んだ子供を助ける?」

「油断させるための策である可能性も」

「ぼろぼろになってまで? ずいぶん効率が悪いわね。暗殺者はもっと狡猾で、血も涙もないものでしょう」

「それは……そうですが」

「あなただって、本当は検分なんてしたくないんでしょ」

 リョウブは無言のままだった。ただ、わずかに気持ちが揺らいだのをイスカは感じる。

「わたしの言葉も足りなかったわね。イスカくんは暗殺者なんかじゃない。わたしが保証する」

「……ユサナ様がおっしゃるのならば」と納得し切れていないようだが、リョウブは構えを解く。

 うなずいて、ユサナはイスカに、

「ごめんね、イスカくん、怖い思いをさせて」と安心させるように言った。

「あ、いえ、ぼくは、そんな」

 そこで、ユサナはイスカの視線に気づいた。

「この髪、夜になるとこうなっちゃうの。気にしないで」

 と言われても、気になる。

 昼間は黒色だった髪がどうして銀色になるのか。銀色の髪なんて、聞いたこともない。そして、この気配。神使に憑かれたミズカと相対していたときと同じだ。

 身体がざわざわする。神経が高ぶる。昼間とはまるで別人のような雰囲気だった。

 おごそかで、幻想的で。ひとでありながら、ひとではない。そんな印象を受けた。

『やはりな。イスカ、この娘の正体がわかった。天代だ』

「天……代?」

「よくわかったわね。そう、わたしは天代よ。元、だけどね」

「……どういうことですか」

「お茶でも淹れて話しましょう。本当は朝になってからって思っていたんだけど」

 言って、ユサナは目で合図を送る。

 黙礼し、自分の短剣を拾い上げてリョウブが部屋を出て行く。

 そういえば、とイスカはいまになって気づく。あのひとは、一度も怪我した部位を狙ってこなかった。わざわざ耳を落とすと言って、その宣言通りに攻撃をしたり、もしかして手加減していたのだろうか。

「眠れなかったからちょうどよかったわ。わたしも知りたかったの。あなたの中にいる神使のこととか」

 予期せぬユサナの言葉だった。

「! なぜそれを」

 天代の力で気づいたのか、それとも他の理由があるのか。

 元天代とのことだが、もしかしたら、いまでも神問省と繋がりがあるのかもしれない。だとしたら面倒なことになる。

「まずは落ち着いてから、ね?」

 ユサナはふわりとした微笑を浮かべる。不思議と、ひりついた神経が鎮まるような笑みだった。

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