第2話エリーネ神からの恩恵

 八穂やほはキッチンに戻ると、リクにキャットフードを出してやろうと戸棚を開けた。

 

「あれ、十個ある」


 戸棚には買い置きしてあった猫缶が十個入っていた。昨夜ひとつリクに食べさせたから、残りは九個のはずだった。

 勘違いだったのか、八穂は首をかしげながら猫缶を開け、リクの餌入れの器にあけてやった。


「ねえ、リク」

 『なに』

 リクは猫缶のチキンをひとなめして、顔を上げた。


 「神獣のリクは、いつものご飯でいいの」

『ホントは食べなくてもいいのだ。だけど食べればおいしいのだ』

「そうなんだ」


 『猫の食べ物でもいいけど、ホントはヤホと同じ食べ物がいいのだ。これは味がない』

 リクはフンと、キャットフードに鼻息を吹きかけた。


「次からは味をつけるようにするよ」

 八穂が言うと、リクは嬉しそうに尻尾をパタパタと振った。


 味は落ちてしまったけど、もったいないからこれを食べよう。八穂は食卓のトマトパスタを電子レンジに入れた。

 どうやら、電気も普通に使えるようだった。サラダにかけるドレッシングを出そうと冷蔵庫を開けたが、停電していることもなく庫内はちゃんと冷えていた。


 「あれ?」


 半分ほど使ってあったはずの玉ねぎドレッシングが、ビンの口いっぱいまであった。おかしいと思い確認してみると、醤油も味噌も、料理酒も酢も、みんな満タンにもどっていた。


 八穂は思い立って、米櫃こめびつのフタを開けた。コクゾウムシが出てくるのに耐えられないと、八穂のこだわりで買った保冷米櫃だった。

 

「やっぱり」

 八穂は手を額に当てた。

 

 米は底の方に二合か三合くらい残っていただけで、翌日にも買いに行こうと思っていたところだった。それが、十キロ入る米櫃いっぱいにお米が詰まっていた。


「リク、リクちょっと」

 『何なのだ』

「ねえ、調味料やお米、増えてるのだけど。何か知らないかな」


『ああ、食べ物とか使った物、朝になると元にもどるのだ』

 リクはキャットフードを食べ終わり、ペロペロと手をなめながら言った。


「やっぱり、そうなんだ」

『エリーネ神のおわびの気持ち』

「うわあ、助かるけど、嬉しいけど。不思議すぎる」


 『この家の中だけ特別なのだ』

「そうだろうね。うん、助かるよ」


 八穂は電子レンジから温まったトマトパスタを取り出すと食卓にすわって食べはじめた。

 せっかくのパスタはくたくたに伸びてしまっていたが、なんとか食べられた。レタスもキュウリもしなしなだったが、食べずに捨てるという選択肢は八穂にはなかった。


 食べ終わった八穂は、流しで皿を洗った。ふたつある蛇口からは、それぞれちゃんとお湯と水が出るようだった。

このぶんではトイレも普通に使えるだろう。水はどこから来て、どこへ行くのか疑問だった。


でも八穂は、あまり深く考えるのはよそうと思った。この現実を受け入れるだけで精一杯だったのだ。


 『ああ、そうだヤホ。これわたすのだ』

 リクが椅子に飛び乗って、食卓の上に何かを乗せた。


「なに?」

 『エリーネ神から。ヤホにくれたのだ』

 

 リクがどこからか出してきたのは、小さな半円形のポーチだった。金色の留め具には赤い石がはめ込まれていて、ベルトで腰につけるような作りだった。

 

「ウエストポーチみたいね」

八穂が手に取ってながめていると、リクがもうひとつ、ゴトリと細長い物を置いた。


 『これも』

「それは何」

『ナイフ』

「え? ナイフって、どうして」


 『魔法ポーチなのだ。たくさん入る。お金も少し入れてあるのだ。ナイフはこれから使う』

「魔法って、魔法があるの、ここには」

 『あるのだ。この世界には魔素まそがある。地球にはないのだ』

「そうなんだ。はあ、ちょっと疲れるな」


 『疲れたか、ヤホ。休むか?』

「だいじょうぶ。少しでもこの世界のこと知らないとね。日本に戻れるかわからないけど、当面ここでなんとかするしかないものね」


『ここには普通のけもの魔獣まじゅうがいるのだ』

「魔獣って、もしかして強いやつ」

 『たくさん魔素を吸った獣が魔獣になるのだ。凶暴』


「やっぱり、いるんだ」

 『強い魔獣はリクが倒す。弱いのはヤホも倒せるように練習するのだ』


「それで、このナイフなのか」

 『特別なナイフなのだ。よく切れる。壊れない』

「わかった。リクありがとう」

 『まかせるのだ』


 八穂は予想以上に不思議なところへ来てしまったのだと思った。お気に入りでよく読んでいた小説みたいな世界。読みながら、もし自分がファンタジーみたいな世界に行ったらと空想して楽しんだこともあった。


 それが現実となったら、果たして楽しいですむものだろうか。不安しかなかったが、何とかするしかないのだった。

 

「よし、休んだら家のまわりを見てみようか」

 八穂は気を取り直したように大きく息を吐き出して、立ち上がった。


  家の敷地の外は、ずっと先まで木が生えていて森のようだった。幸い木もれ日がさしていて、まわりは明るかった。

 足もとに茂っている草の間に獣道けものみちのような細い道が続いていて、大型犬くらいに体を大きくしたリクが先に立って道を進んだ。

 

「草の間から何か飛び出して来そうだね」

 八穂は草についた朝露が、ジーンズをぬらすのに顔をしかめた。

 

『この森に魔獣はいないのだ』

「そうなの」

 『気配がないから。いないのだ』

 

「わかるんだ、リク、すごいね」

 『リクはわかる。ヤホを守るのだ』

 リクは得意そうに胸を張った。

 

「リクと一緒でよかったよ」

 

 十分ほど歩くとまわりの木がまばらになり、ところどころに低木の生える草地になった。その先には比較的広い土の道があって、人の姿は見えなかったが荷馬車らしいものが移動していた。


「荷馬車があっちへ行くね」

 木箱を山のように積んだ荷台を、大きな馬がいていた。

 八穂は荷馬車が向かう方へ歩いて行ってみることにした。

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