第7話 鎮めの儀③

 鎮めの儀と言っても、やり方は天代によって違う。

 舞いを舞う者、歌を聴かせる者、ひたすら神使しんしの言葉に耳を傾ける者、楽器を奏でる者。様々だ。

 ミズカの場合は、自分が読んだ物語を話して聞かせるという方法だった。

 ミズカが考え出したものではなく、トウガの天代あましろに伝わる方法だ。屋敷に山とある書物は、代々の天代が集めさせたものである。

 実を言うと、最初の頃に歌を歌うという方法も試してみたのだが、こちらはソフウに散々にけなされた。

 曰く、餌をねだるときの雛鳥といい勝負。

 まだ幼かったミズカはこれから先、何があっても歌だけは歌うまいと固く誓ったのだった。

 さておき、務めであるということを抜きにして、書物を読むのは純粋に楽しかった。

 自分が決してできないであろう体験を、物語は教えてくれる。神使を楽しませるのはもちろんだが、なにより自分が楽しむことができるのだった。

「一度は村人を見限った大根でしたが、村が台風に襲われているのを見過ごすことができず、村人を守るために村に帰ってきました。大根は大きな葉を広げ、雨風から村を守り通しました。おかげで台風を凌ぐことができた村人たちは大根に深く感謝し、今度こそ心を込めて世話をすることを誓いました。そうして、大根と村人たちは末永く幸せに暮らしたといいます。めでたし、めでたし」

 一つの話が終わった。次はどの話をしようかとミズカが考えていると、

 ――ときに、ミズカ。

 ソウライの声が響く。

「はい、なんでしょうか」

 ――イスカとは、誰でしょうか。

 心臓が跳ねた。完全な不意打ちだった。

「あ、え……」

 ――あなたの思念の中にたびたび浮かんできた名です。

 うかつだった。気を引き締めていたつもりだったが、甘かったらしい。

「天代守の、少年です」

 下手なごまかしはきかない。ミズカは正直に言った。

 ――あなたは、その少年のことを憎からず思っているようですね。

 昨晩の出来事が頭をかすめる。憧れやうらやみはいけないことなのかと問うた少年。

 少年は天代ではなくミズカを守ると言い切った。真摯な眼差しだった。幼さが残る顔つきの中、あの目は力強かった。凍てついたと思っていた自分の心が、揺らぐくらいに。

「歳が同じですし、親しみは感じているかと」

 ――親しみ、ですか。

 ――どうしたソウライ、いやに絡むな。

 そういうのは自分の役割だと言わんばかりに、ソフウが割り込んでくる。

 ――いえ、ミズカの思念の中に他人の名が出てくるのは珍しかったものですから。

 ――そういえばそうだな。昔はよく引き離された家族のことを想っていたが、近年はそれも絶えていた。

「幼い頃は雑念を払うことが不得手でしたので」

 ――おぬしはいまでも幼いぞ。

 数百年をこの樹の中で過ごしているソフウたちからすれば、自分など幼子同然だろう。

「ごもっともです」とミズカは苦笑する。

 ――雑念とあなたは言いましたが、家族を想うことは雑念なのですか?

 ソウライが問うた。穏やかだが、心に深く斬り込んでくるような鋭さを帯びた声だった。

 ミズカは表情と心を改めて引き締める。

「大切なお役目の中にあっては、そうです」

 ある日突然家にやってきた神問省の人間たちは幼いミズカを家族の元から引きはがした。

 連れて行かれた施設で、教導者に家族の事は忘れろと言われた。それがおまえのためなのだと。

 だから父も母も弟も、記憶の片隅に押しやって忘れるように努力した。

 いつになるかわからないが、役目を終えた後、もう一度会える可能性も無いわけではない。

 だが、そんな頼りない希望にすがりつくくらいなら、すっぱり忘れてしまった方がずっと楽だ。その点で、ミズカのためだという教導者の言葉は当たっていた。

 しかし何度も何度も夢に見た。その度に枕を濡らし、自分の弱さを責め立てた。

 やがて家族の顔が記憶から薄れていくにつれ、夢に見る回数も減っていった。

 そしてようやく夢に出てこなくなる頃には、家族がどんな顔をしていたか思い出せなくなっていた。

 それでいいのだと思う。

 哀しいことではあるけれど、天代としては正しいことだ。多くの天代が歩んだ道を、自分も歩んだだけ。

 ――それを、わたしたちが望むと?

「何をおっしゃっているのか、よくわかりません」

 ――あなたが己を殺すことを我々が望む。だれがあなたにそう教えたのですか?

 天代とは己を律し、神使をお鎮めするもの。

 教導者がミズカの耳に吹き込んだ言葉だ。妙に甘ったるい飲み物を飲まされ、朦朧とする意識の中で聞いたその言葉は脳裏にこびりついて、いつまでも離れない。

 ――わたしたちが神樹に縛られているように、あなたは言霊に縛られている。

 鋭い爪で心を鷲掴みにされているような錯覚に陥る。胸が苦しい。

 つらいとは思った。何度も思った。不満はあってもしかし、自分の役目に疑問を持ったことなどなかった。奪われ、代わりに与えられた生活を、そういうものだと受け入れて過ごしてきた。

 ――役目に忠実。けなげなことです。しかし、あなた個人が犠牲になる必要はあるのでしょうか。

 何か言わなくては。言い返さなくては。乾ききった口内からはけれど一語も出てこない。

 ――なぜ、あなたが己の生き方を他者に決められねばならぬのですか。

 ソウライがたたみかけるように声を響かせる。おかしい。ソウライがこういうことを言うなんて。

 意地悪を言うソフウと違って、ソウライはいつもやさしかった。物語を喜んで聞いてくれて、暖かなねぎらいの言葉をかけてくれた。そんなソウライが、なぜ。

 ――おいソウライ。どうしたのだ、一体。

 疑問に思ったのはソフウも同じだったようだ。しかしソウライは、ソフウの事を完全に無視した。

 ――神樹に封じてもなお、ひとはわたしたちを恐れている。ゆえに天代という人柱を立て、わたしたちの怒りを受け止めさせた。愚かで、そして哀しいことです。……ミズカ、はっきり言いましょうか。

 ソウライは、この上なくやさしい声音で告げた。

 ――天代を真に必要としているのはひとであって、わたしたちではない。

 剣の柄を持つ手が緩む。頭をおもいきり殴られたような衝撃があった。

 神使と人、両方のためによかれと思って果たしてきた役目。縛られているという立場は同じ。鎮め、慰めは神使が望んでいる事だと思っていた。だからこそつらくても続けることができた。

 神使が天代を必要としていないというのなら、自分が、歴代の天代たちがしてきたことは、なんだったのか。ただ、人間の都合のみで。

 いや、ここで屈してはいけない。そうしたら、いままでの自分がすべて嘘になってしまう。それに、ソウライの言がぜんぶ本当だとは限らない。ミズカは萎えそうになる気力を振り絞る。

「だとしても、なぜいまそれを言うのですか」

 ――わかりませんか?

「わかりません」

 ――わたしは、あなたを解放したいのです。

 ――ソウライ、どういうことだ!

 ――さきほどからうるさいですよ、ソフウ。しばらく黙っていてください。

 青い光から赤い光に、帯のようなものが伸びた。それは赤い光に絡みつく。

 ――……ぐ、ソウライ、何を。

 ――抵抗しても無駄です。半身とは言え、力はわたしの方が上。あなたを黙らせるなど造作もない。

 程なくして、赤い光の輝きが弱々しいものになった。

「ソフウ様!」

 ミズカが呼びかけるも、赤い光は沈黙したまま何も応えない。ミズカは青い光に強い視線を向けた。

「ソウライ様、なぜこのようなことをなさるのですか」

 ――言ったでしょう。わたしはあなたを解放したいと。

「解放……?」

 ――そう、天代という呪縛から。

「わたしは、そんなこと」

 ――望んでいない、などとは言わせませんよ。

 声の響きの強さに、ミズカは思わず額を押さえる。反論の余地を与えない、ソウライの強力な思念だった。

 ――幼い頃の天代は誰しも何かしら希望を持っている。だが年を経るにつれ、その希望はすり減っていく。希望に取って代わるのは諦め。叶うはずがない、仕方がないと自分に言い聞かせ、己を殺し、目の前にある勤めを果たす。ようやく解放されたとき、そこに残っているのは疲弊した精神を申し訳程度に抱えた抜け殻だけ。わたしはいままでそういった天代を数多く見てきました。大量の神気と孤独にさらされ続けた結果です。

 背筋を、冷たい手で撫でられたような感触が走った。

 天代の多くは十年から二十年で次の天代と交代する。

 誰も教えてくれなかった交代の理由と条件は、神使の気まぐれによるものだと、根拠もないのに漠然と考えていた。いつか神使がその天代に飽きたら、次の天代を所望するのだと。

 けどもし、その理由がソウライの言った通りだったとしたら。

 天代になって今年で十年。あと十年経って、自分は自分のままでいられるという保証がどこにあるのだろう。

 精神を破壊され、廃人になっていたら。

 かたわらには誰もいない。寄り添う人もなく、たったひとりで老いさらばえて死んでいく。

 それは、想像するだけで心身が凍り付きそうになる恐怖だった。

 ――だから、ねえ、ミズカ。ここを出ましょう。

 脳髄が痺れるような、甘い囁きだった。ミズカは熱に浮かされたようにつぶやく。

「ここを、出る?」

 ――ええ。あなたとわたし、一緒に。

 決して、神使の甘言に惑わされてはならない。おそろしい破滅を招くことになる。これも教導者たちに言われたことだ。

 蝋燭の明かりが照らす薄暗い部屋で、教導者たちは入れ替わり立ち替わり、幼いミズカの耳に様々な言葉を囁いた。天代の在り方、神使の恐ろしさ、禁忌。

 心に刻まれた言葉はそれ自体が恐怖となって、いままでミズカを律してきた。

 過去、神使に魅入られた天代が、神使を解放しようとしたことがあったという。

 口伝で知ったその出来事は、自分には無縁のことだと思っていた。禁忌を犯すなど、恐ろしすぎてできるはずがない。

 けどいまなら、神使に魅入られた天代の気持ちがわかる気がする。恐怖を魅力が凌駕する。

 ――天代ではなくひととして、外の世界に出てみたいと思いませんか。

 ソウライの声が心に絡みつく。刻まれた言葉の何もかもがどうでもよくなっていく。

 刀身から発せられていた光が消えた。暗闇に、ソウライの光が輝く。

 ――天代ではなくひととして、生きてみたいと思いませんか。

 膝から力が抜けて、ミズカはその場にへたり込んだ。もう、抗うことができない。ぐずぐずに崩れていく心の中、ただイスカの顔と、まっすぐな瞳だけが残っている。

「……イスカ」

 そして、ミズカの心は神気に溶けていった。

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