第4話   参りました

そうこうしている内、三十くらいの可愛い女性から声を掛けられた。

「・・・あのー。すみません。今日、オネスティは休みですか?」

「あのお客さんですか?」

「はい。ひとりですし、特に予約はしていなかったのですが」

「ああ。そうですかー。実はですね。ここのマスターは、昨日痴漢をやりましてね。暫く警察に御厄介になるらしいんですよー」

「え?本当ですか?」

「しかも下着泥棒の余罪もあるらしく、本当に困った世の中になりましたねー」

「がっかりですわ」

「でも、そうがっかりしなくても宜しいかと」

「どうしてですか?」

「ほら。ここにダイヤの指輪。そして白魚のようなあなたの指。どう見ても今日の出会いがわたしには、偶然のようには思えないのですが」

「ひょっとして、あなたは、あしながオジサンかしら?」

「私があしながオジサンかどうか、それを確かめる前に美味しいカクテルのお店に行きませんか?」

「連れて行って下さるの?」

「もちろんでございますー。お嬢様―」

「まあ、嬉しいわ」

「山岸君、そう言う訳だから、君は会社に帰って書類整理でもしてくれたまえ。じゃぁ」

「・・・」

僕は、呆気に捕らわれた。

そして、ここに来て、ぼぉ―として、何も反論できないそんな自分が、情けないほど小さい気がした。

川辺さんは、立派な人間じゃないけれど、生きる力は、誰にも負けないほど。

そんなエネルギーで満ちている。

だから少々のことではへこたれない。

そして潰しが効く。

川辺さんの生きる力、それは僕にとって、常識では測り知り得ないが、一番大切なことのように思えた。

今、ここでそれを教えてもらったような気がした。

そしてそれを宝物として一生心に留め置くことにした。

恐らく今夜が川辺さんとは最後でこの先は会わないだろう。

いや、今後川辺さんとは会わないことに決めた。

だから最後に僕は、背中をぴんと伸ばし、両手を両脇に抑え、腰を45度曲げ、去り行く川辺さんの後姿にこれ以上ないくらい深く礼を申し上げた。

これぞサラリーマン伝来の最高のお礼である。

「川辺さん、今までの色々なご教授、ありがとうございました」


長い時間深々と腰を曲げ、最高の礼を終えてから川辺さんを見ると、彼ら二人は、まだぶらぶらと歩いていた。

そのまま川辺さんの後姿を追いかけると、遠くで彼は、女性のお尻を撫でまわしていた。

・・・彼女と出会ってからまだ五分も経っていないのに・・・

・・・更に更に更に磨きをかけましたか?・・・川辺さん。



・・・参りました!


終わり

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参りました 伊藤ダリ男 @Inachis10

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