第2話 収穫祭

 イスカたちの住む村において、秋の収穫祭はふたつの顔を持っている。

 ひとつは取れたばかりの作物や狩りの獲物をみなで味わい、舌鼓を打つというもの。

 老若男女問わず、調理が得意なものが広場に集まり、収穫物を使った料理を作り、皆に振る舞う。

 同時期に催される都の大祭に比べたらささやかなものだが、普段はなかなか口にできないごちそうを食べることができる数少ない機会だった。

 もうひとつは、この地方の安寧と豊穣を司る神使しんし神樹しんじゅに封じられた力あるものの御霊を慰め、鎮めるというもの。

 古来よりの祭祀であり、専属の者が役目を務める。

 神使と同調し、その声を聞くことができる者、天代あましろ

 天代は神使のために存在し、天代守あましろのもりは天代のためにある。

 イスカが天代であるミズカと初めて出会ってから八年、イスカは天代守となっていた。

 治安を守る役目も兼ねている天代守は、表向きの祭事に参加することができるが、天代はできない。

 天代にとって穢れと見なされる世俗との関わりは、最小限にとどめられているからだ。

 不公平だよな、と大広場の隅に置かれた長椅子に座るイスカは思う。

 イスカが思うのはもちろんミズカのことだ。

 ミズカも一緒に祭りを楽しむことができればいいのに。

 もしもミズカがいれば、イスカにとってこの祭りは何倍も楽しいものになるに違いなかった。

「よう、どうした。そんな隅っこで」

 物思いが途切れる。

 声をかけてきたのはイスカと同じ灰色の胴衣を着た少年、クレノだった。

 天代守仲間で、年もイスカと同じ。小さい頃から家族同様の付き合いをしてきた気の合う友人だ。

「おまえだけだぞ。この祭りの中でしけた顔をしてんのは」

 クレノは言いながらイスカの横に腰を下ろす。ほら、とクレノはよく焼けた猪肉と野菜の刺さった木串を差し出した。

「ありがとう」

 礼を言って、イスカは木串を受け取る。食欲をそそるいい匂いが鼻をくすぐる。

「明日の護衛のことでも考えていたか?」

「ん、そんなところ」

 答えて、肉をかじる。

 好物の肉なのに、味はなんだかぼやけてよくわからなかった。

「気負う必要はないさ。おれたちはただミズカ様を神樹の元までお連れするだけでいい」

 神樹は鎮守の森の中央にある。アキツ国内に数えるほどしか存在しない内の一本だ。

 年に一度、各地の天代たちは各々神樹の元に赴き、鎮めの儀を執り行う。護衛は、地域つきの天代守の中から選ばれる。

 神問省の修練所で鍛錬に明け暮れて五年、見習いとして故郷に帰って二年。そして今年、イスカは初めて護衛に抜擢された。

 クレノはすでに昨年選ばれている。クレノはそれだけ期待されているということだ。

「クレノはすごいね。ぼくにはそんな余裕が無い。いっぱいいっぱいだ」

 武技に優れるクレノに、イスカは稽古で勝ったためしがない。クレノは腕っ節が強いだけでなく、頭の回転も速い。何事につけても器用で柔軟なのだ。

 修練所時代には同郷ということもあって、イスカはクレノのことを一方的に競争相手と見なしていたのだが、いまとなってはもう過去のことだった。

 優れた才を持つクレノは、イスカのずっと前にいる。

「何言ってるんだ。余裕ってのは作るもんだよ」

 難しいことをすらっと言えるのがクレノだった。そして実行してしまう。

「努力はするけどね」

 この地、シュウカ領トウガ地方の天代守、トウガ群の次期頭領はクレノだと言われているし、イスカもそう思っている。

 現頭領である父親は残念がるだろうが、実力差は歴然だった。妬みはもちろんあったが、自分は自分のできることをするだけだ、と言い聞かせるようにしている。

「にしても、ヒイナはかわいくなったな」

 イスカの気分を変えるためなのか、クレノは言った。

 視線は広場の中央で配膳をしているイスカの妹、ヒイナに向けられている。言われてみれば、小袖姿の妹はたしかにかわいくなったような気がする。昔はよく一緒に遊んだりしたものだったが、いまではすっかり疎遠になってしまった。

 実家住まいの父と違い、イスカは詰所で寝泊まりしている。実家に帰ることは滅多になく、妹とは顔を合わせることすら稀だ。一緒に釣りをしていた頃を懐かしく思う。

 こちらに気づいたヒイナが手を振った。クレノが人好きのする笑みを浮かべて手を振り返す。ヒイナがちらりとイスカを見る。クレノに肘でつつかれ、イスカも緩く手を振った。微笑み、ヒイナは配膳に戻る。

「なあ」とクレノは唐突に笑みを引っ込め、真顔になった。

「おれがヒイナを嫁さんに欲しいって言ったら、どうする?」

 予想もしなかった言葉に、イスカは危うく木串を落としそうになった。

「本気?」

 現頭領の娘を、次期頭領候補が嫁として迎える。別におかしい話ではない。しかし、妹が親友に嫁ぐ姿を想像することは、ひどく難しかった。

「冗談で言えることかよ」

 厳しい鍛錬をこなしている時のような、真剣な顔つきだった。どうやら本気らしい。

「まずは本人に訊いてみたら?」

 イスカが言うと、途端にクレノはくしゃっと情けない顔になった。

「断られたらどうしようって思うと、ちょっとなぁ」

「だからってまさか、ぼくに訊いてくれとか言わないよね」

「だめか?」

「だめ。それはクレノが自分で訊かないと」

 イスカが言い放つと、クレノはばりばりと後ろ頭をかいた。

「やっぱり、そうだよな」

 いつも自信に満ちあふれているクレノなのに、こういうことになるとてんで情けないんだな、とおかしくなる。もっとも、お前はどうなんだと訊かれたら、イスカもクレノのことを笑えないのだが。

 ミズカ、トウガ地方の神使を担当する天代。

 きれいで、ひとりで、寂しそうで。

 イスカは浮かびかけた想いを、無理矢理に心の奥底に沈める。天代にそういう想いを抱くなど、あってはならないことだ。

「まずはさ、それとなく話してみたらどう?」

「む、むう」

「そんなに難しくないでしょ。気楽に、自然に話すだけだよ、昔みたいに」

「それができたら苦労しないっての」

「だよね」

 ため息混じりに吐き出した言葉に、クレノは何か感じ取ったのか、

「なんだ、イスカも気になる子がいるのか?」と訊いてくる。

「いや、べつに、そういうわけじゃ」

 歯切れの悪い返事は、いますと白状しているようなものだった。

「なんだよ。教えてくれたっていいだろ」

 すかさずクレノが食いついてくる。

 とぼけきる自信はないし、またとぼけたくもなかった。祭りの熱気にあてられたのかもしれない。

「気になるけど、気にしちゃだめなんだ」

 察しのいいクレノには、これで通じた。表情が硬くなる。

「おまえ、まさか」

「どうして、ミズカ様はこの祭りに出られないんだろう」

「よせ」

 言ってはいけない。そんなことはわかっていた。だが、止まらなかった。

「それだけじゃない。普段は人前にすら出ちゃだめって、あんまりだよ」

「やめろ」とクレノはイスカの肩を掴む。

「おれたちは天代守だ。天代のあり方に疑問を持つなど、許されない」

 声を潜め、

「んなことが神問省しんもんしょうのお偉いさんの耳に入ってみろ。問答無用でしょっ引かれるぞ。親父さんを悲しませたいのか」

「そんなつもりじゃないけど」

「おまえがそんなつもりじゃなくても、そういうことになるんだよ。立場ってものをわきまえろ」

 国を支える神使たちを祀り、管理するという神問省の目的下では、天代の人格は無視される。それは必要で仕方のない犠牲であり、疑問や同情を差し挟んではいけない。天代は神使と同じように、このアキツ国の礎、柱なのだから。

 座学でさんざん刷り込まれたことだった。

 天代を守ることが使命だが、天代の境遇を顧みることはしない。

 神問省に属する天代守の立場を要約すると、そういうことになる。地方勤めの末端でも、天代守である限り教えは絶対だ。

 しかし最初に教わったときからずっと、イスカは腹の底でその教えに反発していた。

 ミズカのことを人として見るなと言われても無理だし、嫌だ。八年前に初めて会ったミズカは、天代である前にひとりの女の子だったのだ。

 

 異端。

 

 イスカの思想を一言でまとめると、そうなる。天代守の立場にあって、許されざることだった。

「うん、わかった。変なこと言って、ごめん」

 吐き出したい諸々を呑み込み、イスカは言った。クレノは探る目でイスカを見つめる。

「思っても口には出さないよ。だから安心して」

「そうだ。それでいい。一番いいのは思いもしないことなんだが。口にふたはできても、心まではな」

 悟ったように言うクレノの横顔は、ひどく大人びたものだった。

「さ、辛気くさい話は終わりだ。まだまだ食い足りないだろ。おれがなんか持ってくるよ」

 からっと明るい声を出し、クレノは立ち上がる。イスカが何か言う間もなく、広場の中心へと歩いて行く。

 本当、敵わないな、とイスカはひっそり息を吐き出した。

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