第3話 祭りの残り香①

 真夜中、祭りが終わった後の広場をイスカは一人歩いている。

 熱気は遙か遠く、広場に立ちこめるのは外套をすり抜け、骨にまで染み通ってくるような夜気だった。

 手燭てしょくがいらないほどの月の輝きが、寒々しさを助長する。

 広場には猫の子一匹いない。

 収穫祭の夜には、高ぶる神使の神気に惹かれ、悪いモノが集まってくると信じられている。

 そのため、祭りが終わると人々は早々に家に引き上げる。この夜だけは、天代守あましろのもりの夜回りも行われない。そればかりか外出も禁止である。

 イスカも例年通りならば今頃詰所で寝ているところだが、今年は違った。

 落ち着かなくて、どうにも眠れない。せめて外の空気でも吸ってこようと、こっそり詰所を抜け出したのだった。

 ばれたら怒られるどころか処罰ものだ。模範的な天代守にはほど遠い。

 広場の中ほどで足を止める。秋の虫たちがもの悲しい音を奏でている。

 丘、屋敷に目をやった。

 月明かりの下、屋敷は静かな佇まいを見せている。そこだけ周りから切り取られて、時が止まっているかのようだった。

 今頃ミズカは何をしているのだろう。

 眠っているか、それとも屋敷に所蔵されている莫大な量の書物でも読んでいるか。

 ミズカは暇さえあれば書物にかじりついているとは天代守の仲間内では有名な話だった。

 まただ。

 頭を振って考えを散らす。ちょっと油断するとミズカのことを考えてしまう。

「まったく、情けない」

「何が情けないのですか?」

 イスカの独り言に応える声は、唐突に背後から聞こえてきた。

 女の子の声だった。

 自分以外にも収穫祭の夜に出歩くようなふとどき者、しかも女の子がいたのかと思いつつ、振り向く。

「ミズカ、様?」

 いましがた思っていたひと。簡素な小袖に身を包んだミズカだった。

「ああ、あなたでしたか。こんばんは、イスカ。いい月夜ですね」

 こんなに間近で向かい合うのは初めて会ったとき以来だ。月光に照らされたミズカは幻想的に過ぎて、この世のものではないようだった。

「あ、え、こ、こんばんは。って、そうじゃなくて」

 やはり昔同様、まっすぐ見ることができなくて、イスカは目を逸らした。

 意味もなく腰に帯びた小太刀の鞘を触りながら、イスカは尋ねる。

「なぜ、ここに?」

 屋敷には、昼夜問わず常に天代守が警備としてついている。彼らの目を盗んで抜け出すなど、不可能なはずだった。

 天代守は、外からの侵入を防ぐだけでなく、天代あましろの逃亡をも防いでいるのだから。

「今晩だけはお目こぼし」

「お目こぼし、ですか?」

「毎年、収穫祭の夜だけわたしは散歩を許されるのです。誰も出歩かない夜だから」

 その意味を理解すると同時に、胸にこみあげるものがあった。イスカは視線を落とす。

「そう、でしたか」

 あんまりだと思う。

 何も刺さっていない木串を差し出すようなものだ。祭りの残り香だけを嗅げとでも言うのか。そんなの、残酷すぎる。

「イスカこそ、外に出ていいのですか? 今夜の外出は禁止のはずですが」

「ぼくは……眠れなくて、つい」

「そうですか。ならば、今夜の出会いは内緒にしておいた方がお互いのためですね。二人の秘密ということで」

 嬉しそうな声に顔を上げたイスカは、予想もしなかったミズカの表情を見た。

「どうして」

 胸から絞り出されるように、言葉が漏れ出る。

 祭りが終わったあとにたったのひとり。残酷なことのはずだ。なのに、

「どうしてミズカ様は」

 笑顔、なのですか。

 言葉に詰まったイスカをミズカは不思議そうに見つめる。

「どうかしましたか。具合でも悪いのですか」

 立場をわきまえろというクレノの言葉が耳の奥に木霊する。

 天代の心を知ろうとしてはいけない。気持ちを寄せてはいけない。

 イスカは努めて心を平静に保とうとする。

「大丈夫です。それよりも、ぼく、あ、と、わたしの名、憶えていてくださったのですね」

 ミズカとは八年前に一度言葉を交わしたきりだった。とっくに忘れられていてもおかしくないと思っていた。

「わたしを守ってくださる方々の名はすべて憶えています。あなたは少し特別だったけど」

「特別というと、なんでしょうか」

「初対面の時……、いいえ、やっぱりなんでもありません」

 ミズカはなぜか照れくさそうにそっぽを向いた。

「初対面? っあ……!」

 思い出した。自分が口にした言葉。

「その、あの時は子供で、けど嘘ではなくて」

 おろおろするイスカを横目で見て、ミズカは微笑む。

「驚きました。あのようなことを言われるなんて思ってもいなかったから」

「あ……う」

 しばしの沈黙、やがてミズカは口を開く。

「わたしと初めて会う方は、ほとんどが怯えた顔をしています。ひとではないものを見るような目でわたしを見る」

 イスカは己に問う。

 自分がそうではなかったと言い切れるだろうか。

 ミズカをきれいだと思う一方で、畏れを抱いていなかったと言えば嘘になる。幼い子供なりに、ミズカに異質な何かを感じ取っていたのは確かなはずだ。

「イスカ、あなたは志願して天代守になったのですよね」

 ミズカの、静かな湖面を思わせる声だった。

「はい」

 天代守は夫役で務める者と志願者で構成されている。

 都や村はそれぞれ一定数の人員を天代守として、神問省に送らなくてはいけない。持ち回りなのだが、裕福な者は金で代役を立てる。

 そういった過程で選ばれた者たちの士気は総じて低く、能力もまた知れたものだった。任期の二年を無難に過ごせればそれでいいという考えを持つ者が大半だ。

「天代守の鍛錬は厳しいと聞いています。志願者は、特に」

 志願者の多くは家督を継ぐことができない貴族の第二、第三子などだが、中にはイスカのような平民もいる。

 口減らし、功名心、金銭欲。理由は様々だ。いったん天代守になってしまえば身分は関係ない。腕次第でいくらでものし上がれる。

「そうですね。夫役の方たちよりは厳しいと思います」

 実際は厳しいなどというものではない。必要最低限な夫役の鍛錬と比べ、志願者が入る修練所の鍛錬は軍もかくやというものである。その激しさを思い出すだけで吐き気がこみあげてくる。志願者のほとんどは十に満たない子供だが、鍛錬に容赦はない。

 動機が安い者や能力で劣っている者は修練所でふるい落とされるため、正式な天代守として残る者は必然的に精鋭となる。

 修練所の全課程を修了した天代守にはその証として、鞘に翼の意匠をあしらった小太刀が授けられる。修練所上がりの天代守が時として天羽あまばねと呼ばれる由縁だ。

「あなたはなぜ、天代守になったのですか?」

 穏やかながらもその声は強い響きをもって、イスカの胸に波紋を広げた。

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