第16話 ツクバネ村にて②

『……いいだろう。だが、一人でできるのか?』

 森にはおそらく妖獣がたくさんいる。いちいち相手にしていたらこちらの身が持たない。そして応援は見込めない。一人では荷が重いだろう。しかし。

「一人じゃない。ソフウがいるもの」

『あまり当てにするなよ。わたしにできることは限られているのだから、無茶をされても困る』

「わかってる。死ぬわけにはいかないから」

『おぬしにミズカほどの適性があったのなら、わたしも存分に力を振るえるのだが』

 イスカは宿主としては最低だとソフウに断じられていた。

 神気への適性がまるでないそうだ。

 もしかしたら、天代選抜にもその辺りが関係しているのかもしれない。神宝を使うらしいが、詳しい選抜方法をイスカは知らなかった。

「それより、ソフウは村人たちをどう思う?」

 森を探ることに関して、妖獣よりも気になることがあった。

 村人たちのことだ。何か隠している。森に見られたくないものでもあるのだろうか。

『脆弱だ。個々の力は微々たるもの。まともな武具もない。士気はそれなりに高いようだが』

「家族や村を守るためだもの、士気は高いさ。……って、そういうんじゃなくて」

『わかっているよ。何か秘め事があるのではないかと、おぬしは言いたいのだろ』

「わかってるなら最初から言ってくれよ、もう」

『ふふ、おぬしをからかうとおもしろいからな』

「はいはい、ほどほどにしてくれよ」

『うむ。さて、村人たちに関しては、気にはなるが、とりあえず放っておいて構わぬだろう。下手につつくよりいい。勝手に探らせてもらおう』

「うん、ぼくもそう思った」

『それで、いまから行くのか』

「いや、夜になってからにする」

 村人が黙って森に行かせてくれるとは考えられない。昼間は避け夜を待つつもりだった。

『そうだな、賢明だ。村人たちに気づかれたら、敵対されるかもしれないからな』

「敵対?」

『おぬしはつくづく甘い。森に探られたくないものがあるとして、それを探られて村人たちが捨て置くと思うのか』

「……思わない、けど」

 村人たちは、疑いようもなくいい人たちだ。

 だがそれはイスカが彼らをおびやかしていないからで、もしもイスカが彼らをおびやかすような行動を取れば、彼らはイスカと戦うだろう。家族や村を守るために妖獣と戦うように。

『人の善意を信じるのもいいが、最悪の事態も頭に入れておけ』

 ソフウの言うとおりだった。

 邪魔してくる、もしかしたら攻撃してくる可能性だって考えなくてはいけない。考えたくないけど、考えなくてはいけないことだ。

「ちょっと驚いた」

『うん?』

「ソフウのこと。少し前だったら、村のみんなの事を気にかけなかったんじゃないか」

『む……そうだろうか。よくわからぬ。わたしはただ、適切な助言をしたつもりなのだが』

「適切というと、誰にとって?」

『無論、おぬしだ。おぬしは自分以外の他者でも傷つくことを望まぬからな』

「そっか」

 イスカは微笑んだ。

 ソフウは気づいていないようだが、助言はイスカだけではなく、村人たちのことも慮っている。

 出会ったばかりの頃のソフウだったら、邪魔をするなら村人でもお構いなしに蹴散らせとか言っていたのではないか。

『何がおかしい』

「いや、べつに」

『むぅ?』

「気にしないで。……と、夜まで時間があるな」

 宿の庭で稽古でもしようかと考えていたら、ソフウから声が上がった。

『暇ならば行ってほしい所がある』

 これだけで、イスカはソフウがどこを希望するかわかった。

「学問所?」

『うむ。授業というやつはなかなか興味深い。特に歴史はな』

 子どもたちに誘われて、一緒に学問所で授業を受けたことがあった。ソフウは歴史が気に入ったようだ。

「ソフウにとってあんまり愉快なものじゃないと思うんだけど」

 ソフウは彼女が生きていた時代とは様変わりしているはずの現代の生活を見ても、さほど興味を示さなかった。

 だが、人間の歴史だけは別のようだ。

『ひとがどのような道を歩んできたか、知っておきたいのだ』

 ソフウたち神使や天代を礎に築かれてきたアキツの歴史を知りたいというソフウの胸中を推し量ることはできない。

 とはいえ、ソフウの声に恨みがましいものはない。

 イスカに反対する理由はなかった。支度を調え、イスカは部屋を出た。

 

 神問省と対を成す機関である文道省が擁する学問所は、優秀な人材の発掘と育成を目的としている教育施設だ。

 アキツの人々の識字率が高いのは、ひとえに学問所のおかげだ。子どもたちが通う初等科では読み書きや初歩的な算術、歴史などを教える。

 上には高等科があるが、こちらは普通、官吏を目指す者が通う。

 よほど小さな村でない限り、学問所は設立されているが、裕福な家は都にある宿舎付きの学問所に子供を送るのが一般的だった。子どもが上級官吏にでもなれば、その家の安泰は約束されるからだ。

 イスカは学問所に到着した。

 木造の学舎はしっかりした作りで、村で一番大きな建物だ。

 学問所もそうだが、この村は全体的に暮らしぶりに余裕がある。

 子どもたちの衣服一つとっても、イスカの村の子らよりいいものだ。よそ者の自分にはわからないだけで、もしかしたら交易で大きな利益を出しているのかもしれない。

 そんなことを考えながら学舎に入る。ちょうど授業の合間のようで、子どもたちの話し声が聞こえてきた。玄関で草鞋を脱ぎ、イスカは座敷を覗いた。

「あ、イスカにい」

 さきほどイスカを呼びに来た男の子、サギリがイスカに真っ先に気づいた。

 サギリとは逗留しているうちにいつしか仲良くなっていた。弟がいたらこんな感じなのかなと思う。

 ヒイナは、元気だろうか。

「おや、イスカ。また授業を受けていくのかな」

 教室の奥で、きれいな姿勢で正座している老人が言った。

 この村でただ一人の教師、センゲンだ。何度か授業を受けているので顔見知りである。真っ白な髪と、長いあごひげが印象的だった。

「よろしいですか? センゲン先生」

「もちろん。学びたい意欲があるものを拒みはしません」

「ありがとうございます」

「イスカにい、教本ないとわかりにくいでしょ。おれのを見せてあげるよ」

 サギリが手招きする。

「ありがとう、助かるよ」

 二本の杖をかたわらに置き、イスカはサギリの隣に腰を下ろした。

 イスカは修練所の座学で基本的なことは学んだが、歴史などの学問にそれほど精通しているわけではない。教本を見せてもらえるなら、それに越したことはない。

 と、すっかり自分も勉学する気になっていることに気づき、イスカはひっそり苦笑する。もともとはソフウのためだったのに、いつしかイスカもセンゲンの授業を受けるのが楽しみになっていた。

 次はちょうど、ソフウの好きな歴史のようだ。

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