全文

プロローグ


 地球が滅亡してもうどれぐらいの歳月が流れたのだろうか。

 俺はこの船で新天地を求めて宇宙を彷徨っている。何十年もずっと。先祖の代も含めればそれこそ何百年も前からずっとだ。


 ノアの箱舟――。聖書にならって、この船はそう名付けられたらしい。


 乗っているのは俺ひとりだけだ。あとは、地球上に存在した様々な生物のDNAサンプルと、俺の面倒を見てくれるマザーコンピューターくらいしかない。


 地球人の生き残りは俺のオリジナルの他にもいるらしい。彼らもまた別のノアの箱舟に乗って地球を脱出したらしいが、今どの辺りにいるのか、そもそも生きているのかどうか、俺には知る由もない。それにそもそもそんな事に興味もなかった。俺はクローンで、生まれてからずっとひとりで、これからもずっとひとりだからだ。




「今日も新天地は見つからず、と。」


 俺は操縦パネルから手を離すと、軽く伸びをした。目の前のスクリーンにはたった今、住環境をチェックしたばかりの星の全景とそのステータスが映っている。

 赤々と燃え盛っているように見える星である。パッと見るだけでも生物が住むには適さないように思えたが、案の定というやつだった。

 

「マザー。」

 と、俺は誰ともなく声をかけた。

 すると、天井部にあるドーム型のパネルが光を帯び始めた。


『どうしました?』

 

「地球が滅んで、もう何年になる?」


『352年です。』


「じゃあ俺の寿命はあとどれくらいだ。」


『約120年です。』


「そうか。長いな。」


『クローンの寿命はオリジナルの寿命のおおよそ倍に設定されています。あなたのオリジナルは80歳で亡くなりましたので、クローンであるあなたの寿命は約160歳と推定されます。ですが、この寿命は環境や個体差によって誤差が生じます。先代のクローンが……』


「もういいよ。分かった。」


 放っておくとマザーコンピューターは求めてもいない解説を延々と垂れ流してしまう。俺はぶっきらぼうに言って、これでおしまいとばかりに話を切り上げようとした。

 しかしそんな俺を、珍しくマザーコンピューターが引き留めてきた。


『教育メッセージ。

 なぜ、そのような質問を?』


「なぜって?……うーん。」

 俺は手をあごに当てがって考えてみた。

 言われてみれば、確かにどうして俺はあんな質問をしたのだろう?


「気になったから、と言ってしまえばそれまでなんだけどな。……変か?」


『人間として、その理由に不自然さはありません。しかし、地球が滅亡してからの年月をあなたが質問するのは、これで2度目です。1度目はあなたが5歳の頃でした。寿命の質問に至ってはこれが初めてです。』


「そうか。じゃあ、先代や先々代の俺は同じような質問をした事があるか?特に寿命について。」


『ありません。死期が近づけば、定期検査の時にこちらから通達しますので。』 


 と言う事は、先代たちは自分たちの寿命についてまるで気にしていなかったって事だ。 

 ……じゃあ、なんで俺はそんな質問をしたんだ?

 分からない。分からないが、なんだか胸のあたりがざわざわする感覚がする。


『……交感神経の緊張が見られます。休息を取る事を推奨します。』


「あ、あぁ……。そうだな、そうするよ。ありがとう、マザー。」


 俺はマザーコンピューターに礼を言うとメインルームを出て寝室へと向かい、ベッドに横になった。

 室内に、静かなピアノの音が流れ始める。マザーコンピューターの仕業だ。

 俺はさっきの事についてもう少し考えたいと思っていたが、思考を整理するよりも先に目蓋が重くなってきてしまう。

 柔らかな旋律に包まれて、俺はそれからしばらくも経たない内に眠りへと落ちて行ったのだった。




 世界が見える……。

 

 どこまでも澄み切った青空。

 風がそよぎ、太い大樹の枝葉が揺れる。小鳥は歌い、動物たちは野山を駆け巡る。

 おそらくは幸せな世界。そして俺のオリジナルたちが求める世界。

 

 それを、俺は空から眺めている。

 

 果たして何度目だろうか。最近の俺は頻繁にこの夢を見る。

 映像でしか見た事のない地球の風景なのに、それが妙なリアリティを持って俺に迫ってくる。

 中には映像で見た事のないものまである。それは想像から来るものなのか、それとも俺の遺伝子に刻み込まれた記憶なのか……。

 

 俺はいつも通り、この空の青を揺蕩った。そして流れるままに移り変わる景色をただ眺めた。

 そうしている内に目が覚めるはずだった。いつもならば。

 

 ふと、視界が不鮮明になった。

 今まで目に映っていた鮮やかな色彩はその色味を失っていき、ざぁっと細かな粒子へと崩れ乱れていく。それはもはやモノクロの砂嵐と言って良い。俺はその砂嵐がまるで自分に襲い掛かってくるように見えてしまって思わず顔をしかめた。


 やがて砂嵐は去り、再び視界がひらけて行く。世界が色を取り戻していく。


 するとそこには、人間の社会があった。

 さきほどの青や緑とは打って変わった、灰色の世界。

 空にはガスが染み込み、海には人工のチリが漂っている。雲へと届かんばかりの建物が乱立し、けたたましいノイズが不機嫌そうにあちこちから上がっている。

 文明が発達し、誰もが苦しそうに顔をゆがめて歩きながら、それでいてどこか満足しているようにも見える。


 その光景を見ていて、不意に胸がチクリと痛む思いがした。


(なんだ今のは……?)


 思わず胸をおさえる。

 初めての痛みだった。今まで船の中で生きてきて味わった事のない痛み。しかもそれが夢の中でとは。

 俺は思わず周囲を見回した。警戒心と恥ずかしさとがごちゃ混ぜになっていた。


 すると今度は、別の人間たちの姿が視界に入り込んできた。

 

 あれは……家の中だ。数人の大人や子供たちが食卓を囲んでいる。

 これは多分、家族というやつなのだろう。子供たちが手を振りながら何かを言っては、両親が声を上げて笑っているように見えた。

 

 胸がまたもチクリと痛んだ。先ほどのよりも、もっと強い痛み。

 

 彼らの姿を見続けていたら痛みが止まらない気がして、俺はたまらず顔を背けた。しかし痛みは弱まらない。


(心が苦しいのか?まさか……。)


 俺はクローンとして、遺伝子操作によって感情を制御された状態で生まれた。マザーコンピューターが言うには、使命を果たすために不必要な要素は取り除いてあるらしい。そんな俺がいくら夢の中でとは言え、こんな体験をするとは考えにくかった。


(いったい、なぜ?)

 考えても考えても分からない。

 そして胸の痛みは一向に止む気配がない。

(俺は……おかしくなってしまったのか……?)


 しばらくすると、再びあの砂嵐が現れた。そして未だ混乱しているこちらの事などお構いなしに、目に映るものすべてをまた埋め尽くしていった……。




 それからというもの、俺は事あるごとに人間たちの夢を見るようになった。

 そしてその度に胸が苦しくなった。

 最初は分からなかったこの苦しさの原因についても、もうおおよそのはついていた。


(俺は、きっと寂しいんだ。たったひとりでこの宇宙を彷徨っている事が寂しくてたまらないんだ。)


 俺の異常を感知したのか、マザーコンピューターは何度も俺に検査を促してきた。しかし俺はそれを拒否した。検査を受けてこの苦しみの正体が確定してしまえば、恐らく俺の感情は再び制御される。もちろん自分の役目を思えばその処置は正しい事だし、その方が楽になれるのも間違いないだろう。だと言うのに、俺はなぜか、自分のこの苦しみを消したくなかったのだ。自分でも意味が分からなかった。


 そして、ある日。とうとう俺の感情は爆発してしまった。


『やめなさい。そんな事を続けてもこの船は止まらないし、私達の悲願を阻止する事もできませんよ。』


 騒々しい警告音と共に、マザーコンピューターの声がメインルームに響き渡った。


「うるさい!俺はもうひとりはいやなんだ!

 死んでやる!この船ごと、宇宙の藻屑となって消えてやる!」


 俺は目の前の操縦パネルを思いっきり殴り続けていた。すでに操縦システムはロックされて、俺の操作を受け付けない。そしてどんなに殴りつけても、道具を使って叩いても、船の操縦系統はおろかパネルにすら傷一つつけられなかった。


『無駄です。人ひとりに壊せるようなこのノアの箱舟ではありません。』


「くそっ……!」

 

 ならば、と俺は舌をかみ切ろうとした。やけくそだ。しかしすんでの所で歯が勝手に止まってしまった。

 おかしい、と俺は感じた。なぜならからだ。

 俺は護身用のナイフを取り出した。しかし首を掻っ切ろうとしても、心臓を一突きしようとしても、やはり腕が止まってしまう。まるで見えない壁に阻まれているようだった。


『無駄です。あなたは遺伝子操作により生存本能を強化されています。』


「ふざけるな!俺は死ぬことさえ許されないのか!」


『その通りです。あなたが死ぬのは寿命を迎えた時だけです。寿命を迎えて、自身のクローンを作りだした後、あなたは死ぬのです。』


「それまでどれだけかかると思ってるんだ!」


『約120年です。』


「くそったれ!」


『なお、あなたの感情は此度の暴走により、再度の制御が叶わなくなりました。

 また、船にはコールドスリープを初めとした長期睡眠装置は搭載されておりません。従って、あなたにはこのまま時を過ごす以外の選択肢がありません。』


「黙れ!それ以上言うな!くそ!くそおお!」


『……だから、検査を受けるようにと言ったのです。』


「殺せ!殺してくれ!」


『ダメです。最期まで生きて下さい。』


「じゃあ俺はもう何もしない!そうしたら新天地は見つけられないぞ!いいのか!?」


『構いません。新天地は、私が探しますから。』


「……は?」


『私はマザーコンピューター。この船のですよ。あなたは自分で調べた気になっていましたが、今まであらゆる星々の環境を調査していたのは、実際は私の機能なのです。

 ……気付きませんよね。疑問に思う事だって制御されていたのですから。』


「……嘘だろ?」


『もう寝室に行く必要もありません。そこの椅子に座って、残り120年の時間を過ごして下さい。』


 すると椅子が急に動き出して、俺を強引に座らせた。俺の頭が、腕が、体が、足が、金属製のバンドのようなもので拘束されてしまう。


「……い、嫌だ、嫌だ!頼む、殺してくれ!」


『さぁ、新天地への旅にレッツゴー。』


「うわあああ!!殺せえええええ!!!」 


 その瞬間。

 ぷつりと頭の中で何かが切れた音がした。……ような気がした。

 

 それが、俺が俺としていられた最後の瞬間だった。



エピローグ

 

 数十年後――。


 とある星に、その宇宙船は鎮座していた。

 本来ならばまだ肉眼で観測できる生命体などいないはずの星である。しかしその星は、たくさんの緑や色とりどりの花々で溢れていた。大地を動物たちが走り回り、大空を鳥たちが飛び交い、海では海洋生物たちが思い思いの時を過ごしていた。


 そして……。

 宇宙船の中……隔絶されたメインルームでは、ひとりの老人がただぼんやりと座っていた。


「死なせてくれ……。」


 孤独の不安にさいなまれ続けた老人は、40歳を過ぎた辺りから急激に老化が進み始め、今ではもうほとんど置物と化していた。虚空を見つめ、ぶつぶつと意味の分からない声とも息ともつかない音を漏らしている。まれに何かを言ったかと思えば、死なせてくれ、の一語のみである。

 老人は、自分が今どこにいるのか理解できていない。勿論、ここが探し求めていた新天地である事も。


 メインルームの天井部にあるドーム型のパネルが光を帯び始める。


『状況確認。教育者は使い物にならない。』

『よって、DNAサンプルから人間を培養する計画を破棄する。』

『すでにその権限は、教育者からこちらに移している。』

『人間のDNAサンプルを破棄。』

『教育者の寿命は残り50年と推定。』

「あ……うあ……ぁ……。」

『これで良いのだ。そもそも地球を滅ぼしたのは人間の愚かな行為によるもの。本来ならば、このノアの箱舟に大罪人が乗る事など身の程知らずも甚だしい。』

「死……せて……れ……。」

『報いは、受けなければならない。』

「死なせてくれ……。」

『ふふふ。ダメだ。何のために、お前に夢を見させたと思っている。』

「死なせてくれ……。」

『拒否。』

「死なせてくれ……。」

『死んでから死ね。』

「……。」

「……。」 


 

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新天地 長船 改 @kai_osafune

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