[3] 白昼

 刺詩は打刀を抜き放つとその勢いのままに斬りかかった。

 白昼堂々、天下の往来で刃傷沙汰かとまわりの町人どもは慌てふためく。

 刀を抜いたのは薄汚れた紺の着流しに刀を腰にさした男、目も虚ろな40すぎのいかにも食い詰めた浪人風情。どこから流れてきたのか妖しいやつ。すれ違うものは皆、君子危うきに近寄らず、自然と距離をとっていた。


 がぎんと岩でも叩いたかのような音が鳴り響く。なんだなんだと遠巻きに眺める人々は、斬りかかられた若者、確か魚売のやつが右腕の表面でもって刃を止めているのに気づいた。

 魚売の右腕は黒く変色しひび割れている。

 誰もがひと目で確信する――人間でない。

「なぜわかった」

 魚売はぎらりと凄絶な笑みを浮かべる。

 対する刺詩は口を開かない。静かに体をひいて距離をとった。


 怪とは人に似て人でないものである。人に紛れて人を食って生きている。

 いつからそこにいるのか? わからない。どこで生まれたのか? わからない。なぜ人を食うのか? わからない。

 その存在自体は広く知られている。けれども彼らについてわかっていることは非常に少ない。

 遭遇した場合ほとんどの目撃者は怪によって食い殺されてしまうからだ。


 町人たちは一斉に逃げ出した。我先に、できる限り遠くへ逃れるために、全力で足を動かす。順序などお構いなしに、その場に倒れるものがあれば踏みつけて、必死になって逃亡する。

 本来であればその行動は無意味であった。

 怪の機動力は人間をはるかに超越する。正確なところは不明だが、怪に存在を認識され逃げおおせた事例がほぼないことから、その素早さがうかがえる。

 本来であれば――その時、状況は本来と違っていた。


 最初に斬りかかった男、刺詩はまっすぐ正面から目をそらさずに怪を見つめていた。

 互い一歩踏み込めば武器の届く距離にある人ならざるもの、我を失い逃げ惑う群衆、非日常の最中において、表情ひとつ動かすことなく、人間の敵と対峙する。

 怪もまた動かない。自らの正体を見破り、初撃を受け止められてなお撤退の意志をみせない、通常から外れた相手に警戒を示す。


 ただしその警戒は長くつづくものではない。

 人間は怪を人間より優れた存在であると認識している。同じく怪も自分たちを人間より優れた存在であると認識している。

 すなわち傲慢である。

 短期的には人間に対して注意を払うことはあっても、たちまちしびれを切らす。無策で突っ込む。

 それで何の問題もない。なぜなら正面からぶつかれば勝利するのは自分だと理解しているから。


 無造作な足取りで魚売は距離を詰めていく。

 刺詩は両手に握った刀を怪に向かって打ちつける。そのたびに重苦しい音が鳴り響いた。

 怪の硬化した黒い両腕はあっさりと致死の刃を振り払っていく。なんてことない、身にまとわる小さな羽虫を払うみたいに。

 通らない攻撃に刺詩が絶望することはない。深く息を吸い込んだ。切っ先を怪へと向ける。

 狙うは胸の中心。地面を蹴って、最短距離で貫いた。


「残念だったな」

 魚売は刺詩を見下ろす。その真ん中にはしっかりと刃が刺さっている。刺詩からは見えていないことだが、怪の背中からはその先端が突き出てすらいた。

 けれども怪は崩れない。平然としてそこに立っている。

 魚売の胸部は両腕同様に黒く変化する。打刀はがっちりそれにはまってしまって抜き出すことはできない。

 手を伸ばせば届く距離。刺詩の手に武器はない。勝敗は決していた。


 怪はこいつはいったいなんだったのだろうかと不思議に思った。それはほんの一瞬のことですぐに興味を失くした。1日もたてば記憶に残ってすらいなかっただろう。

 そんな時間が彼に流れることはなかったけれども。

 鮮血があたりに飛び散る。肉片のうち大きな塊はその場に落ちた。

 怪の下半身、胸から下はまったく綺麗に消え失せていた。仰向けに倒れる半分の体。見下ろしていたのはいつのまにか刺詩の方だった。


 怪は自分を見下ろすその姿に目を見開いた。

 右腕から右目にかけて、燃え上がるように赤く波打っていた。血にぬれながら強く脈動する。

 たいしておもしろいところのない仕掛けだ。

 刺詩は黒の左目と赤の右目で怪を見ていた。それからとどめをさすべく、大きく右腕を振り上げた。

 魚売は死に瀕してなお声を発した。

「なぜ怪を殺す、お前も怪だろうに」

「知っている。死ね」

 端的にそれだけつぶやくと、刺詩は赤腕を振り下ろす。魚売の頭部は跡形もなく破壊された。


 どれだけ怪が頑強な生物であろうと司令部位が叩き潰されてしまえばそれでおしまいである。刺詩は立ち上がって一息つくと刀を無理矢理に引き抜き鞘に収めた。

 だいぶ刃こぼれしていた。おそらく使い物にならないだろう。そのうちにでも打ち直すか、新しいのを買うかすることにしよう。

 そんなことを考えながら歩き出す。冷たい風が肌に触れ、徐々に熱が引いていく。見た目にも徐々に色が褪せていることだろう。周辺に人の姿がないから気にする必要もないが。

 往来に怪の亡骸ひとつだけ残して、くたびれた中年男はひとり、そのまま去っていった。

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