29話 冒険者の足跡

「フヨル・アビリアさん、最後にもう一度、確認をします。あの2人の戦いを見ても尚、あなたの夢や目標は、今も変わっていませんか?」


「――はい……彼らを見たからこそ、私の今の強さが明確になりました。――彼らの戦いが見れたのは幸運だったと思います」



「そうですか、分かりました。――では、入隊選抜、大いに期待しています」


 

 レオナ・マグダナルは「――あぁそれと」と呼び止め「これをお食べなさい、気分が落ち着くでしょう」と重厚感のある机の隅で小皿の上に積まれている嗜好品に手を伸ばす。

 正直、この空間には似付かわしくない、可愛く個包装のされた柑木天蓼ミキリウ味の飴。4つを手に取り、渡した。


 飴……かな?


 包装紙の可愛い色彩に目を奪われ、気の抜けた顔で飴を両手で受け取った彼女は、少し微笑む。

 しかし、自分が微笑んだ事に気が付くと、首を振り、気を引き締め姿勢を正し「――ありがとうございます!――失礼いたします!」と礼儀正しく学院長室を退室した。



 

 学院長室前の廊下では、ドルファ教官長とアルボリコ教官が何やら話をしている。学院長室から出てきた彼女に気が付くと、話を切り上げ、ドルファ教官長がのしのしと歩み寄った。

 セダム・ドルファは彼女が手に持っている飴に気が付くと「大丈夫だっだようだな」と声を掛ける。


「――色々とお気遣いいただきました」


「であれば、俺からも助言、というわけではないが1つ言うと」と強靭な腕を胸の前に組んだ。


「この2年での君の成長は著しい、それは努力した君自身、よくわかっているだろう。だが、君のその努力と成長の陰には、無理だと折れてしまう者、それでもと上を目指す者がいる。君は今、彼らと同じ岐路に立っている。――フヨル、後悔の無いように進め」


「――はい!」


 教官長に就任して最初の世代、そのうちの一人、フヨル・アビリヤには本当に1から教えたといっていい、初めての教え子。セダム・ドルファからすれば、今年18歳になる彼女でもまだまだ健気に映った。

 規格外の戦いを見た後でも頑張ろうとする彼女の頭をそっと撫でようかと思うが、思いとどまり、誤魔化すかのように豪快に笑うと、柑木天蓼ミキリウ味の飴を指さす。


「――もう一つ助言しよう。その飴は学院長の好物だが、稀にかなりすっぱい物が混ざっているから、食べる時は慎重に選んだほうがいいぞ」


 最後にわざとらしく笑うと、視線を学院長室の扉へ向ける。先ほどまでの砕けた表情から気を引き締める。「セダム・ドルファ、入ります!」と学院長室へ声を掛け、待機した。中から「――どうぞ」と許可が下り、ドルファ教官長は入っていった。


 フヨル・アビリヤはお辞儀をし見送ると、飴を1つ選び、丁寧に開封した。中にはつやつやの薄く黄色みがかった飴玉。彼女はゆっくりと口へ運んだ。

 

 



 その味は、彼女を再び微笑ませるのだった。






 レオナ・マグダナルは椰青木ププバレンシの乾燥させた葉と果実の皮を茶壺に入れ、お湯を注ぎ、蒸らし、嗜好品である黄茶おうちゃを嗜もうとしていた。足先まである黒い正装用の婦人服の所為か、その姿は絵本に出てくる古の魔女の様だ。

 

 時間が経つにつれて、茶壷からはほんのり甘く、渋い香りが学院長室に広がっていく。そんな香りの中、のしのしと学院長室中央まで進むと「お待たせいたしました。2限目には修練場の修復は完了いたします」とセダム・ドルファは報告をする。


「ご苦労様です。知っての通り、先ほどフヨルさんとお話をさせていただきましたが、立派になったものです」茶壷の茶がらを軽く一混ぜし躍らせると、優しく蓋をした。


「さて、セダム、あなたがあの場に居ながら、部外者同士をあそこまで闘わせるとは、何事でしょう?」


「……申し訳ございません、マグダナル学院長。しかし彼らは――」


「特別、ですか?――あなたが言いたいことも分かりますが、彼女が介入せず、あのまま続けていたら、下手をすると修練場が使い物にならなくなる所でしたよ?最新の技術で固めていたあの地面ですらあのザマです。この学院は騎士見習いの為の場所。――教官長としての責務を全うしなさい」


「そのことに関しましては……返す言葉もございません」


 レオナ・マグダナルは棚から器を取るとセダム・ドルファにも黄葉おうちゃを飲むかどうか仕草で問うが、丁重に断られた。

 器と受け皿を重厚感のある古風な机へ置き、自分が飲むだけの黄茶おうちゃを茶壷からそっと注いだ。


「――ですが、彼らの素性を調べずそのまま帰してしまって、本当によろしかったのですか?」


「あなたが惚れ込んでいるレン・ローナス君が、黙秘にして欲しいと言うのです。致し方ないでしょう?――幸か不幸か、教員と騎士見習いのほぼ全員があの一部始終を見ています。調べるまでもなく今回の情報は洩れ、騎士団が動くでしょう。――さて、どう対応したものか……」


 


 かけている老眼鏡をかわす様に少し顎を引き、直接セダム・ドルファを見る。


「それに、あなたなら彼女を見て察しがついているでしょう?」


「――追い風の、エセン……ですか?」


 レオナ・マグダナルは椅子にゆっくりと腰掛け、淹れたての黄茶おうちゃの香りを楽しむと、恐る恐る口へ運んだ。――あちち。 

 熱がったことを悟られぬように、ゆっくりと、上品に受け皿と共に机へ置いた。


「きな臭い話、噂のランスラスカでの事件に関してはどういう訳か、未だにはっきりとした情報を帝国から貰えていません」


「ルディアの騎士がランスラスカ王の命を狙った……という在り得ぬ噂、ですな」


「えぇ、単純に考て、ソイル家に仕えていた彼女は――逃げ延びてきたと考えるのが妥当でしょう」


「――マグダナル学院長も彼女をご存知で??」


「彼女を知っている。というよりは、ラベナル・ソイルに何度か依頼に応じていただいた事があったので」


 レオナ・マグダナルは右手の人差し指をクイクイと曲げた。すると右手側の本棚から1冊の厚みのある古めかしい本が手元まで勢いよく吸い寄せられた。

 老眼鏡の位置を直し、ペラペラと捲る。


「今朝、行商市場でうろうろしていた彼女を見かけた時は、驚きました。彼のいつも後ろにいた少女と――最初は他人の空似かとも思いましたが、綺麗な魔導回路を見たら直ぐに、本人と分かりましたよ」


 ――ふむ……これに載っていないか。


「彼女に声をかけて少しばかり話をして、主人である少年を探していると聞いた直後にあの魔導力を感じたので、学院に向いました」


 再び指を曲げ、別の本を取り出し、何かを探すように慣れた手つきでペラペラと捲った。


「その途中でまだソイル家に仕えているのか等、質問しました。当然、曖昧な返答ししか得られませんでした。ですが今の主人、あの少年の名を――」


「聞いたのですか!?」


 食い気味にセダム・ドルファは、学院長室の外にまで響く程の声を上げた。思った以上の声が出たことに自分でも驚き、間を置いてから咳ばらいをし、切り出す。


「それで、彼の名は?」


 少し残念そうにため息を軽く吐き、本を閉じた。


「アルメニア・ロザレス――まぁ、偽名でしょうね。この帝国史大辞典にも、こちらの旧帝国史辞典、どちらにもロザレスという人物、家門は載っていません」


「――ロザレス……つまり、追い風のエセンが仕えていることも考慮すると彼は、ソイル家の……名までは覚えていませんが、鍛錬もせず書物庫に籠っている末子がいるという話をバルサ――ルディアの騎士、から聞いています……」


 それだと、レン殿とあそこまで張り合える子だとは到底考えられないが……鍛錬など必要が無いほど元から力を有している――だけにしては動きや雰囲気が、それを極めた達人の様だった。どうにも話が上手く合わない……


「そうですか」


 証拠が無く冤罪の可能性があるバルサ・ソイル

 事前とも思える時期に国外逃亡し、姿を消したミネザ・ソイル

 

 そして、女中と逃げ延びた偽名の末子……アルメニア・ロザレス

 仮に彼がお孫さんであるなら、帝国の力を持ってしても誰一人捕らえられていないのは、流石はあなたの御子孫と、言わざるを得ませんね。





 

 ――あることを知りたくてね、そのついでに世界中の書物を集めてるのさ。そうだ!あんたが書いた本も報酬として1冊頂けないかな?――






 あなたとは色々ありましたね……

 

 口元を隠しホホホと小さく笑う。

 指先を動かし2冊の辞典を浮かすと、元の場所へ収納しようと思った。その時――



――なるべく古い本が読みたいんだが、何か持ってないか?例えば――



 ラベナル・ソイルとの他愛の無いやり取りをふと思い出し、指先がピクリと動く、真新しい帝国史大辞典のみを本棚へ押し込み、旧帝国史辞典を再び手元へと吸い寄せた。


 ……あの時も、確か――


 レオナ・マグダナルは書物等出版物一覧の羅列を入念に読み漁る。


 帝国史大辞典は、約8~10年毎に更新され、新書が発行されている。国立リヤド騎士学院が創立され、レオナ・マグダナルが学院長に就任した際、帝国から最新である帝国史大辞典を支給された。一方、今となっては旧帝国史辞典と言われている古めかしい辞典は、彼女が親から貰った持参物で約300年以上も前の物だ。

 大辞典というだけあって、997年の歴史があるマンチニール帝国の情報をまとめてはいるが、膨大な情報の全てを詳細に記載し続けるのは不可能な為、古い制作物の情報、没落や途絶えた村や街、騎士の家系、帝国にとっては些細な事柄、知られたくない歴史、それらは新書になるにつれ添削、改竄されている。


 

[書物等出版物一覧 た行]

 

【帝国一角大雄鹿リニオリトの急増解明】

 天敵不在の理由、生態系偏り、狩猟方法等が記載されている。

【帝国暦700年 偉大な騎士達】

 を討伐した初代四騎士から戦乱の今、話題の現代騎士の偉業を網羅。

【帝国超大狼レニオ フォロゥ物語】

 帝国内を旅した一人と一匹を主役とした感動的な創作物。


 当時、私が彼に差し上げた書物の1つ。


 ラベナル・ソイルがこの辞書を読み漁っていたのは、あることを知る為のめぼしい書物の詮索……だったはずが、これで見つけたということですか……聞き慣れないロザレスという家名に気を取られました。

 しかし、わざわざ悪魔の名をかたる意味は……


 彼が冒険者を引退し、数年後にニングァドール家の事件があった。それを理由にアルゾワールの外れに移り住んだと思っていたけれど……

 

 まだアルゾワール王国の首都、ジカランダであれば多少なり箔がついたであろう。

 世界を股に掛けた辰巳の風ラベナル・ソイルが、最後に住む場所として選んだにしては、あまりにも凡庸と思われていた。

 街でも村でもないアルゾワールの外れ、大樹の麓の古屋敷。

 

「彼の屋敷に何か答えが有るやもしれませんね」


 レオナ・マグダナルは程良い温度になった黄茶おうちゃを一口飲むと、椅子に深く座り直しホッと一息付いて目を瞑る。

 そして記憶の片隅にある彼との日々の足跡を辿るのであった。

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