第14話 生き残った者⑤

 あまりに寒くて目が醒めた。クレノは身じろぎをする。身体はすっかり冷え切っていた。上半身を起こし、辺りを見渡す。

 森の中だった。木々の隙間から月光が漏れている。

 自分はなんでこんなところで寝ていたのだろう。なんだか胸がすうすうする。

 探ってみると、傷跡に手が触れた。いまは塞がっているみたいだが、この傷跡はいつできたのか。まるで、鋭利な刃に斬られたかのような。

 そこでクレノはぜんぶ思い出した。自分は神使に憑かれたミズカと対峙して、そして。

 

 殺された。

 

 そうだ。たしかに死んだはずだ。万が一即死を免れることができていたとしても、この傷跡からして、そう長く持つはずがない。普通なら出血で死んでいる。

 だというのに、致命傷はなぜか塞がり、こうして目を開けていることができる。視界は妙に鮮明だった。いまは夜のはずなのに、遠くまではっきり見通せる。

 立ち上がる。やけに身体が軽い。以前より調子がいいくらいだった。

 

 イスカはどうしたのだろうか。

 

 はっきりしてきた頭でまず思ったのが友人のことだった。辺りの骸には、イスカは混ざっていない。なんとか切り抜けることができたのかもしれない。

 ともあれ、一旦村に戻ろうとクレノは思った。その時だった。

『気配を感じたのでもしやと思ったら……驚きました。わたしの神気に適応できる者がいるとは』

 頭の中に声が響いた。やさしげな女性の声だった。

「誰だ?」

 クレノはとっさに近くに刺さっていた鞘を引き抜いた。正眼に構える。

『わたしの名はソウライ。ミズカと共にあるものです』

 声の出所を探るが、周囲に人の気配は感じられなかった。

「ミズカ様と? ……まさか、神使か」

『人間たちはそう呼びますね』

 声の主が本当に神使かどうかわからないが、とりあえずの疑問をぶつける相手が欲しかった。

「一体これはどういうことだ。おれは死んだんじゃないのか」

『人間としてならば、あなたは死にました。神気の刃に斬られて』

「その言い方だと、いまのおれは人間じゃないみたいだな」

『その通りです。あなたはもはや人ではない』

「人じゃないなら、なんだっていうんだ」

『人は神気を浴び、変化した生物に妖獣という呼び名をつけました。ならば、人自身がそうなったらなんと言うのでしょうね』

 ソウライの声は、どこかおもしろがっているような響きを帯びていた。

 人の形をしながら、人ではないもの。

 クレノは、そういう存在をなんと呼ぶか知っていた。

「妖鬼」

 つまりは、化け物。

「冗談、だろ」

 ひとが化け物になるなど迷信で、酒席などでまことしやかにささやかれる、野山を駆け回る得体の知れない人影なんて、いたとしてもどうせ妖獣の一種だろうと思っていた。

 声の主が言っていることを信じる根拠も理由もない。

 嘘だと決めつけてしまうことが、この場合一番楽だった。たとえ、自分が生きている根拠と理由が見つからないにしても。

『どう思おうと、あなたの勝手です。しかし、死んだはずのあなたを見たら、他の人々はどういう反応をするのでしょうか』

「……意地が悪いな」

『あら、気を悪くしたのならごめんなさい。べつにあなたをいじめるつもりはないのです』

「だったら、どういうつもりなんだ」

『わたしは協力者が欲しい。わたしたちと一緒に来てくれませんか?』

「あんたたちと?」

『はい。わたしと、ミズカと』

「……仮にあんたが本物の神使だとして、あんたは一体何がしたいんだ」

 即答は避けた。言葉を選びつつ、クレノは相手の出方を探る。

『わたしはミズカを幸せにしてあげたい。それだけを望みます』

「ぬかせ。ならば、なぜ皆を殺した。ミズカ様の手を汚させたじゃないか。ミズカ様の幸福を望むものがやらせることか」

『誤解しないでください。ミズカは誰も殺めてはいません。ただ一人を除いては。その一人にしても、どうしてもミズカが手を下す必要があったから、やむなくわたしが強制したのです』

「つまり、殺したのはほとんどあんただと?」

『ええ』

 しかし、一人とは誰のことか。

『あなたはいま森の中ですよね』

「そうだ。あんたに殺された場所さ」

『ならば、あなた自身の目で骸を確かめてください。近くにあるでしょう?』

 皮肉を言っても、ソウライの声の調子に変化はない。

 肩をすくめ、クレノは皆の骸を順繰りに探る。クレノが受けた傷も含め、どれもこれも、人がやったとは思えないような傷があった。

 一通り探り終わった後、クレノはイスカの父親の骸に目をやる。

 クレノのことを、何かと気にかけてくれた恩人の亡骸だった。彼の口添えがなければ、修練所に入ることもできなかっただろう。

 商売人であるクレノの両親は商いのことばかりで、クレノのことを顧みようとしなかった。そんな実の親より、よほど親しみを感じていたのに。なんで、こんな死に方をしなくてはいけなかったのか。

 皆はクレノのことを次期頭領にと考えていたようだったが、クレノはイスカを推すつもりだった。クレノはイスカの補佐ができればそれでよかった。イスカを支えることが恩人に対する最大の恩返しになると思っていた。

 感傷に流されそうになった自分を、クレノは押しとどめた。

「これは確かに人間業じゃないな」

『信じていただけましたか』

 受け入れるしかないようだ。声の主は本物の神使で間違いない。

「ところで、ミズカ様が手を下したというのは?」

『イスカ、と言いましたか。まだ幼い少年です。骸が転がっているはずですが』

 ふざけるなと、危うく叫びそうになった。

 よりにもよって、何てことをミズカにやらせたのか。

 怒りが煮えたぎる。

 イスカがミズカに想いを寄せていたことは知っていた。そして、おそらくミズカもイスカのことを好ましく思っていた。なのに、むごすぎる。

 イスカの骸は見あたらない。

 もしかしたら、イスカは生きているかもしれない。だが、そうだとしてもミズカの心にはイスカを傷つけたという事実が深く刻まれてしまった。

 これから自分がやるべきことは決まった。胸中を神使に悟られないように、クレノは、

「ああ、あったよ」と、素っ気なく言った。

「しかし、なんでイスカだけミズカ様にやらせたんだ」

『ミズカの心を惑わせたからです』

「……そうか」

『それがどうかしましたか』

「どうもしない。で、一緒に来いって言ったけど、おれはあんたたちのために何をすればいいんだ?」

『協力してくれる気になったのですね』

「他に選択肢もないしな。この身でいまさら人の世には戻れないよ」

『賢明な判断です。では、まず合流しましょう。わたしたちは森の外にいます。波長を送るので、そこまで来てください』

「わかった」

 北西の方角から強い神気を感じる。どうやらそこにミズカはいるようだ。クレノは、踏み出しかけた足をふと止める。

 ヒイナ。

 イスカの後ろにくっついてちょろちょろしていたヒイナを、最初の頃は遊びの邪魔として思っていなかった。

 いつからか異性として意識し始め、気づいたら好きになっていた。

 一緒になって、イスカの家族に混ぜてもらえたらいいなと思った。

 クレノは拳を握った。

 バケモノとなった身では、もはや触れることもできない。怖がらせるだけだ。しかしいまは、この力は都合が良い。せいぜい利用してやる。

 クレノはソウライたちのいる所を目指して走り始めた。


 皆を起こさないように、イスカは静かに家を出た。

 朝の空気は身を切るように冷たい。

 戦闘用の杖を持ち、丈夫な外套に身を包んだイスカは、背負った背嚢の具合を確かめるように身体を何度か揺する。中には旅に必要なものが詰まっていた。路銀は使い道を見つけられず、いままで貯めていた給金だ。半分以上家に残したが、それでも充分のはずだ。

『別れの挨拶はいいのか』

 ソフウの声が頭に響く。

「昨日、済ませたから」

『それらしいことは何も言っていなかったではないか』

「一緒にご飯を食べた。それだけでいいんだ」

 家族で食卓を囲むのは、本当に久しぶりだった。満たされるものがあった。充分だ。

『そういうものなのか』

「そういうものなんだよ」

『やはり、人間というものはよくわからぬ』

 ソフウとそんなやりとりをしている内に、河原に到着した。

 村境の橋の近くに、ちょっとした茂みがある。

 幼い頃、かくれんぼをしたとき、イスカが好んで隠れた場所だ。

 茂みをかき分け、イスカは進む。少し行ったところに大きな岩があった。傍らには杖が置かれている。隠しておいた神樹の杖だった。

 手に取り、後ろ腰に差した。背嚢の下敷きになるので、背中がごつごつする。

「これでよし」

 旅の準備は整った。土手を上り、イスカは橋の前に立つ。この橋を渡れば、故郷に別れを告げることになる。

 前を向いて胸を張る。

「じゃあ、行ってきます」

 誰にともなくイスカは言って、橋を渡り始めた。

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