第18話 ツクバネ村にて④

「イスカ! 大変なの!」

 空に飛んでいた意識は、アザミの声によって地上に引き戻された。息を切らせながら、アザミはイスカにしがみつき、もう一度「大変なの」と言う。

「どうしたの」

 アザミを落ち着かせるように、イスカは柔らかく訊いた。

「サギリが森に行っちゃった! 妖獣を退治してやるって」

 さきほどのサギリの様子を思い出す。頭に血が上っていたとは言え、いきなり森に突っ込むとは予想できなかった。

「なんて無茶を……」

「それで、いま、大人たちが村はずれに集まって相談してる」

「わかった、ぼくも行くよ」

「お願い、サギリを連れて帰って」

 力強くうなずき、イスカは村はずれに向かう。


 獣止めの柵の側に、弱り切った顔をした大人たちがいた。

 急ごしらえで作った柵はあちこち綻びができている。はしっこいサギリだったら、見張りの眼を盗んでくぐり抜けるくらい、苦もないことだっただろう。

「……イスカ」

 イスカに気づいた男、サギリの父が、すがるような眼を向けてきた。

「アザミから聞きました。サギリが森に入ったそうですね」

「そうなんだ。だが……」とサギリの父は、男たちに恨みがましい視線を送る。

「探しに行かないんですか?」

 イスカが言うと、男たちは気まずそうに目を逸らす。

「助けに行かないんですか?」

 イスカは続けて言う。それでも男たちは何も言わない。ならばもういい。勝手にやらせてもらう。

「ぼくは行きます」

 言って、イスカは柵に手をかけた。

「待ってくれ」男たちの一人が、低い声を出す。

「森は禁足地なんだ。何人たりとも立ち入ることはできない」

「禁足地? 神樹がないのに?」

「村で決めた掟さ」

「なぜです」

 理由を問うと、男は言葉を濁した。

「……よそ者のおまえには関係ない」

「だったら、ぼくがその掟に従う必要は無いですね」

 イスカが柵を越えようとすると、男たちの間に緊張が走った。中には手にした農具を構える者もいる。

『よくない雰囲気だな』

「ごめん、ソフウの忠告、無駄になっちゃったね」

 イスカは小さく呟く。

『それでも、おぬしは行くのだろ?』

「もちろん」

 イスカは柵に手をかけたまま、声を張り上げる。

「よそ者のぼくにあなたたちの掟をどうこう言う権利はない。けど、訊かせてください。それはサギリの命より重いものなんですか?」

 村人たちは何も言わなかった。

 沈黙の中に答えがあった。

 そうして、イスカは柵を乗り越えた。村人たちは、誰も止めようとしなかった。


 サギリの後を追うことは、さほど困難なことではなかった。足跡がくっきりと残っていたからだ。どうやら森に入って早々に妖獣に見つかったようで、サギリの足跡の他に、獣の足跡がいくつか見受けられる。この森はトウガの神域と同じような感じがする。皮膚がざわざわするような、落ち着かない感じだ。

『ここまで神気が濃いとはな。これではソウライの神気を見失うわけだ』

「でも、どうして」

『わたしにもわからぬ。もしかしたら何か、神使に準ずる存在でも――』

 そこでイスカは妖獣たちに遭遇した。

 数は三匹。鹿に似た妖獣たちは一本の木の下に群がって、上を見上げて威嚇のうなり声を上げている。

「イスカにい!」

 樹上からサギリの声、顔を上げれば、木にしがみついているサギリがいた。

「もうちょっとだけ我慢しててくれ!」

 駆け寄りつつ、手近な一匹を杖で打ち倒す。

 いきり立って突進してきた一匹をやりすごし、横から首に一撃をお見舞いした。

 残るは一匹。木々の枝が邪魔にならない位置取りをする。

 妖獣が向かってきた。

 杖を両手いっぱいで取り、足を踏み出しつつ斜め上方から顔面を打った。素早く杖を引き戻し、逆の手でもう一度同じ動作をして完全にとどめを刺す。

「やっぱりすごいや」

「まだ下りてきちゃだめだ!」

 安堵し、下りてこようとするサギリにイスカは鋭く警告を発する。

 周囲に無数の殺気があった。

 完全に囲まれている。

 ほどなくして、殺気の主たちが姿を現した。

 元は狼と思われる妖獣たちだ。大きさは通常の狼と大差ないが、爪や牙が異常に発達している。

『厄介だな。気をつけろ』

 ただでさえ手強い狼が妖獣化した場合、並の妖獣を遙かに凌ぐ強敵になることは想像に難くない。数も多いし、確かに厄介だ。

 けど、負けられない。サギリを連れて帰ると約束したのだから。

 イスカは杖を構え、戦闘を再開する。

 躱し、打ち、叩き、潰す。

 動作に澱みはなく、ためらいもない。

 襲い来る妖獣を次々となぎ倒す。倒しても倒しても妖獣たちはひるまない。仲間の屍を乗り越え、巧みな連携を駆使してイスカに食らいつこうとする。

「う、うわぁ!」

 倒した数が十を超した辺りのことだった。聞こえてきたサギリの悲鳴に、イスカの気が逸れた。サギリのいる木に一匹の妖獣が取りついている。

『構うな。どうせ木には登れん』

 ソフウの忠告は届いていた。だが、聞き入れることはできなかった。

 イスカは袖の内に仕込んでいた投擲用の短剣を抜き、投げつける。狙いは違わず、短剣は妖獣の頭部に突き刺さった。

『たわけ、何をしている!』

 わずかな隙だった。その隙を逃さず、一匹の妖獣がイスカの脚に噛みついた。ふくらはぎに牙が食い込む。

 痛みをこらえつつ、イスカは手刀で妖獣の眉間を打った。

 身体を振って、妖獣を幹に叩きつける。それでも妖獣は離れない。

 杖を片手で短く持ち直し、首を狙って打ち下ろす。骨と肉が砕ける嫌な音が響いた。絶命した妖獣を振りほどく。

『うかつだぞ』

「わかってる。けどこれがぼくのやり方なんだッ!」

 一息つく間もなく、真正面から新たな妖獣が飛びかかってくる。

 杖を振るうには近すぎた。首に噛みつこうと開いた狼の口に、とっさに手を突っ込んで舌をつかむ。狼が顎を閉じるが、気にせず地面に叩きつけた。踵で首を踏み折って息の根を止める。

 口をこじ開け引き抜いた手は血にまみれていた。

 これで何匹倒した? あと何匹倒せばいい? 

 息が続かなくなってきた。目の前が霞む。

 更に数匹を仕留めたところに飛びかかってきた敵を避け損ねた。肩に噛みつかれる。激痛、妖獣の重さに耐えきれず、膝をつく。小太刀を抜き、妖獣の首を貫く。別な妖獣が脇腹に噛みついた。これも同様に処理する。立ちこめる血と獣の匂いにむせる。気が遠くなる。しかし身体はまだ動く。動くということは戦えるということだ。戦えるならば、敵を倒さなければならない。敵を倒さなければ、誰も助けられない。狼の屍を押しのけ、イスカは杖にすがり、立ち上がる。その時だった。

「これはまた、派手な騒ぎだな」

 殺伐とした場に似つかわしくない、どこか脳天気な声が響いた。

 声のした方を見れば、長い黒髪を後ろで束ねた細身の青年と、がっしりとした体格の壮年の男性が立っていた。どちらも帯剣している。

「ここはわたしが」

 壮年の男性が剣を抜き、進み出る。

「おれもやらせてもらう」と青年も剣を抜く。

「しかし」

「ごちゃごちゃ言ってる場合か。さっさと片付けるぞ」

「承知」

 二人は妖獣の群れのまっただ中に飛び込む。

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