第11話 生き残った者②

「ソフウ。さっき、妖獣たちがざわついているって言ったよね」

『うむ、言ったな』

「それ、どういうこと?」

 尋常の生き物にあらざるもの、妖獣。

 神使の神気を受けて変異、凶暴化した生物と言われているが、本当の所は学者たちにもよくわかっていない。

 例外もあるが、主な生息地が禁足地である聖域なため、研究が進んでいないのだ。

『ソウライが神樹から出たことによって、莫大な神気が解き放たれた。それに当てられて、気が昂ぶっているのだろう』

 嫌な予感がますますふくれあがる。

「もしかして、村に出て人を襲うって事も」

『あり得るな』

「それを早く言ってくれ!」

 怒鳴り、イスカは走り出す。

『必要があったか』

「あったに決まってるだろ。村のみんなが襲われていたら大変じゃないか」

『だとしても、おぬしには関係ないだろう』

「関係ないって……何言ってるんだ」

『他人が傷つこうとも、死のうとも、おぬしは痛くもかゆくもないではないか。おぬし自身のことではないのだから』

「皮肉で言ってるの?」

『皮肉? なぜそう取るのか、わたしにはわからぬ』

「……ごめん、うまく説明できる気がしない」

『心得た』

 それきりイスカは口を閉ざし、ソフウも語りかけてこなかった。

 人間同士でさえ思考の食い違いは避けられない。人と神使では尚更だろう。

 人の価値観をそのまま神使に当てはめるなど、傲慢だ。

 それでも、イスカの命を救い、ミズカを助けたいと願うソフウは、人命を軽んじないのだと思っていた。そう、思いたかった。

 門が見えてくる。開け放たれたままの門を走り抜けた瞬間、血の臭気がイスカの鼻をついた。思わず足を止める。

 嫌な予感は的中していた。

 異形の獣の骸があちらこちらに転がっている。いつもきれいに掃き清められていた石畳や玉砂利が黒い血で濡れていた。

 鋭い牙を口から覗かせている大きな猫のような獣、短剣ほどの大きさの爪を持つ猿のような獣、巨大な牙が生えた猪のような獣。

 どれも知っている生き物に似てはいるが、まがまがしさを感じさせる点が決定的に違っている。歪だ。嫌悪感を覚える。

 妖獣に混じって、人の骸もあった。衣服から門番だとわかった。

 イスカは骸の側に落ちていた槍を拾い上げる。神樹の杖は背中に回し、腰帯にねじ込んだ。神宝は戦闘に使いたくない。様々なよすがであるこの杖を、血で汚したくなかった。

『戦闘は避けるべきだ。おぬしは消耗している。わたしはおぬしの体力を回復させることまではできないのだぞ』

「それがどうした」

 吐き捨てるように言って、イスカは再び走り出す。

『わからぬ奴だな。おぬしはミズカを助けたいのだろう』

「ああ」

『ならば、それだけを考えていればいい。無闇に自分の命を危険にさらすことはしてくれるな』

 返す言葉に悩んでいるうちに、詰所前に着いた。イスカを認めた仲間が駆け寄ってくる。

「イスカ、よかった。おまえは無事だったのか。皆は帰ってこないし、妖獣どもは押し寄せてくるし、一体何事だ? 天代たちはどうした?」

「……父たちは亡くなりました」

「なんだと! 天代もか?」

「いえ、ミズカ様は……。すみません、詳しい説明はあとでします。それより、村は? 妖獣はどうなってるんですか?」

 天代守の男は納得していないようだったが、優先すべき事柄はこちらと判断したのか、

「村に入り込んだ妖獣どもは大方倒したが、首魁らしい大物はまだ仕留めていない。報告によると、村の西に逃げ込んだようだ。応援の討伐隊がいま出たばかりだな」とイスカに状況を伝える。

 母や妹、祖父の顔が思い浮かぶ。

 もう、これ以上家族の、誰かの命が失われるのは嫌だった。そして、家族がいるのは村人も同様だ。守らなくては。

「わかりました。ぼくも討伐に参加します」

 駆けだしたイスカの背に向けて男は、

「気をつけろよ。おまえまで死ぬんじゃないぞ!」と言葉を投げかけた。


 見慣れた村の光景は一変していた。

 道ばたには人や妖獣の骸が散在している。天代守以外に、村人の骸もあった。

 確認はしない。もし家族の誰かだったら、自分はその場で動くことができなくなってしまうだろう。

『これは報いかもしれぬな』

「報い?」

『裏で犠牲になっているものも鑑みず、平和を謳歌していた報いだ』

 ソフウの言わんとしていることは理解できるような気がする。しかし、

「だからって」

 殺されていいものか、と続けようとしてイスカは口をつぐんだ。

 ソフウは、生前は何らかの動物だった。そして人の都合で殺められ、神使として祀られることになった。犠牲という言葉を噛みしめる。

 犠牲という意味では天代も神使も同じだ。そしてイスカたちは、そうした犠牲の上に生活している。

 豊かな大地、穏やかな気候。すべて神使を祀ることによって得られた恩恵だ。

 人々は豊かさの背景を完全に忘れてはいないと思う。祭祀はその例ではないのだろうか。

 とはいえ、神使たちにしてみればそれは白々しいことなのかもしれない。天代という人柱を差し出して機嫌を伺う人間たちを、憎んでいないと言えるだろうか。

『だから、なんだ?』

「……なんでもない」

『そうか。何かしら心に思うことがあるようだが』

 どうやらソフウは察することはできても、心を完全に読むことまではできないらしい。

『む? イスカ、この先には行かぬ方が身のためだぞ』

「どうしたの」

 少し先の方向から喧噪が聞こえてくる。怒声、物が壊れる音。

『この気配、ただの妖獣ではない。こら、行くなと言っておるのに』

 ソフウの警告を無視してイスカは角を曲がる。止められても行かないわけにはいかない。

「なんだ、こいつ……?」

 道の中央で天代守たちが取り囲んでいたものは、まさに化け物としか形容しようのないものだった。

 周りにいる男たちが子供に見えるほどに大きな体躯は、褐色の体毛に覆われている。姿形から猿が変容したものと推測できるが、その面相は猿と言うにはあまりに凶悪だ。

『年経た猿か。神気を浴びすぎたようだな』

 大猿が腕を振り回した。避け損ねた男たちが木っ端のように吹き飛ばされる。とんでもない力だ。

「ひるむな! かかれ!」

 年かさの男の号令で、天代守たちは槍を突き出すが、鋭さも連携も無い、ばらばらの攻撃だった。

 大猿は巨体からは想像もできない俊敏さで、苦も無く穂先をすり抜ける。

 大猿が隊長の前に躍り出た。

 容易く懐に潜り込んだ大猿は、拳で男の顔面を殴りつける。肉がひしゃげ、骨が砕けるおぞましい音がした。顔を潰された男は地面に崩れ落ちる。

 絶命は、誰の目にも明らかだった。

「あ……あ、そんな……」

 目の前であっけなく仲間がやられたのを見て、天代守たちが浮き足立つ。攻撃の練度の低さといい、士気の低さといい、どうやら夫役組のようだ。

 つまり、この場にいる天羽はイスカのみ。

 イスカは唾を飲み込む。

 自分がやるしかない。妖獣相手の実戦だ。訓練とは違う、命のかかった戦闘。

 戦うという意志はある。しかしどうしたわけか、足が震えて前に出てくれない。他の天代守も同様だった。誰も動かない。

 大猿はそんなイスカたちを見回して、唇をめくり満足そうに笑った。隊長の骸を持ち上げ、したたり落ちる血をすする。

 瞬間、頭に血が上った。

「っ! よくも!」

 槍を構え、イスカは大猿目がけて突進する。

 踏み込み、裂帛の気合いと共に槍を突き出す。穂先が回避しようとした大猿の腕に突き刺さる。重い手応え。大猿が耳障りな鳴き声を上げた。

 槍を引き抜き、横に薙ぎ払う。この一撃を飛び上がって躱した大猿は一気に距離を詰め、イスカに迫る。

 イスカはとっさに槍を抱え、横に転がった。

 直後、大猿の拳がイスカの頭があった位置を通り過ぎていく。槍を構え直したところで、身体をねじった大猿が裏拳を叩きつけてきた。

 予想以上の速度と体捌きだった。避ける余裕がない。イスカはかろうじて後ろに下がりながら柄を盾にして拳を受ける。

 丸太で殴られでもしたのかと思うほどの衝撃が来た。柄がへし折れ、イスカの身体も吹き飛ばされる。

 受け身を取ることもできず、背中から家屋の壁に激突する。痛みに息が詰まった。

『いかん、逃げろ』

「……え?」

 気づけば、眼前に大猿の姿があった。

 大猿はイスカの左腕を持って掴み上げると、肩めがけて、勢いよくかぶりつく。

 信じがたい激痛で頭が白く、次いで赤く染まった。

 痛みのあまり声も出ない。涙がにじむ。必死に呼吸を整えようとしてもうまくいかない。涙でぼやける視界の中でイスカが見たものは、大猿が見せつけるように噛み切ったイスカの肉を咀嚼している姿だった。

「……こ……のっ!」

 後ろ足で家屋の壁を蹴り、その反動を利用して膝で大猿の顎を蹴り上げた。大猿がのけぞる。腰から小太刀を抜き、大猿の腕に突き立てる。小太刀を支えに身体を動かし、イスカは大猿の腕に噛みつく。

 この連撃はさすがにたまらなかったらしい。悲鳴を上げ、大猿はイスカを放り投げる。空中で身をひねり、着地したイスカは引きちぎった大猿の肉を吐き出す。

 攻撃を続けたいが武器が無くなった。刃の着いた武器が欲しい。何かないかと辺りを素早く見渡す。さきほど折れ飛んだ槍の上半分を見つけた。拾い上げる。だいぶ短くなったが、片手で使う分にはかえって使いやすい。

 突っ込んできた大猿をやり過ごし、背後に回ったイスカは、背の中心を突いた。

 大猿が弓なりに背をしならせる。槍を逆手に持ち直す。跳躍したイスカは大猿の首に片手で取りつき腕を回し、穂先を首に突き刺した。

 槍を引き抜き大猿の背中を蹴って、イスカは地面に降り立つ。大猿はまだ倒れない。血が噴き出る首を押さえながら、イスカから離れようと跳躍する。

 逃がすものか。

 イスカは槍を振りかぶると、大猿の足目がけて投擲した。まっすぐに飛んでいった槍は、大猿の足に突き刺さる。空中で体勢を崩し、大猿が落下する。

「武器を」

 イスカはかたわらで呆然としていた天代守に言う。

「あ……え?」

「剣を貸してくれませんか」

「あ、ああ」

 男は腰から剣を抜くと、おそるおそると言った様子でイスカに差し出した。

「ありがとうございます」

 礼を言って受け取り、イスカは右手で柄を握る。

 地面を強く蹴って走り、上半身を起こした大猿に肉迫する。

 喉元目がけ、切っ先を突き刺した。刺さりはしたが、浅い。ならばとイスカは柄から手を放し、拳を固める。その拳で柄頭をおもいきり殴りつけた。数回繰り返したところで、切っ先は大猿の喉を抜けた。

 大猿は二度三度と痙攣し、やがて動かなくなる。イスカはその様子を瞬きもせずに見つめていた。

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