第三章
第15話 ツクバネ村にて①
部屋の外で騒がしい足音がする。ほどなくして襖が開けられた。武具の点検をしていたイスカは顔を上げる。息を切らした男の子が立っていた。
「よかった。いてくれた」
「また出たの?」
イスカは小太刀を鞘に収め、腰に差した。神樹の杖を背に回し、もう一本の杖を取り上げる。五尺ほどの、戦闘用の杖だ。
頑丈なイスノキを加工した杖で、両端は鉄で補強してある。父親が家に保管しておいた武具の一つだった。
「うん。頼める?」
「すぐに行くよ」
走り出した男の子の後に続き、イスカも部屋を飛び出す。
逗留している宿屋を出て、村はずれへと向かう。そこでは鍬や鋤を持った男たちが妖獣の群れを牽制していた。
鹿に似た妖獣の数は多くない。だが、もたもたしていたらあり合わせの木材で作った獣止めの柵はすぐに破られてしまう。
「イスカにいが来てくれたよ!」
イスカを案内した男の子が叫ぶ。
イスカは男たちと囲いの間を縫うようにすり抜け、妖獣の前に躍り出た。
「みなさんは下がっていてください!」
大声で言って、両手に持った杖で近くの妖獣の側頭部を打つ。妖獣は一撃で昏倒した。頭と首を強く突いて、確実に息の根を止める。
息をつく間もなく襲いかかってくる妖獣をいなし、うち倒していく。
何匹か仕留めたところで、残りの妖獣たちは村の外、森の方へと退散していった。深追いすることをせずに、イスカは杖を下ろす。
「助かったよ、イスカ」
男たちの中でも比較的若い青年が言った。何人かは、恐れの混じった目でイスカを見ている。こういう視線にも、だいぶ慣れた。
「誰も怪我していませんか?」
「みんな無事だ。おまえのおかげだな」
「よかった」とイスカは安堵する。
「しかし、いつまでもおまえに頼っているわけにもいかんよなあ」
青年は顔を曇らせ、妖獣の骸を忌々しげに睨んだ。
「ぼくなら平気ですよ。しばらくこの村にいさせてもらうつもりですから」
杖の血痕をぼろ布でぬぐって、イスカは言った。
「悪いな。旅の途中なのに、引き留めちまっているみたいで」
「妖獣と戦えば鍛錬になりますから。……それより、やっぱり森を探った方がいいんじゃないんですか。都に兵の派遣を要請して」
妖獣たちは森から来ている。
聖域でもないのに、これだけの妖獣がいるのは異常なことだ。
森には何かしら妖獣と関係する要因があるはずだった。
統治下にある村が脅かされていると知れば、領主は放っておかない。要請すれば領兵を出してくれるだろう。
「いや、それは……」と青年は口ごもる。
「一時的なものだと思うんだ。こいつらが村を襲うなんて、いままでなかったんだし、きっともうじき収まるさ」
年かさの男が言った。
「父ちゃん、でもさ」
男の子が口を挟むが、男は聞く耳を持たない。
「サギリ、おまえは学問所に戻れ。勝手に抜け出して」と一方的に言い放った。
「ちぇ、わかったよ」
男の子は渋々といった様子で引き下がった。
「骸はおれたちで片付けておく。イスカは宿に帰って休んでくれ」
何度提案しても、そのたびにはぐらかされる。今回もそうだった。男たちの頑な顔からして、食い下がっても結果は変わりそうにない。
「わかりました。そうさせてもらいます」
軽く頭を下げ、イスカはその場を後にした。
『いつまで英雄気取りを続けているつもりだ』
人の往来が少ない脇道に入ったところで、ソフウが言った。
「……ぼくは英雄を気取りたいわけじゃない」
『ふん、おぬし、本当にミズカの事を考えているのか?』
「考えてるよ!」
『では、なぜこの村を出てミズカを探そうとしない』
「それは……いまこの村を離れたら、妖獣が」
『ミズカとこの村を天秤にかけたら、どちらが重いのだ?』
ミズカと即答すべきなのだろう。だが、イスカは返事をすることができなかった。無言で歩き続ける。
イスカがこのツクバネ村に留まって十日以上経つ。故郷の村を出て、およそひと月が過ぎていた。
ここにきて、ミズカ探索は滞っていた。辿ってきたソウライの神気が途絶えてしまったのだ。
人の往来が多い主要な街道を避け、脇道や旧道を使うミズカの足取りは、明らかに追っ手をまくことを意識したものだった。
足の速さの違いですぐに追いつけるという考えは、すぐに捨てざるを得なかった。
引き離されないようにするので必死だったが、結局見失ってしまった。
ミズカが逃亡技術を身につけているとは思えない。ソウライが知恵を貸しているのだろうか。
追っ手と言えば神問省の追っ手も放たれているはずだが、そちらはどうなっているか、情報を掴む術はなかった。
やきもきするが、闇雲に探しても見つかるものではない。神気を感知できるソフウがいる分、神問省よりもこちらがミズカに近いのは確かだ。
焦らず、できることをひとつずつこなしていくだけ。
そう思いつつも、いまやっている妖獣退治はミズカに結びつきそうもないことを、イスカも自覚していた。
大通りに出る。
脇道よりは多いが、それでも人の姿はまばらだった。
滞在しているうちに顔見知りになった村人たちが会釈をしてくる。
気のいいひとたちばかりだが、その顔には陰りがある。
原因は妖獣だ。イスカがこの村を訪れる少し前から、定期的に妖獣が村を襲うようになったのだ。
ツクバネ村はトウガ地方とシュウカの都の間、レイシ地方にある。
神使の空白地帯であり、アキツの主要な街道のひとつである巡礼街道からは少し逸れた場所に位置していた。
時折訪れる旅人が落としていく宿賃の他には、農業と畜産が村人たちの収入源だ。
かつては平和で、のどかな村だったのだろう。だが現在、村は妖獣の脅威にさらされている。
村人たちは戦闘に不慣れだ。当然だ。戦闘の必要がなかったのだから。
妖獣が村を襲うなど、滅多にないことだった。しかしその滅多にないことが起きた。
ソウライがまき散らした神気と関係があるのではないか、というのがソフウの推測だった。神使の放つ神気は妖獣を活性化させるからだ。
イスカはツクバネ村に来るまでも、何度か妖獣と交戦している。
それらはトウガの神域から出てきた連中だったらしく、神域から離れるにつれその数はみるみるうちに減っていった。この村を襲っている妖獣は別種のものだ。中には同じ生物が元だと思われる妖獣もいたが、微妙に形状が違っていた。地域によって個体差があるらしい。
何にしても妖獣は妖獣だ。人にとって危険な存在であることに変わりはない。
最初の頃に比べ、妖獣襲撃の回数は減っていたが、完全になくなったわけではない。
さきほど男が言ったように、そのうち収まるのかもしれない。しかし、原因を突き止めておかないと、忘れた頃にまた襲撃が起こるのではないか。
そう考えると、イスカはこの村を離れることができない。
村人たちだけでも妖獣は追い払える。現にイスカが来る前はそうしていた。
しかし、村人たちの戦い方は危なっかしいことこの上ない。うぬぼれるつもりはないが、戦力は多い方がいい。自分が戦うことで少しでも怪我人や、もしかしたら死人も、減らせるのならば留まる意味はあると思う。
そうやって自分に言い聞かせ、十日以上が過ぎた。
ソフウに言われるまでもなく、このままでいいはずがない。
もっともらしい理由を並べ立て、言い訳して。逃げてはいないか。
ふと、内奥からそんな声が聞こえた。ソフウのものではない、自分のものだ。
逃げる? 何から?
答えは聞こえてこない。すぐそこにあるはずなのに、捕まえることができない。
宿に戻り、客室に入る。
このままでは何も進まない。わかっている。自分で行動して変えなければならない。それもわかっている。ならば、なぜ。
息をつき、イスカは迷いを振り切るように、
「決めた。森を探る」
現状を打開するには、やはりそれしかない。探って、妖獣襲撃の原因を突き止め、可能ならば取り除く。
口にしたことで、重石が除けられたみたいに気分が楽になった。
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