特別講義 ジェンダー・セクシャリティーと法

 セクシャルマイノリティーと婚姻・パートナーシップ

                            2012年5月19日


1はじめに


ジェンダーとセクシャリティーに関する法について考えたいと思いますが、まず、日本における歴史的な流れを見た後、現在の日本における制度や先進諸国の制度を見ていこうと思います。


2歴史的な流れ 明治憲法から日本国憲法へ



終戦によって明治憲法から日本国憲法へと法秩序が大きく変化した。

 天皇主権から国民へと主権が移りましたが、それによって、家族に関する法に対する考え方も大きく変わりました。

 cf憲法13条、14条、24条

 法社会学者の渡辺洋三は、24条について、次のように述べている。「この規定は、基本精神等に十三条の「個人の尊重」と十四条の「法の下の平等」を家族生活に関して具体化したものであるが、明治民法下の家族制度が新憲法の基本理念と根本的にあいいれないものであることは明らかであり、民法の親族・相続両辺の全面的な改正の作業が進められることになった」(渡辺・法の常識 第3版 1993年 有斐閣 P29)

 ここで言う、明治民法下の家族制度とは、今の憲法の制度とは、どのように違っていたのだろうか、「家父長制」とか「家制度」という言葉が、明治憲法下の日本の状況を最も表していると思える。 渡辺によれば、家制度の定義は「「家」制度とは社会の単位を「家」という集団を中心に考え、個人はそれに従属し、その中に埋没する制度である。」渡辺は、次のように続ける「結婚は、個人の自由な意志にもとづくものでなく「家」と「家」のあいだの結婚である。」(渡辺・日本社会と家族 初版 1994年 労働旬報社 P22)

 個人の尊厳と両性の意思に基づいて成立する婚姻によって結ばれる現行憲法の家族制度とは違い「家」という集団が基準にされていた点が重要ですが、戸籍を見ると今も世帯単位であって、完全に現行憲法に適合した制度とはいえない面もある。



3性同一性障害者の権利と戸籍の変更


性同一性障害(以下GID)という言葉が世に知られるまで、同性愛と同一視されていた。

 後に述べる同性愛と同様、当然、憲法によって人権が保障される。cf13条 14条


(1)名の変更

「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下 GID特例法)が成立しGID当事者の性別の変更が可能になり、それに伴って「性同一性障害」を理由とした名の変更の申請が可能になった。

 GID特例法成立以前は「永年の通称使用」を申請の理由にしていたが、5年以上の使用の実績が必要であり、とても時間のかかる仕組みであったが、近年、前者を理由に申請することによって期間は約1年での変更が多くなった。(札幌家裁では診断書のみでの変更もみとめられた)


(2)性別の変更

 GID特例法の3条の要件をみたせば性別変更は可能だが、その要件にたどり着くのは非常に困難な道のりであるといえよう。特に「子なし要件」(未成年の子がいないことに変更)は日本のみである。

 年齢は他の国では18歳にしている国もあるが、特段に厳しいとは言えない。

 外科的処置をして「性腺の除去」と「生殖器の外観の変化」の要件に関しては、身体的な問題や経済的、あるいは思想的な理由でメスを入れたくないという者にとっては酷なものであろう、しかし、多くの国もこの要件を残している。

 次に婚姻要件だが、婚姻中にであっても、性別変更を望む当事者も存在する。性別変更によってパートナーと同じ性になってしまうので、この要件を削除するためには、同性婚や同性愛カップルにも適用可能な「パートナーシップ法等」を認めなくてはならなくなってしまう。(後にGIDと同性婚の関係について述べる)



(3)GID特例法成立以前

 GID特例法成立前に性別変更した事例が1件ある。

 終戦直後、聖路加病院でいわゆる、性転換手術をして家裁に申し立てをして性別変更したMTFがいるが、人権の関係から審判書の謄本は厳重に管理されていて表には出ていない。

ブルーボーイ事件(東京高裁(S45)1970・11・11)

 いわゆる闇での手術をおこなっていた医師が「優生保護法」(現 母体保護法)違反で起訴された事件

 適切なガイドラインをとって治療を行うべきと判例は述べているが、この事件のため、日本でのGID治療が萎縮してしまった。


(4)GIDは病気か?

GIDを疾患(病気)とすることに多くの議論が巻き起こっていますが、法的にはそうしないと問題が起こってしまう恐れがあります。

第一に、GIDの治療を正当化して、医療従事者を守る必要性があります。ブルーボーイ事件に見られるように、GID治療の中にはホルモン療法や手術療法のように、生殖機能を不可逆的に喪失する蓋然性を含むものがあり、法的に認められない治療は、母体保護法違犯や刑法204条の傷害罪に該当してしまうことが考えられるのです。

第二に、これは、法的な問題だけでなく、社会的な問題でもありますが、病気とすることで社会的に認めさせることができるということです。ネガティブな発想かもしれませんが、そのようなメリットがあります。

第三に日本ではまだ認められていませんが、保険の適用の問題があります。疾患とすることで、ホルモン療法や手術療法に保険が適用されるようになる可能性がでてきます。

この三つの理由からGIDを疾患と認めたほうが法的な権利が守りやすくなるというメリットが考えられます。


(5)特例法と性別二元論

 特例法は社会的性の枠からはみ出てしまったGID当事者の性別を修正するものであるから「性別二元論」すなわち、「男と女」という、既存の性規範から逸脱してしまった者をその枠に収めてしまって、それで、済まそうとする危険性も内在していることを忘れてはならない。

竹田香織は次のように述べている。「特例法は、性別二元論の枠組みを超えるものではないが、セクシャル・マイノリティーに部分的ではあれ、公的に光を当てたといえる。しかし、ここで救われるマイノリティーがまた「一部」であることも忘れてはならないだろう。」(GEMCjournal 竹田・「性同一性障害者特例法をめぐる現代的状況―政治学の視点からー」 P103 PP94から103 2009年 東北大学)インターセックスやXジェンダーの人たちの権利が忘れ去られないためにも竹田の言っていることはきわめて重要であると思う。


4同性愛者の権利

東京都青年の家事件(東京高裁 (H9)1997・9・16 判決)

同性愛団体の宿泊拒否の事件、同性愛者であることを理由に、宿泊拒否することは許されないとして、同性愛者の権利を保障した。この判例を、同性愛を「性別」ではなく、「社会的身分」と見ている見解があり、裁判所の法解釈が「性別二元論」にたっているとすれば、問題であろう。




5日本国憲法とセクシャルマイノリティーの家族を結成する権利


(1)憲法24条の解釈をめぐって・・・日本で同性婚は可能か?

憲法24条の両性とはなにを意味するのであろうか?両性は英文憲法では「both sexes」と訳されている。

 憲法学者の渋谷によれば、「両性とはboth sexesであり当事の社会規範からして男女を意味すると解さざるをえない。」(渋谷秀樹・憲法 2007年 有斐閣  P413)

 当事の立法者たちは、セクシャルマイノリティの存在を考慮しなかったであろうし、「性別二元論」の社会を前提においていたことがそこから読み取ることができる。

 現在、GID特例法が成立するなど、先進諸国に遅れつつもセクシャルマイノリティの権利が保障されてきた。

 渋谷は「同性同士の「婚姻」が異性同士の婚姻と同程度に保障されると解することは憲法の文言上困難である。」と述べているが、先進諸国の制度を踏まえ「このような従来な社会通念の根本的な見直しを迫っていると解される」と述べる。

(渋谷・赤坂著 有斐閣アルマ 憲法1人権 2007年 有斐閣 P224)

 渋谷が言うように、「両性」が「男女」のみに限定されていたとしても「婚姻以外の制度」によって関係を保障することは可能であり、現在、同性愛カップルは、養子縁組をしたり、「準婚姻契約」を結んだりしているが、婚姻とは別に特別法として、「パートナー登録法」を創設することは、憲法上許されると考えることも可能だろう。しかし、立法当事の社会規範に拘束されるところに疑問が残る。

 これに対して、民法学者の二宮は「憲法24条は、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」と規定するが、本条のもとになった草案を作成した連合軍総司令部(GHQ)にベアテ・シロタ・ゴードンの真の意図は、明治時代、婚姻が親や戸主の意向のままに決められることが慣例となっていた事実をふまえ、これをなくし、女性の権利を確立することにあった(鈴木昭典『日本国』憲法を生んだ密室の九日間(創元社,1995)200~207頁、なお君塚正臣「日本国憲法24条解釈の検証」関西大学法学論集52巻1号(2002)1頁以下参照)異性カップルのみに婚姻を保障する規定とは言えず、民法で同性婚を認めたり、登録制度を設けることは、憲法には違反しない。」(二宮 家族法 第3版 2009年 新世社 P32)

 おそらく、二宮は24条の草案を作成した。ベアテ・シロタ・ゴードン氏の意図が明治憲法の時代、女性の権利が制限されていたことから、このような制度から女性を守るために24条を作成した点に着目している。女性の解放の延長線に男性やセクシャルマイノリティーの解放があると考えているのではないかと推察できる。

また、憲法学者の横坂は「当事者にとって最も自然な状態と思われる時に、国家や社会はその二人の愛情や感情を防止する権利があるだろうか・・・・・・中略・・・・・性同一性障害が治療対象として認められてきた今日では、この問題の解決も早いかもしれない」(横坂・憲法と法のしくみ 2006年 北樹出版 P63)と、国家による個人の「愛情」「感情」への干渉に対する危険性を述べている。

 これらのことをふまえると、当事の社会規範から比べ多様化が進み変化しているのは明らかであり、実際「性別二元論」によって男女に分けることは不可能であろう、生物学的に男女のどちらかに分けることが困難な「インターセクシャル」の人たちも存在しているわけで、彼女(彼)らを強制的にどちらかの性に振り分けるという重大な問題とも関わってくる。

 両性を男女に限定しないほうが、憲法の趣旨にも合致し 24条と13条、14条との連続性を保つことができるように思われる。


 (2)GID特例法と同性婚の関係

 前に述べたように、性別変更の要件の「現に婚姻していないこと」の要件をなくすためには同性婚の成立が重要となる。

 「男性と愛し合うFTM男性、女性と愛し合うMTF女性、FTM男性同士のカップル、MTF女性同士のカップル、もともと異性間で夫婦生活を送っていたが、一方が性別を変更し、他方もそれを受け入れ、同性のパートナーとして引き続き生活する者」(赤杉 土屋 筒井 編 同性パートナー 同性婚・DP法を知るために 2004年 社会批評社 P213)このようにGID当事者の中にも同性愛(両性愛)は存在することは忘れてはならないし、彼女(彼ら)のパートナーの間の法的な保護が問題となる。

 まず、婚姻中のものが性別変更するというケースであるが、この場合、特例法の「未婚」の要件に該当しなくなるため「事実上の婚姻関係」は継続していても、「法的な婚姻関係」を解消しなければならなくなってしまう。

 GID当事者の問題としては、法的性別の選択に伴って「法的に婚姻」できる相手も強制的に選択されてしまうことがある。

 eg現在、法的性別が男性のMTFであるXは現在女性と婚姻できるが、性別適合手術をしてGID特例法によって法的性別を女性に変更すると男性と婚姻できるようになる。

 このような問題の背後には現代の法制度の中に潜む「異性愛規範(主義」が影響を与えていることは言うまでもない、すなわち、ここでも「男は女を愛するべき、女は男を愛するべき」という「性別二元論的な異性愛規範(主義)」がセクシャルマイノリティーの権利を制限してしまっているのである。

性別の選択によって婚姻できる相手がきまる「or」ではなく、どちらの性別を選んでも婚姻できる相手に影響ない「and」にすることによってより多くのGID当事者に光があたるだろう。


6先進諸国の状況

 先進諸国ではどのような制度があるのだろうか?歴史的に検討したのち、北米(アメリカ合衆国とカナダ)とEU諸国(スウェーデン、フランス)を見てみたい


 (1)歴史的な流れと文化的な側面(宗教規範による影響)


ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には強い性道徳感があり、それが法にも強く影響している(ソドミー法)

 しかし、中世以前には、同性の結婚式が行われていた記録も残っている。「ジョン・ボズエルの最近の著書『近代ヨーロッパにおける同性の結婚』で明らかにされている。そこでは、同性の二人を結ぶキリスト教典礼の展開がたどられている。」(アラン・A・ブッシュ著 岸本和世訳 教会と同性愛 互いの違いと向き合いながら 新教新書 2001年 新教出版社 P60)

 おそらく、男性中心の社会を作るうえでだんだんと性規範が強まっていったのだろう。そのため、セクシャルマイノリティーたちは永い間、弾圧される歴史をたどることになる。

第二次大戦中のナチスの弾圧による「ピンクトライアングル」と「ブラックトライアングル」は良い例だろう。

その後、ニューヨークの「ストーンウォール・イン事件」をきっかけに同性愛解放が叫ばれるようになった。

 現代、弾圧の象徴であった「ピンクトライアングル」「ブラックトライアングル」も解放の象徴に意味を変え「レインボー」などさまざまなセクシャルマイノリティ解放の象徴と伴に掲げられて世界各国でセクシャルマイノリティー解放運動が起きている。


文化的な側面としては、私たちのように届出が婚姻を成立させるもので、宗教的儀礼は「象徴的」なものという捉え方ではなく、彼らにとっては宗教的な婚姻儀礼は「神との契約」としての重さが強い、キリスト教式の結婚式の式文によくある「この婚姻に異論のある人は、今、申し出てください、あとからは何も言うことはできません」や「神が結び合わせた者を人は引き離してはならない」はまさにこの「神との契約」を守る側面がある。

 欧米(とくにEU)では法的婚姻(市民婚)と宗教的婚姻は分けられている。

(2)北米(アメリカ・カナダ)

 昨年、ニュースでカリフォルニア州の同性婚成立のニュースは記憶に新しいと思いますが、悲しいことに、同性婚廃止法案が通ってしまい、カリフォルニア州では、同性婚が不可能になってしまいましたが、まだ、マサチューセッツ州をはじめ、いくつかの州で同性婚は残っていますし、パートナー登録制度のある州も多く存在しています。(州によって、ドメスティックパートナーシップ、シビルユニオンなど呼び方はさまざまですし、保障される内容にも違いはあります。) 米国では同性愛者の人権が政治上の大きな争点になったり、さまざまなところで議論されたり、テレビドラマのエピソードなどにもその問題が描かれたりします。

 実際、マサチューセッツ州で同性婚が成立する前に「アリーmylove(日本タイトル)」という、マサチューセッツ州ボストンの法律事務所で、働く弁護士アリー・マクビールを主人公にした。ドラマの中で性別変更していないMTFと男性のカップルが同性婚を認めるように裁判を起こすという話がありました。

 ドラマの中では敗訴でしたが、その後、喜ばしいことに、2004年に、マサチューセッツ州で同性婚が成立しました。

 このように、アメリカでは政治的にも社会的にもセクシャルマイノリティーの人権の問題が考えられているのは日本とは大きな違いを感じます。

 次に、同じ北米のカナダですが、カナダでは同性婚を認めないこと事態が違憲であるという判決が下っています。(しかし、信教の自由の問題からキリスト教会等の宗教法人に同性婚儀礼(ホーリーユニオン)を強制するものではない)

 カナダの同性婚について、河北は次のように述べてる。「当初、異性愛規範の強かったカナダで、配偶者に同性愛者を含めることまで承認するに至ったのには、やはりその根底に、お互いの差異を承認しつつ、平等を促進するという裁判所の努力があったからであろう」(GEMCjournal 川北・「カナダ憲法における平等権と性的指向問題の連続性 」 P61 PP52から65 2009年 東北大学)日本人の権利の意識と比較してみて思うのですが、当時の彼らの多くは、強い「異性愛規範」を持っていましたが、おそらく、同性愛者を精神的に受け入れられなくとも、それと権利を与えるか否かは別の問題として捉えていたのではないでしょうか。

 さらに、カナダでは事実婚も広く認められて、異性、同性間を問わず、一定期間パートナー関係があったことが証明されれば、法的な保護が受けることができます。

 (3)EU(スウェーデン・フランス)

フランスでは1999年に民事連帯契約法(パックス)が成立しました。

 これは、異性間、同性間関係なく使える制度で、裁判所に行き自分たちの「契約」を登録することで成立します。


※二人の合意のほか一方的に解消ですることが可能、貞操義務はない。


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📜聖モニカ学院講義ノート 憲法学📜 猫川 怜 @nekokawarei

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