第19話 ユサナ①
両者とも凄まじい剣捌きだった。寒気すら覚えるほどの剣舞。一閃は一片の慈悲もなく確実に妖獣を斬り裂く。血煙が舞い、妖獣が見る間に斬り伏せられていく。イスカは参戦することも忘れ、ただ見惚れていた。
「締めはもらった」
ほどなくして、青年によって最後の一匹が斬り捨てられた。
「腕をお上げになりましたね」
剣の血を払い、鞘に収めて壮年の男性は言った。
「そなたにはまだまだ及ばん。まったく、衰えをしらんのか」
青年は苦笑し、血を払った剣を収めた。そしてイスカに向き直る。
飾り気はないが高価そうな長衣には血の染みがなかった。あれだけ斬っておきながら、返り血をほとんど浴びていない。
「さて、少年。村の者ではなさそうだが、ここで何をしている」
「……あ、その、」
「おっと、すまない。いまはそれどころじゃないな。怪我の手当てが先だ。歩けるか?」
自分の怪我の具合より、サギリが心配だった。
「ぼくは大丈夫です。助けて頂いて、ありがとうございました」
言って、イスカはサギリがいる木の方に行こうと歩き出す。
「……う」
足に力が入らない。しゃがみ込み、下衣の裾をめくり噛まれた部分を確認する。ふくらはぎの血は止まっているものの、傷がほとんど癒えていない。肩と脇腹も同様だ。なぜ、とソフウに問おうとして、人目があることに気づく。あれだけの怪我が短い間に癒えたら、不審がられるに決まっていた。ソフウの気遣いだ。
「だ、だいじょうぶ?」
木から勢いよく下りたサギリが駆け寄ってくる。
イスカは自分の姿を見下ろし、怯えや恐怖の目で見られたらどうしようと恐れた。
「……サギリこそ、怪我とかしてない?」
「おれは平気だよ。イスカにい、ごめんなさい。おれのせいで」
サギリはイスカを恐れてなどいなかった。
安心する反面で、サギリを疑った自分を情けなく思う。
村人の中にはイスカの戦いを見てから、露骨にイスカを避ける者が少なからずいた。けれども、サギリは最初からずっと、変わらず接してくれたのだ。
「無事ならいいんだ。けど、あんまりみんなに心配かけるなよ」
「うん……本当に、ごめんなさい」
「そっちのおちびさんはどうやら村の人間らしいな。ほら、少年、肩を貸すからつかまれ。後で事情を聞かせてもらうが、まずは手当てだ」
青年は有無を言わさずイスカの腋に手を入れ、肩につかまらせる。服が汚れるのを気にする様子もない。
「庵に連れて行くのですか?」と壮年の男性が訊ねた。それから、イスカに一瞬だけ探るような視線を送る。
「ここからなら村より近い。ユサナも怒らんだろ」
うなずいた男性は、それ以上何も言わなかった。
「あの、あなたたちは?」
「おれはフウエン、旅の者だ。こっちの無愛想なのはリョウブで、この森に住んでいる。二人とも怪しいものではない、と言って説得力があるかどうかわからんが」
そう言って青年は人なつっこい笑みを浮かべた。
何ともつかみ所がない、ひょうひょうとした青年に、武人を思わせる男性。妙な取り合わせだ。信用してもいいものか。
『こやつらから、悪い気配は感じない。ひとまずついて行っても、いいのではないか』
悩んでいたが、ソフウの一言が決め手になった。さすがに気持ちを察するのがうまい。
「じゃあ、ご好意に甘えさせてもらいます」
その庵は、森の中に隠れるようにひっそりと建っていた。馬小屋もあり、庵と言うよりちょっとしたお屋敷だ。
「戻ったぞ」
戸を開けて、フウエンは言った。ほどなくして、奥から女性が顔を出す。小袖を着た、きれいな女性だ。透き通るような肌の白さは、ミズカを連想させる。
「お帰りなさい。どうだった?」
「ユサナの言うとおりだった。妖獣共が騒いでいたよ。んで、その中心にいたのがこの子たちだ」
「可愛いお客様ね……って、そっちの子、怪我してるじゃない」
「手当てを頼めるか」
「もちろん。準備するから、上がってて。リョウブ、手伝ってくれる?」
女性が奥に消え、リョウブも女性に続く。
土間を通り、フウエンは上がりかまちにイスカを座らせた。武器は脇にまとめて置く。サギリは物珍しそうにきょろきょろしている。
「お待たせ。もう少しでお湯が沸くから、まずは怪我を見せて」
女性が薬箱を持って戻ってきた。
「ありがとうございます。でも自分でやりますから、大丈夫です」
「子どもが変な遠慮しないの、ほら」
女性がイスカの腕に触れた。途端、女性の顔つきが変わった。眼を細め、何事か考え込む表情になる。
『この者……?』
「どうした」
イスカが訊きたかったことを、フウエンが訊いてくれた。女性は、
「ん、なんでもない」と、何事もなかったかのように笑顔になり、イスカの服を脱がせにかかる。
「わ、わ。血とかついてて、汚いし……。手が汚れますよ」
「気にしない気にしない」
押しが強いというわけでもないのに、なぜか逆らいがたい。かといって、女性に服を脱がされるのはいやだ。幼い子どもじゃあるまいしと思う。
「ぼくが気にしますっ! 自分で脱ぎますからっ!」
血でごわごわになった上衣を思い切って脱ぐ。身体に刻まれた新しい傷の他、胸や肩の傷跡にも目をやった女性は眉を寄せる。傷を目にしたサギリも息を呑んだ。
「……そういえば、自己紹介がまだだったね。わたしはユサナ。きみは?」
服をたたみながらユサナは言った。
「イスカです」
「イスカくんね。ずいぶん鍛えているみたいだけど、修行の旅でもしているの?」
「……ええ、そんなところです」
まさか本当のことを言うわけにもいかないので、適当に調子を合わせる。
「かなりの腕前だよ。おれたちが駆けつけたときには、すでに妖獣の半分以上を片付けていたからな」
フウエンが言う。ユサナはフウエンを横目でにらむ。
「強さなんて関係ない。無茶して死んでしまったらどうするのよ」
「それは武運が無かったのさ」
「そういう問題じゃないでしょ。そもそもね、フウエン、あなたは一人であちこちふらふらしてるけど、自分がどういう立場にいるかわかってるの? 剣だけじゃ片付かないこともあるのよ」
「また始まったよ」
げんなりした様子でフウエンがぼやいた。
「あなたが自分の立場を自覚するまで、わたしは何度でも言わせてもらいますからね」
「おれは構わんが、イスカの怪我はいいのか?」
「……いけない。ごめん、イスカくん」
「いいんです。ぼくこそ、すみません。お二人に喧嘩させちゃって」
原因が自分の怪我にあるとしたら心苦しい。
「イスカくんのせいじゃないわ。この子は昔っからこうなの。言っても言っても聞かないんだから」
「子ども扱いはよしてくれってば」
「ユサナ様、お湯が沸きました」
リョウブが、お湯の入ったたらいを抱えてきた。ユサナの気が逸れたのを幸いとばかりに、フウエンはイスカに、
「いまのやりとりは忘れてくれると嬉しい」と小声で言った。
「わかりました」とイスカは微笑する。少しおかしかった。あんなに強いフウエンなのに、ユサナには頭が上がらないらしい。
どういう関係なのだろう。仲がいいみたいだが、恋人とはまた違うような気がする。
そして、さきほどのソフウの反応も気になる。一体――。
「はい、ちょっとしみるよ」
「いっ……!」
それまでの思考が吹き飛んだ。
お湯を含ませた清潔な布が傷口に当てられ、イスカは思わず悲鳴を上げそうになる。
『痛みを忘れるな。命取りになるぞ』
忘れてなんていないよ、ずっと。イスカは心の中で呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます