第48話 VS森のくまさんその1

「後は無事に王都まで帰るだけだな」


 行きには三日かかったが、帰りはそうかからないはずだ。ここまで作成した地図を参照し、出口までの最短ルートを割り出せばいいのだから。

 とはいえ目的を達した今、多少なりとも気が抜けてるわけで。

 実は冒険者の殺傷率が高いのは意外にも帰路の間だったりする。

 これは戦闘などで疲労が蓄積していることも要因の一つだが、それ以上に町に戻れるという安心感が隙を生むからだとされている。


 確かに人は取るべき行動が一つ減る毎に慢心する生き物だ。

 そのことを本能で察知しているのか、モンスターたちはそんな油断しきった冒険者を狙うため人里に戻るまでがダンジョン探索だとムールガンド先生に教えられた。


 だから俺も抜けかけていた気を引き締めなければなるまい。ここまで来て誰かが欠けることがあってはならないからだ。

 両手で自分の頬を強く打つ。

 途端、じんとした痛みが頬の内側に広がる。

 ……ふう、これで気合い注入完了だ。


「うーわ、なにやってんのアンタ」

「レイちーって、もしかしてマゾなの? それってヤバくない」


 そんな俺の行動を見てなんか若干幼女たちが引いていた。

 とりあえず誤解を解くべく今のは気合いを入れたんだと説明したら一応納得はしてくれたのだが、


「あら、言ってくださればわたくしが直々に気合いを入れて差し上げたのに。この槍で」

「いやそれだと逆に穴空いて気が抜けるからな!?」


 突っ込むと、五人の幼女は互いに顔を見合わせてからからと笑った。

 その可愛らしい笑顔を見て。

 ひょっとすると俺たちのパーティーはへたに気を張らず、こんな風に弛緩した空気の方が合っているのかもしれないと思った。

 なんせこいつらは、まだあどけない子供なのだ、こっちの方がそれらしい。

 いっそ鼻歌でも歌いながら帰ろうか、なんて提案しかけた時に空気が凍った。


 ――いた。


 全身を、体毛に覆われた、巨躯の熊が、のっそりと、俺たちの眼前に、立っていた。カフスボタンのような、黒々とした瞳を血走らせ、こちらを、憎々、しげに、睨みつけ、ていた。獲物を容赦なく引き裂く、前足の爪を、赤に染め。背中に、怖気を、走らせた俺たち、を、さらに威嚇するように、けたたましい咆吼を上げた。だけどそれは、どこか悲壮感を滲ませていて。まるで子を失った母親の、神を呪う怨嗟の声、にも聞こえた。そいつは、王国探検隊に、討伐されたはず、だから、この場にいるはずがなくて、なのに、なぜ、どうして、奴が、


「――フォレストベアがここにいる!?」


 やってはいけないことと分かってはいても叫ばずにはいられない。

 瞬間、二度目の咆吼が俺の体を打ちつけた。

 そのあまりの迫力に思わず顔から血の気が引く。


 まずい、この状況は確定的にまずい。

 王国探検隊はこいつらの討伐に失敗した? それとも一匹だけ見逃していた? 


 ……いや、こんな仮定に意味はない。重要なのは現実の存在として、あのフォレストベアが俺たちの前に立ちはだかっているということ。このままでは交戦必須ということ。

 奴は怒りに燃えている。

 それは自らの縄張りを荒らされたからというよりは、もっと別の理由があるように思えた。


「ちょっと待って、あいつって王国探検隊が倒したんじゃなかったの!?」


 パストもたまらず悲鳴を上げる。

 確かに生態系を壊さないように子供のフォレストベアはあえて狩らない決まりだ。

 しかしあれはどう見ても成体で、討伐対象だ。

 なのにこうして生き残っているのはどういうことだ。

 それに、さっきから子供の姿が見えないのもおかしい。 

 まさかこの事態は――だめだ、考えるな、今俺が考えるべきことは奴から逃げることだけだ。


 どうやって? 今来た道には奴がいる。そのまま横を素通りなんてできるわけがない。

 かといって奴と戦うのも論外だ。

 なら一か八か、もっと森の奥にひとまず退却するしかないのだろうか。あの巨体では木々の密集地帯を素早く抜けることはできないだろう。


 ただそれだと、最悪遭難する危険性がある。それにこの先が森の出口につながっている保証もない。

 だがそれ以外に方法もない。

 気乗りはしないがやるしかないだろう。

 もしも俺たちに女神の加護があるのならこの窮地ぐらい脱することができるはずだ。

 運を天に任せなんて柄じゃないがこんな時ぐらいはすがりたい。


 とりあえずそうと決まれば行動を迅速に、だ。

 まずはアーリアとパストの魔法使いコンビに魔法でフォレストベアの足止めをしてもらって、奴に隙ができたら全力で逃走する。

 極めてシンプルな作戦だが、一時的な効果はあるだろう。作戦も決まったことだし、さっそく指示を出すことにする。


「みんな、逃げる準備をしろ。それからよく聞いてくれ――」


 俺が作戦を伝えきるより先に、前に躍り出る影があった。

 セイだった。彼女は抜き身の大剣を担ぎながら、勇猛果敢にフォレストベアへと向かっていく。


「――っておい、なにしてるセイ、戻ってこい!」


 慌てて制止するが、彼女はそれを振り切って、


「今更こいつに背を向けて戻れっての? そっちの方が危険よ!」


 牙をむき出しにして低く唸ってるフォレストベアめがけて大剣を振り下ろした。

 魔力によって一時的に強化されている彼女の筋力は爆発的な速度で攻撃を行う。

 空を切るほどの斬撃は、しかし野生の勘でかわされる。だがそれも想定内だったのか、セイは大剣を叩きつけた反動を利用して、前方に一回転した。


 剣士の攻防一体技、チャクラムスライサー。

 攻撃によって生じた隙を、前転することによって回避する剣技だ。

 華麗に着地を決めて敵の間合いから距離を取ったまではいいのだが、セイは臆することなく再び攻撃を開始した。


「やめろ、追撃はしなくていい! ただ逃げることだけに集中しろ!」

「だから嫌よ! 絶対逃げ切れるとも限らないし、だったら今ここで倒した方が絶対にいいでしょ! なによりせっかくお金になるモンスターをこのままみすみすと見逃せないわ!」

「金になるって、……あいつ!」


 もしかしてそれが目的か。

 確かに思い返せば、時折あいつは金のことを気にしていた。だからって、そんな身勝手な理由で仲間を危機にさらしていいはずがない!

 だが、セイに引く気はないらしい。

 くそっ、フォレストベアと交戦したくはなかったんだがどうやらそうも言っていられないみたいだ。

 とりあえずセイへの説教は後でするとして、現状俺がやるべきことは一つ。


「……どうやら奴と戦うしかないみたいだ。悪いがみんな、セイの援護をしてくれるか」

「言われなくても」

「そうするつもりだ」


 短く答えると、エヴァンジールとスティングベルが続けて飛び出す。

 途中で二人は左右に分かれ、それぞれが担うべき役割に移った。

 エヴァンジールはパーティーの盾役に。

 スティングベルはトリッキーに翻弄するする遊撃役に。


「あーしたちもやるっしょ!」

「うん、セイちゃんたちを死なせないよ!」


 頼もしい声音でパストとアーリアも急いで魔法の詠唱に取りかかった。

 魔力の節約だなんだと言っている場合ではない。

 ここで出し惜しみをして死んでいるようでは意味がないからな。それに前衛がやられたらそれこそ死と同義だ。だから全力を出させる。

 ただしパストには、火の魔法を重点的に使用するよう伝えてある。

 森に生息するモンスターは大抵火に弱いと相場が決まっているし、事前に調べていた情報でも奴は火に弱いとあった。

 だから二人にはアーリアの霧魔法で視界を奪い、パストの火魔法を浴びせるコンビネーションプレイで攻めてもらう。


「グウオオオオッ!」


 フォレストベアの砲声のような怒号。

 奴から距離を取っている俺ですら縮み上がりそうだというのに、最前線で戦う幼女たちのなんと肝の据わっていることか。

 決して恐怖がないわけではない。

 その証拠に彼女たちの背中は震えていた。

 昨日の冒険者たちの末路を頭によぎらせながら、それでもくじけそうな心を叱咤して精一杯目の前の敵と相対していた。

 だから俺も腹をくくる。

 こいつらとは一蓮托生、死ぬ時は一緒だ。

 さあ怯える暇があったら頭を働かせろ、生き抜く術を模索しろ!


「ガアッ!」


 冒険者の防具ごと肉体を刈り取る強大な爪が振るわれる。暴風が如き一撃をすんでのところで避けるスティングベル。

 態勢を整えるべく荒々しくステップを踏みがてら余力で投げナイフも投擲するが、フォレストベアの隆起する肉体の前になんなくはじかれた。

 なんという防御力だろう。

 下手な武器よりも強力な爪と、鋼のように頑強な肉体か。厄介だな。


「おあああああっ!」


 フォレストベアに負けじとセイも叫ぶ。

 といってもただの雄叫びではない。これは生物の闘争本能を刺激し、パーティーメンバー全員の基礎攻撃力を高める剣士の技、ウォークライだ。

 なるほど、こいつでスティングベルに足りない力を少しでも底上げする魂胆か。

 ただウォークライはその強力な効果と引き替えに使用者の魔力を著しく消費する技だ、そのため連発はできない。

 しかし強敵相手に短気決戦を挑むのは、策としては間違っていない。

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パーティーメンバーを寝取られたおっさん冒険者は自分に惚れている年下美少女と新たにやり直す〜NTR男が今更かつての仲間を返したいと泣きついてきてももう遅い〜 佐佑左右 @sayuu_sayuu

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