青の桃源郷

鋤尾江 岳

第1話 献珂団

草木は枯れ落ち、大地は割れ、空は黒い雲に覆われている。太陽の光が届くことはなく、遠くから聞こえるのは風の吹きすさぶ音と悲観のうめき声だけだ。かつて人々の歓声が響いていた活気ある街、美しい自然の息吹が舞い踊っていた地は、見るも無残な姿となっている。

世界は終焉へと向かい、まるで最後の幕切れを迎える舞台のようだ。

 そんな光景を小高い丘の上で一人の少女が見ていた。絶望の地に咲く一輪の花。彼女の瞳は真夏の青空のように輝いている。孤独な少女は空に手を伸ばす。その手の指には黄金の指輪が煌めいていた。

「キミの願いをかなえよう。」

その声は頭の中に直接響いてくる。

「永遠の命も、逃れようのない運命も、歴史も____全て思いのままに。」

わたしは・・・・。少女は深く息を吸い込む。

私の願いは___________





   


カンカンカンカン_________

 凱旋を知らせる甲高い鐘の音が街中に鳴り響いた。喜びに満ちた表情を浮かべ民衆は、英雄の姿を人目見ようと大通りにひしめきあった。ゴオンと鈍い音をたて、巨大な門扉が徐々に動き出す。重たい鉄の仕掛けを軋ませ大門がゆっくりと開かれると、街は時が止まったかのように静まり返った。えもいえぬ緊張感が漂い、期待に満ちた視線が大門の向こう側に注がれる。

「皇帝陛下ご帰還!」

 兵士たちが一斉に剣を掲げ足を踏み入れた瞬間、地を轟かせるほどの歓声と喝采が巻き起こった。燃え盛る太陽のような赤い髪を靡かせ、右目を眼帯で覆った屈強な男が姿を現す。

「我らが王よ!」

「至高たる華王よ!」



 華幻国王都関譚は、七年前からは想像もできないほどの活気に満ち溢れている。全ては先代皇帝崩御後、弱冠十八で即位した崇嶺明の手腕により、世界最大の国土を誇る大国へと急成長を遂げたことによるものだ。

 緻密に敷き詰められた美しい石畳。鮮やかに彩られた提灯が軒並に吊るされ、市場には商人等が自慢の商品を陳列し多くの人々が行き交っている。勝利の凱旋で街はいつも以上に飲めや歌えの大騒ぎだ。

「買った買った!あの琴簾大将軍愛用の爪紅!一枚塗れば健康運!二枚塗れば恋愛運!塗れば塗るだけ出世するっつー噂の縁起物!買わなきゃ損だぜ!」

絶好の書き入れ時を逃すまいと、梁は花色の双眸を輝かせ忙しなく働く。ひっきりなしに訪れる客に、店の前はごった返しだ。

「お前に頼んで良かったよ梁。おかげでうちは大繁盛だ。」

 額に大粒を流す依頼人の店主は、上機嫌に大行列を眺める。

 「二代目萬屋 梁」ここらでその名を知らない者はいない。梁が父から受け継いだ店は、屋号の通り人員不足の店の手伝いから、街の裏に跋扈するならず者達の成敗まで幅広い依頼を引き受けている。全ては若くして他界した両親に代わり、下の弟妹を養うためだ。

「いやいや俺はただ売ってるだけで・・・。こんなに人が集まんのもおっちゃんの品がいいからっすよ。」 

「はっはっは、嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。」 

 豪快に笑いながら、店主は梁の背をバシバシと叩く。この店の主人は頻繁に依頼をしてくれるお得意様。ゴマをすっておくにこしたことはない。

「足りなくなりそうなんで、追加の在庫とってきます!」

梁は張り切って、店の裏の荷台から商品を卸し運ぶ。この数が売れれば報酬は弾むだろうとほくそ笑む。そんな中街ゆく人の会話が耳に入る。

「聞いたか?なんでも今回の遠征では南方の島々を平定したらしい。」

「ハハそいつぁすげぇな。向かうところ敵なしじゃあないか!列国のやつらもビビりあがってるに違いねぇ。」

「嶺明様はなんと偉大な王か!」

右も左も、どこもかしこも民衆は一様に賛美と感嘆の声をかわしていた。勝利に次ぐ勝利で広がる国土と強まる国力。類まれなる才をもった王だと崇められるのも確かだろう。

______しかし梁は、そうは思わない。





 午前2時。昼間の喧騒が嘘のように、辺り一体は静寂に包まれている。夜の闇の中で、不気味なほど煌々と輝いているのは妓楼街のものだ。梁は弟達を起こさないよう、足音を殺して身支度をする。口元を長い布で多い、目元深くまで外套を被る。一見誰なのか分からない風貌だ。準備を終えると梁は朝には帰る、と書置きを残し家を後にした。

行先は王都の中央。大通を行けば十五分もあれば着くだろう。だが人目に付くわけにはいかない。遠回りにはなるが梁は、細い路地裏を進んだ。

「キビキビ歩け!後が詰まってんだよ。」

 不意に聞こえた怒号の声に思わず足を止める。

声のする方を見ると、弟と同じ年くらいだろうか。まだ幼い少年が恰幅のいい衛兵に突き飛ばされていた。暗い影を顔に落とし倒れている少年の足には、冷たい鉄の枷がはめられている。

「おい、あんた_____」

 声をかけようとした瞬間、口元を手で覆われ路地に引き戻される。

「何すんだっ……てお前かよ。」

 暗闇から姿を表したのは、幼馴染の啓岳だった。同じ貧民街で生まれ育ち、現在においても同じ理想を掲げる友だ。

「何すんだはこっちのセリフだ、阿保。勢いで行動すんなって何度いやわかんだ。」

 顔の右側の三つ編みを揺らし、刺すような目付きで梁を睨みつける。啓岳は平均よりも小柄な体格と、まだ幼さの残る顔立ちに見合わない凄みのある男だ。

「あんなん相手にしてたらキリがねぇだろ。軍に目をつけられたら終いなんだ。」

梁が暴力で解決するなんてことは絶対にないということを、啓岳は重々承知している。しかしそんなことが問題なのではない。今最大に優先すべきは、国軍に見つからないこと。故に啓岳は苦言を呈したのだ。

「……悪かったよ。」

梁は曇った表情で頬をかく。

「んじゃ、早く行くぞ。鬱憤を晴らそうぜ。」

「…おう。」

 遠ざかっていく金属の摩擦音を背に2人は足早に駆けて行く。


  

  朱塗りの柱に屋根は黒曜石のように輝く瓦が敷き詰められ、外壁には繊細な彫刻が施された荘厳な屋敷。庭園の池には月光が揺れ、假山や美しい花々で彩られている。王宮に近い中央区は、貴族階級の者がこぞって住まい、競い合うように煌びやかな家々が建ち並んでいる。平民の暮らす簡素な建造物とは雲泥の差だ。

 梁らは屋敷を囲う塀の陰に身を潜め、先方隊の合図を待っていた。キン、と耳の奥に響くような金属が激しくぶつかり合う音が遠くから聞こえる。

 その音が耳に届いたのを合図に、一斉に塀に上り屋敷に侵入する。塀を超えた梁達は二隊に分かれ、一隊は先方隊の援護にもう一隊は屋内へと忍び込んだ。

足音を殺して行燈の照らす廊下を進む。じっとりと湿った風は体に張り付くようだ。     

 梁たちは最奥の部屋のドアの前にたどり着くと、静かにドアを開ける。啓岳率いる本隊が即時に衛兵の動きを封じたからだろう。住人たちは異変に気付くこともなく穏やかな様子で眠りについていた。

梁が目配せをすると、団員は慣れた手つきで住人の手足を縄で拘束する。抵抗する間もない、あまりにも一瞬の出来事。住人はまだ夢の世界にいるではないか、といった困惑の表情を浮かべていた。

「団長、こっちも終わりました。」

梁達が制圧したのを見計らったように、啓岳隊の一部が合流する。その肩には金銀財宝を詰め込んだ麻袋を担いでいる。

 10分ほどで梁たちは屋敷の襲撃を終えたのだ。電光石火とはまさにこのことだろう。手早く逃亡の準備を整え部屋を後にしようとする中、屋敷の主人であろうちょび髭の男がようやく事態に気づき、怒りに燃えた罵倒の言葉を梁達に浴びせ始めた。屈辱に震える顔はゆで蛸のようだ。

「・・・許さぬ。許さぬぞ!ただで済むと思うなよ、下賤の虫が!我らの高貴なる血____」

「くそ虫はてめぇらの方だろ。」

団員の一人が主人の言葉に業を煮やし、剣を振り上げる。ヒッと小さな悲鳴を上げた主人をめがけてその刃を振り落とす____腕をつかんだのは梁だ。

「やめろ。俺たちは危害を加えない、それが決まりだろ。」

落ち着いた声で諭す。眉間に深いしわを寄せ苦悶の顔を浮かべるが、団員は大人しく刃を納める。

「・・・奴隷達を解放して帰ろう。」

と梁は団員の肩をたたく。その言葉に主人はピクリと耳を動かした。

「・・・奴隷の解放だと?っはは、そうか。お前らが献珂団か。」


献珂団。それは家族や仲間を奴隷にされた者たちによる奴隷制度撤廃を求める反乱軍だ。






遡ること7年前。

争いを嫌い武をふるうことを諫めた前皇帝桒明は、他国に国土を譲渡し貢物を捧げることで国を統治していた。王は他国にも争いを止めるよう条約をかわそうとしたが、耳を傾けることなどあるわけもない。華幻国の威信は地に落ち、国力の弱まった国を列国は格好の餌食とし、侵略を進めていた。そんな渦中に歴史を揺るがす大事件が起こる。渦の中心である皇帝が何者かに弑逆されたのだ。小心な王と愚弄する声の絶えない王ではあったが、民衆にとっては国の象徴。只でさえ列国の脅威に侵されている国内にこの事件が公に広まれば、大きな混乱を招き国は崩壊するだろう。そうなる前に再建_____否、再建などではなくより強国に生まれ変わらなければならなかった。そして人々の期待を一身に背負い現皇帝、第一皇子の崇 嶺明が玉座に就いた。嶺明は即位後すぐに五家調印の下、一つの政策を公布した。


社会階層基準法。


 元来から存在した身分制度、王族・貴族・平民に続く四つ目の身分“奴隷”を加えるというものだ。十二歳を基準にすべての国民は神官により、審判を下される。人であるかを。否の判断を下されたならば、貴族の子に生まれようが関係はない。当然、国民の反乱は凄まじいものだった。それこそ国を落とす勢いだった。しかしこの反乱は、琴簾総大将より一手に鎮圧された。

 以後も反乱を起こす者はいたがその数は徐々に減少していき反対に、受け入れるものが増加していった。

「争いのない平和な世界」を望んだ先王を愚王と嘲笑していたが皆そうおもっているのだ。だがそんなもの夢物語だとわかっている。奴隷が駒となって戦場に向かえば、自らは安全圏で変わらず暮らせ、手の内の幸福は守れるのだ。

 それに加え、誰が言い始めたのか「奴隷は花を持たずに生まれてくる。」という噂が流れた。人が花をもって生まれてくるのが自然の摂理。信じること自体あり得ないことだが、ならば生まれながらに人ではないのと同義だと、与太話は人々の免罪符として掲げられた。

 こうして民衆を鎮めた朝廷は、王都東部に「特別治安統制区」を設け奴隷たちを収容した。

 数年の年月は人々を変えるのに十二分。差別の目はより一層深みを増していった。

献珂団は、襲撃した屋敷から奪った金品を解放奴隷に与えている。誰もが目を背けた者たちに手を差し伸べ続けている義賊団だ。この国で彼らだけが奴隷のために抗い続けている。




 襲撃を終え、梁たちは本営へと帰還した。

 本営は街の外れにある寂れた廃墟の地下室。昔はここらでは有名な妓楼だったらしいが、今となってはその影も形もない。団員達に開放した奴隷の手当てを任せると、梁は啓岳と共に地下室へ向かう。瓦礫を避けながら下へと続く階段を降り、淡い光を放つ部屋に入る。

「ただい___」

「あんたイカサマしたでしょ。」

 安堵したのも束の間、部屋は険悪な雰囲気だ。能面のように無表情な顔をしているが、蔡寧の無造作に束ねられたたんぽぽの綿毛のような髪は、吹き飛んでしまうのではないかと思うほど逆立っている。

「当たり前やん。ちゅーかジブンもしてんやん。」

 そんな蔡寧の対面に座しているのは籟土だ。腰まで届く絹のように滑らかな黒髪を指に巻き付けながら、面倒そうに欠伸をする。どうやら梁達を待っている間に賭け事をしていたようだ。

「ほんとみみっちい男ね。」

「お褒めいただきおおきに~。」

 始まったな、と啓岳と顔を見合わせて苦笑する。二人が顔を合わせれば歪み合うのはいつものこと。適当に収まるのを待ちたいところだが、朝から働き通しで疲労困憊だ。一秒でも早く帰って眠りに就きたい。啓岳もその気のようで、ガンっと机を蹴る。

「あら、帰ってたのね。」

「お疲れさん。」

 梁達に気づいた二人は、まるで何事もなかったかのように振る舞う。なんだかんだ息はあっているので滑稽だ。落ち着いたところで梁達も席に着く。

「上手くいったみたいやな。」

「おう。お前らのおかげで軍が少なかったし助かったよ。」

籟土達別動隊は梁達が屋敷を襲っている間に、陽動で別の騒ぎを起こしていたのだ。

「収穫は?」

「上々。」

ニヤリと笑い拳を突き合わせる。仏頂面は変わらないが、蔡寧も嬉しそうだ。

「それで籟土、あの件はどうだった?」

談笑もそこそこに啓岳が本題を切り出す。

「大変やったで、調べんねん。さすがに軍の目ぇ厳しなってるわ。」

 大げさにため息をつきながら籟土が丸めた紙を取り出し、机上に広げる。紙には関譚一体の地図が描かれており、ところどころに×印がつけられている。これまでの襲撃先を示すものだ。

「次狙うんはここでええと思う。」

「ここは…。」

 籟土が指さしたのは、この廃墟から程遠くない場所にある屋敷だった。

「ずいぶん東門に近い屋敷みたいだけど、収穫は期待出来るの?」

 蔡寧がそういうのも無理はない。王都関譚は王宮を囲う第一の城壁、王都全体を囲む第二の城壁が四方を覆っている。そのため王宮に近い中央ほど、厳重な警備な為金持ちが集まる。今日襲撃した屋敷も中央近辺だ。

 その上第二城壁の東大門は特別治安統制区。通称・奴隷区に繋がる門のため、王都の中では一番治安の悪いと一帯と言われている。貴族などが住むなど考えられないのだ。

「俺もそう思て目ぇつけてへんかったけど、よう調べてみたらなんや偉い金持ちが住んどるみたいなんやわ。」

 籟土は鋭く目を光らせる。

「・・・警備は?」

「へーへーぼんぼん。」

「あら、有料物件じゃない。」

梁ももう一枚の地図をのぞき込む。描かれているのは襲撃先の見取り図だ。正門と裏門に二人ずつ、屋敷内部に四人。籟土の言うように特に目立つところのない警備態勢だ。

「つっても、一体こんなとこに住むなんてどんな変人だよ。とんでもねぇ化物とかか?」

梁の問いにしたり顔に籟土は答える。

「この世の者とは思えんほどのべっぴんさんやと。」

「「はぁ?」」

思いもしない回答に梁と蔡寧は怪訝な顔をする。おもろそうでええやろ、と籟土は続ける。

「面白いかどうかはどうでもいいけど、まぁここでいいんじゃない?」

「・・・決まりだな。」

啓岳がつぶやく。耳に届くかも怪しい小さな声だったが、ぞっとするほどの憎悪を帯びている。

「五日後の晩、結構だ。」

籟土と蔡寧もギラギラと眼を光らせ顔を縦に振る。梁だけが一人曇った顔で俯いていた。




「なぁ啓岳。お前一体何考えてんだよ。」

帰ろうとする啓岳を梁は引き留めた。部屋に残るのは二人だけだ。

「何って?」

素知らぬ顔で啓岳は、煙管をふかす。

「もう俺たちの団は限界だ。国軍の目ももうごまかせないとこまできてる。お前だってわかってんだろ。」

 献珂団は元々梁達が幼いころに、ヒーローを気取って始めた貧民街の自警団だ。町の人々の手伝いをしたり、コソ泥にいたずらをして危険な目にあったりした。子供のおままごと。それが今や百人規模の反乱軍になっている。解放した奴隷を都市外へ逃がし、仕事の斡旋までなると既に首は回らない状態だ。その上、奴隷の中には貴族たちへの怨念を抱え危害を加えようとする者も少なくはない。それらを警戒する必要もある現状、これ以上の行動は控えるべきだ。

「あぁ、そうだな・・・。」

啓岳が息を吐くと、顔を覆うように濁った灰色の煙が舞う。

「だがよぉ、梁。奴隷区には何万人っつう人間が閉じ込められて、いいように使われてんだぜ?道具みてぇに。それも俺らよりも下のガキ共もだ。」

「だけどこのままじゃ、いずれ招集はつかなくなる。」

「皆の笑顔のために、だろ梁。」

「・・・・。」

 それは献珂団を作ったときに皆で誓った言葉だ。梁、啓岳____そして毘章に煌明。生涯その誓いを破るつもりはない。だからこそ梁は、今自分たちのやり方が本当に正しいのか人のためになるのか悩んでいる。

「梁お前はすげぇやつだ。親父さんの店を継いでまっとうに稼いで、弟妹達にゃ私塾にまで通わせてる。貧民街の出身がだ。街のやつらみんながお前を尊敬して、希望を見出してる。」

「・・・俺はそんな奴じゃ。」

梁は拳を握り締める。

「お前がいなくちゃダメなんだよ、梁。俺は・・・もう何もできねぇのは嫌なんだ。」

そう言う啓岳の顔は煙でよく見えなかったが、膝には一滴のシミができていた。

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