第6話 鎮めの儀②

 聖域は、イスカの目にはいたって普通の森に映った。立ち並ぶ背の高い木々はすべて常磐木だ。

 木漏れ日が辺りを淡く照らしている。紅葉がないということを除けば、村の近くの森とたいして変わらない。

 しかし、門を潜り、聖域に足を踏み入れたときから、得体の知れない圧迫感があった。

 木々の枝葉の隙間から、常に誰かがこちらを見張っているような感じがする。緑と土の匂いが濃すぎて息苦しい。

 唾を飲み込み、杖の握り心地を確かめる。

 兵庫寮ひょうごりょうの霊具職人が神宝を模して作り上げたもので、退魔の力を備えている。万が一森に潜むバケモノたちが襲ってきても、有効に作用するだろう。

 仲間は手練れ揃い。自分も杖術じょうじゅつならば自信がある。心配することは何も無い。そう思っても、なかなか不安は消えてくれない。

「大丈夫ですよ」

 イスカの不安を感じ取ったかのように、ミズカが言った。顔は前を向いたままだった。

「神気に触れると人は恐怖する。それは自然なことなのです」

 声も話し方もさきほどまでと変わらない。同じミズカであるはずなのに、なぜか別人みたいに感じる。顔が見えないせいだろうか。

「人は力ある存在を殺め、その御霊を木に封じ、神使しんしとして祀った」

 一呼吸置いて、ミズカは続ける。

「一方で地を治めるために利用する。人の知恵の恐ろしさは神使に引けを取りません」

 取りようによっては政への非難にも聞こえるミズカの言に、イスカはひやりとした。

 父親がわずかに首を動かし後ろを見る。無言の牽制だった。

「ごめんなさい、少し喋りすぎましたね」

 イスカはミズカの華奢な肩を見やる。

 一体ミズカはどんな思いで、どんな顔でいまの言葉を口にしたのだろう。その肩に乗っているものの重さは、どれほどなのだろう。

 

 鎮守の森の中心部には、天をつくようにそびえ立つ巨木が存在している。

 周りを囲むのに大人が十人以上は必要そうな太い幹には注連縄が巻かれている。根本には、人が入れるほどの洞が口を開けていた。

 イスカたちが暮らすアキツ国には、原初の神使とされている四柱の神獣しんじゅうを封じた四本の神大樹がある。

 他の神樹はそれらの種子から育ったものだ。この神樹も例外ではなく、シュウカの大樹の種子から育てた苗木が元だった。

 すごい、とイスカは我知らずつぶやいた。

 木の風格に圧倒されていた。間近で見ると迫力がまったく違う。大きいのはわかっていたのだが、これほどまでとは。

「イスカ、初めて都を見た田舎者みたいな顔になってるぞ」

 クレノが軽い声で茶化した。皆の間に笑いが広がる。

「そ、そうかな?」

「ああ、修練所に入る手続きをしに行った時みたいだ」

 言われて、初めてシュウカの都を訪れた時の記憶が甦る。

 往来を行くひとの多さ、立ち並ぶ露店の賑わい、立派な建物。

 父親の後ろで、イスカとクレノは惚けたようにそれらを見つめていた。村と家族から離れての新しい生活を思い、不安と、そして期待で胸がいっぱいだった。

「あなたたちは仲がいいのですね」

 ミズカが微笑しながら言う。クレノも微笑した。

「小さい頃からの付き合いですから」

 束の間、和やかな空気が流れる。それを破ったのは父親だった。

「ミズカ様、そろそろ」

 うなずいて、ミズカは鞘を払った。木漏れ日を反射し、見事な刀身が白く輝く。イスカたちは、木を囲むように散らばった。

「行って参ります」

 柄を地面に突き立てる。抜き身の剣を携え、ミズカが洞へと入っていく。

 鎮めの儀の核、神使との対話が始まる。


 暗闇と静寂が洞の中を支配していた。

 真っ暗な空間を満たしているのは、おぼれそうになるくらいの神気だ。耐性がないものならば、発狂していてもおかしくはない。

 しかしミズカはここに来ると、いつも不思議な安らぎを覚える。

 この闇の中に身を置いていると、自分が暗闇に溶け込み、その一部になったように感じる。苦しいことやつらいことなんてない、安寧のみがあった。このまま自分を手放したくなる。甘い誘惑だ。

 ――それではいけないのか? すべてをわたしに委ねれば、楽になれるぞ。

 頭の中に声が響いた。心とろかすような女性の声。トウガの神使、ソフウの声だ。

「お戯れを」

 ミズカは剣を構え、刀身に己の顔を映した。暗闇の中、剣が淡い光を放つ。

 この剣は神気の中にあって、自分を見失わないための拠り所となる。

 ――つれないな。もっと気の利いた答えを返してはくれぬのか。

「わたしが口下手なのはご存じでしょう。トウガ天代、ミズカ、参りました」

 ミズカが凛々しい声で言うと、眼前に不定形の光がふたつ、ぼうと浮かび上がった。青い光と、赤い光だ。

 ――ミズカ。一年間、達者でしたか。

 最初のものとは似ているようで少し違う声が響く。

 こちらは聞くだけで心が落ち着く、やさしげな声だった。ソフウと対になる、ソウライである。トウガの神使は二柱だ。

「はい、おかげさまで。村の皆も、わたしも、大過なく」

 ――それは何よりです。

 ――大過ない、か。村の者はともかく、おぬしは本当にそうか?

 ソフウの声が揶揄するように言う。

「ええ、特に病気もしませんでしたし」

 ――そうだな。身体に問題はないようだ。だが、精神はどうなのだ。

「どういう意味でしょうか」

 ――隠さずともよい。押し殺した心の中に、綻びが見えるぞ。原因は何であろうな。

 わずかな心の乱れも見逃さない。これだから神使は恐ろしい。

 神使と同調し、対話すると言うことはすなわち、己の心も神使にさらけ出すことになる。

 自分の心を丸裸にされるに等しい。ゆえに天代は心を律することができるように、己の感情を制御しなくてはいけない。

 ――ソフウ、おやめなさい。

 ――なんだ、ソウライ。おぬしだって、知りたいのではないか?

 ――わたしが知りたいのは、ミズカが話してくれる物語です。ミズカ、今年はどんな物語を聞かせてくれるのですか。

 ――ふん、まあいい。わたしもミズカの物語は聞きたいからな。

「そうですね、今年最初の話は、しゃべる巨大な大根の話です」

 安心を気取られないように気をつけながら、ミズカは用意してきた物語を語り始めた。

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