第12話 生き残った者③

 大猿が沈黙したことを確認し、イスカは剣を抜き取る。大猿の身体が倒れる、重い音。

 イスカは大きく息を吐き出した。どうやら倒すことができたらしい。

 終わってみれば、自分がこんな大物を仕留めたことが信じられなかった。しかし事実として、大猿はもはや動かない。

 大猿の腕に刺さったままだった小太刀を引き抜き、血をぬぐってから鞘に収める。そうだ、借りた剣を返さなくては。

 顔を上げたイスカは、周りがしんと静まりかえっていることに気づく。

 皆が、異形の化け物でも見るような目でイスカを見つめていた。痛みすら感じるのではないかと思う、突き刺さるような視線、視線。

 さきほどイスカに剣を貸した男が唾を飲み込み、尋ねる。

「おまえ、本当にあのイスカなのか?」

 何を訊きたいのか。質問の意味がよくわからない。

「あんな化け物をひとりで倒しちまうなんて」

「すさまじかったな」

「あのなりふり構わない戦い方、天羽ってのはみんなああなのか」

「ひどい怪我を負っているのに、どうしてあんなに動けるんだ。おかしいぜ」

 男たちの囁きは伝播していき、ついにはイスカの耳にもはっきり届く音量となった。

 そして、決定的な言葉が発せられた。

「もしかして、あいつも神気に当てられて化け物になっちまったんじゃないか」

 イスカの全身を衝撃が走った。大猿の打撃よりも効いた。

「ぼくが、化け物……?」

 これ以上誰かに死んでほしくなかった。そのために自分ができることをしようと思った。だから無我夢中で戦った。

 ただそれだけだったのに、なぜ人々は怯えた目で自分を見つめるのか。

 感謝や賞賛が欲しくて戦ったわけではない。しかし、勝利に対して何か報酬がもらえるのならば一つだけ望みたい。そんな目で見ることを、どうか止めてほしい。

「……なんにせよ、大物は片付いたんだ。みんな、報告に戻るぞ。遺体を運ぶ手はずも整えないとな」

 ひとりが、淀んだ空気を振り払うように言った。気のない返事をしつつ、男たちがぞろぞろと連れだって移動を始める。

 ついていくこともできず、イスカはひとり取り残される。

 立ち並ぶ家々はぴったりと戸を閉ざし、人々は息をひそめ籠もっている。イスカしかいない通りを風が吹き抜けていく。風に乗って、蜻蛉が飛んでいく。黄昏の中、人と妖獣の骸が黒々と横たわっている。

 誰そ彼。もう、骸は誰が誰か判別がつかない。

 返しそびれた剣を力なく放る。傷はソフウが塞いでくれたようだが、身体のあちこちに痛みはしつこく残っている。

 粘り気のある疲労が泥のように全身にまとわりついていた。このまま座り込んでしまいたかったが、それをすると二度と立ち上がれない気がした。

『天代、妖獣、そしてわたしのような存在に共通しているものがわかるか?』

 唐突にソフウが言った。返事をするのもおっくうで、イスカは黙って首を横に振る。

『それは、常と異なっているということだ。大多数から外れた異質だということだ。ひとは異常、異質に複雑な感情を抱く。畏れたり、忌避したりもする』

「なにが言いたいの?」

『イスカ、おぬしの戦いぶりは、人々の目には異質として映ったのかもしれん。だが、おぬしはあくまで人として戦った。戦って、あの妖獣に勝った。誇っていいと思うぞ』

 最初、イスカはソフウの言葉を理解することができなかった。少しして、

「……もしかして、慰めてくれてる?」

『そういうわけではない。が、いつまでもおぬしが沈んだままだと、これからに支障が出るのも確かではある』

 お世辞にも器用とは言い難いソフウの物言いに、イスカは相好を崩した。弱り切っていた心に、ソフウの言葉はやさしく染みた。

 そして、あることに気づく。

「そうだ。お礼を言っていなかったね」

『礼? 何のだ?』

「ぼくの命を救ってくれたこと。あなたに救われなければ、ぼくはこうして戦うことができなかったから」

『ふん、そのことならば、礼など要らぬ。わたしにも利があったのだからな』

「命を救われたことに変わりはないよ。だからお礼は言うべきだ」

『……まあいい、好きにしろ』

 まず、真っ先にすべきことだったのに、自分はそれに気づく余裕すら失っていた。

 どんなときでも人としての誠実さだけは忘れるな。父の教えだ。

「うん、好きにする。ソフウ、命を救ってくれてありがとう」

『う、うむ。その、なんだ。……苦しゅうないぞ』

「あれ、照れてるの?」

『そんなことはない!』 

 イスカは笑う。鬱々とした気分は、気づけば晴れていた。


 詰所に戻る。仲間たちは気まずそうにイスカから目を逸らし担架の準備を黙々とこなす。

「イスカ、社守様が訊きたいことがあるそうだ。執務室にいらっしゃる」

 作業の手は止めず、イスカの方も見ず、年長の天代守が言った。

 ちょうどよかった。こちらから捜そうと思っていたところだ。イスカはうなずき、詰所に入った。草履を脱ぎ、板張りの廊下を進んで奥にある執務室に向かう。

 戸の前に立ち、声を上げた。

「イスカです。ただいま戻りました」

「入ってくれ」

 戸を開き、入室する。

 普段縁のない執務室は、詰所の他の部屋同様、飾り気のない質素な部屋だった。

 部屋の中央には古びた机が置かれており、社守はその机に向かって座していた。社守に常に付き従っている四人の社女の他、村長もいる。

 社女たちの装束は返り血に染まっていた。彼女たちは武術も修めている。おそらく妖獣退治でも活躍したに違いない。

 村長は血と泥で汚れたイスカの姿に驚いたようだったが、社守たちは眉の一つも動かさない。社守は父親が使っていた机に手を乗せた。

「何があったのか大体察しはつくが、詳しいことが聞きたい」

「はい。神使がミズカ様に憑き、神樹から出てきました。神使はわたし以外の護衛を殺害、神宝を持って逃亡しました」

 イスカは感情を表に出さず淡々と述べる。当然、ソフウについては伏せた。神樹の杖のこともだ。杖は詰所に来る前に隠してある。

「なんてことだ……」

 血相を変えたのは村長だけだった。

「やはりそうだったか」

 社守はこともなげに言った。大事だろうに、なぜこんなにも落ち着いていられるのか。イスカがいぶかしく思っていると、社守はイスカの肩と胸を指さす。

「ところで、きみも怪我を負ったようだが、平気なのか?」

 そして、イスカの内面をのぞき込むような目を向けてきた。

 社守の穏和な顔立ちの中に、静かな迫力があった。

 まさかソフウのことを見抜かれているのかと、ひやりとした。村人や天代守から昼行灯と陰口をたたかれている普段からは想像もつかない鋭い視線だった。

 イスカは社守の視線を真っ向から受け、ひるまずに見返す。

「応急処置もしましたし、幸い、さほどの深手ではありませんでしたから」

 ほとんど塞がっていたが、傷口は不自然にならない程度に布で縛ってある。傍目には傷の程度はわからない。社守は信じたのか信じていないのか、曖昧にうなずく。

「わかった。ところで、他に報告するようなことは何も無いか?」

「何もありません」

 イスカが言うと、社守は顎に手をやり黙りこんだ。

『なんでこんな面倒なやりとりをしなくてはならんのだ。あのまま去っていればよかったものを』

 ソフウが呆れたように言う。

 ソフウの言うとおりなのかもしれない。それは一番楽な道だ。だが、これはイスカの天代守としてのけじめだった。

 村を去ることは決めた。しかし、何も説明せずに、ただ逃げるように去ることはしたくなかった。

 事情を知っている生き残りはイスカだけだ。聖域での出来事、父たちの最後を伝えることは残された者の責務だと思った。ミズカを追う前にしなければいけないことだ。

 しばし思案していた社守が、机を手の甲で叩く。

「お父上と仲間を亡くし、気の毒だとは思う。が、今回の件について、きみには相応の処分を下さなくてはいけない」

 処分は覚悟していたことだった。最悪、罷免もあり得る。

 本当に不器用だ。クレノだったら、もっとうまく立ち回る方法を考えつけるだろうと思う。しかし、不器用でも不器用なりに自分が納得できる道を選びたい。

「天代守、イスカ。天代、ミズカを追い、彼女を見つけ出せ。発見を成し遂げるまで、この村への立ち入りは禁止とする」

 意外な言葉だった。意外すぎて、イスカは自分の耳を疑った。すぐには返事ができなかった。

「どうした。不服なのか?」

「い、いいえ。承知いたしました」

 処分と言ってはいるが、天代守としての新たな任務と受け取れなくもない。ミズカの捜索は望むところではあるが、社守の思惑が読めなかった。

「社守様、甘すぎませんか?」

 村長が口を挟む。社守は村長を一瞥する。

「条件付きとは言え、追放処分です。それでも甘いと?」

 表向き、村の最高権力者は村長だ。社守は村長を立て、村のことについては口を出さない。しかし実際、神問省から派遣されている社守の地位は村長の遙か上にある。天代守の管理も、社守の仕事の一部だ。

 社守の視線から逃れるように、村長は目を伏せた。

「ご心配なく。領主様には責任を持ってわたしから伝えます」

 社守が取りなすように言うと、村長はあからさまに安堵した顔になる。

「は、それならば」

「あなたは、村人たちに天代が出奔したということのみを伝えてください。神使についてはまだ口外せぬ方がいいでしょう。余計な混乱は招きたくない。時期を見計らってわたしが言います」

「そうですな。わかりました」

「よろしくお願いします。では、行ってください」

 村長は一礼し、部屋を出て行く。社守はイスカに向き直った。

「言うまでもないが、シュウカ大社にも伝令を飛ばす。追跡隊が出されることは間違いない。神問省の追っ手ときみ、ミズカ様にとって、どちらに見つけられるのがいいのか、よく考えることだ」

 この言い方、冷静さ。社守の言葉、態度から、イスカはある予想を立てた。

「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「なんだ」

「神問省がミズカ様を見つけた場合、どうなるのですか」

 答えてくれないかとも思ったが、社守は拍子抜けするくらいあっさりと言う。

「ミズカ様は本当の意味ですべてを失うことになる」

 簡素な答えはイスカの予想を確信に変えた。やはりこれは初めてのことではない。

 以前にも、神使が神樹の外に出るということがあったのだ。そして社守はその時の結果を知っている。知っていて、同じ結果を望んでいない。

『人間共め。これ以上、ミズカから奪うつもりなのか』

「そんなことはさせない」

 イスカはソフウにというよりも、自分に向けて言う。

「ぼくがミズカ様を見つける」

 それは決意だった。ミズカを守ると思いつつも、いままで何もできなかった。けれど今度こそ、やり遂げなくてはいけない。

「わたしとしてもそう願うよ、双方のために」

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