第3話

 8月1日 - 午前11時40分頃、大阪市生野区の生野コリアタウンで、車両の通行が禁止されている時間帯に1歳の女児がひき逃げされ、死亡する事故が発生。大阪府警は乗用車を運転していた韓国籍の男をひき逃げなどの疑いで逮捕。事故を受けて9月22日以降、車両通行禁止の時間帯が9時から18時までに拡大された。


 敦夫は八潮市にある自動車部品メーカーに派遣されることになった。社宅に住めるのでホッとした。

 中川低地の中南部に位置し、全域が平坦な地形となっている。海抜は2メートル前後。堤防付近は5メートルほど。八潮駅周辺を中心に市内5地区で区画整理事業(埼玉県の土地区画整理事業一覧)が進行しており、宅地化が進んでいる。

 八潮市には上記の八条用水や葛西用水も含め、水路が非常に多く存在している。これらは古くから農業用水として用いられてきた。小規模な水路については、現在では暗渠化した上での道路化が進んでいる。このような暗渠上の道路は、周辺の地面よりも低くなっている。


 会社は葛西用水路沿いにある。この用水路は埼玉県東部および東京都東部を流れる灌漑用水路である。18時に仕事が終わり、用水路周辺を自転車に巡った。


 江戸時代初頭の1660年(万治3年)に江戸幕府が天領開発の一環として、関東郡代の伊奈忠克に開発させた灌漑用水路である。


 利根川から引いた水で埼玉県東部を潤す農業用水として、その後も新田開発が行われるたびに延長や取水口の遷移を行い、最終的に一貫した用水路として完成するのは1760年代であった。


 当初は利根川右岸から直接取水していたが、1968年の利根大堰の完成に伴い埼玉用水路から分水する形態となった。旧取水口は葛西親水公園として整備保存されている。


 現在、葛西用水路土地改良区が用水路を管理している。ただし大落古利根川との河道共用区間の一部は管理外である(久喜市と北葛飾郡杉戸町の境界の葛西橋付近から春日部市の古利根公園橋付近まで)。


 1590年(天正18年)に江戸に入府した徳川家康により利根川東遷事業が進められ、利根川や荒川の河川改修(「瀬替え」流路の変更)が行われた。東遷事業により現在の埼玉県東部・東京都東部では新田開発が進み、利根川の旧流路を一部活用するなどして葛西用水が整備された。


 伊奈忠克をはじめとする伊奈一族の河川改修技術は、洪水は自然堤防や不連続堤防で防ぎ、大洪水は遊水地などに滞留させ洪水に含まれる肥沃な土を活用するものだった。治水と新田開発を両立させたこの技術は「関東流」と呼ばれ、天正年間から元禄年間でこの地域の石高を約200%成長させた。


 埼玉県で約6000haの農地を灌漑している。


 行田市の利根大堰(座標)で取水された後、埼玉用水路を経て羽生市で葛西用水路本川に分水される。羽生市にある宮田落伏越(座標)で中川の源流である宮田落と交差し、加須市北大桑で会の川(利根川の旧流路の名残の河川)と合流する。加須市川口にて北側用水路を分水し、約200m下流の川口樋前橋から久喜市青毛の玉屋橋までの両岸には遊歩道「コスモスふれあいロード」が約6kmに亘って整備され、市民によりポピーやコスモスが植えられている。このあたりの流路は利根川の旧流路(古利根川)を改修したものであり、流域周辺には河畔砂丘が久喜市西大輪地区(鷲宮砂丘:旧鷲宮町)や青毛地区(旧久喜市)、幸手市下川崎地区、北葛飾郡杉戸町下野地区(高野砂丘)などに大河だったころの名残として現存している。琵琶溜井にて南側用水路・中郷用水路を分水する。なお、1998年(平成10年)ごろまでに、当川起点から青毛堀川の合流地点手前までのコンクリート護岸がほぼ完了している。これに伴い、合流地点付近の左岸に存在した三日月湖はほぼ消滅した。青毛堀川の合流地点(正確には青毛堀川の合流地点より上流側200mほどの葛西橋付近)(座標)からは大落古利根川と河道を共用する。


 越谷市大吉(座標)で大落古利根川より逆川として分流し、新方川と元荒川を伏越で潜り、同市相模町の瓦曽根溜井でさらに八条用水・谷古田用水を分け、多数の分支流と合流しながら埼玉県・東京都境の垳川を横断(座標)して八潮市垳から東京都足立区へと入る。但し、1990年(平成2年)頃から足立区側で遊歩道の整備を行ったため、垳川から下流へは現在流入していない。

 

 8月2日 - 内閣総理大臣の岸田文雄が、第10回核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議に出席。同会議への日本の首相の出席は初。岸田は国際連合事務総長のアントニオ・グテーレスと会談。


 敦夫を亡き者にすべく、宇治英莉の差し金で殺し屋・織田和樹が招かれる。敦夫は自宅の窓も自家用車も防弾ガラスで固め、通常なら暗殺のチャンスはほとんどなかった。


 和樹は弟分の運転手役・蜜柑と共に手際よく準備を整えた。そして、敦夫は長太郎と相対した八潮駅近くの喫茶店をライフルで遠距離狙撃し、長太郎の目の前で敦夫を仕留めることに成功した。


 任務後、和樹は林檎と八潮市内のラブホテルに行った。和樹が先に入った。林檎はオナニーをしてから入った。バスルームに入ってくると直ぐにマットが目に留まった林檎だった。


「和樹、これって…」

「そうだよ。ローションプレイのマットだよ」


 和樹はとても嬉しそうにそう言ったのだ。林檎はちょっと笑ってしまった。

 林檎は身体をシャワーで軽く汗を流した。

そして、バスタブに和樹に身体を持たせかけるように入っていく。

 林檎は後ろから和樹に抱きかかえられるようにして湯に浸かっていた。

「林檎、今夜は思いっきり愛し合おうな…」

 そう和樹は林檎の耳元で囁くのだった。

 そのとき、部屋の外から女性の悲鳴が聞こえた。

『信じる信じないはおまえの自由だがな? 8月にこの国に異国から魔物が攻めてくる。そいつに勝つには、その刀が必要だ』

 和樹は亡き祖父の言葉を思い出し、武者震いした。鬼哭丸を握りしめ、部屋の外に出た。

 

 ヴィイという東スラヴ神話における死の目を持つ地下世界の生物がそこにはいた。その目は普段、大きな瞼や睫毛で覆われており、自力で持ち上げることが出来ない。

 ロシアとベラルーシの民話では、ヴィイの瞼(睫毛、眉)がピッチフォークによって持ち上げられた。ヴィイが見た者は目を覚ますことができず、やがて死亡する。その視線によって、ヴィイは人を殺すだけでなく、村や都市を破壊して灰に変えることが出来る。

 セクシーな女性が廊下で首から血を流しながら死んでいた。きっと、ヴィイの仕業に違いない。

 エレベーターがチーンと鳴って、埼玉県の虎尾真刑事が駆けつけた。彼はホルスターから拳銃を抜いた。

 和樹は上段の構えをした。

 中段の状態から左足を前に出し、鬼哭丸を上に振り上げ、自分から見て右に少し傾ける。 この時の角度はだいたい45度くらいが理想であるとされて、左拳がだいたい左眉から拳半分ほど上あたりに来る状態が基本だ。 注意点としては、まず右手をしっかり刀に添えることだ。

 和樹はヴィイをバッサリと斬った。

 生まれてはじめて妖怪を倒した。

 虎尾に出番はなかった。

「君、見どころあるな?上層部に口きいてやる」

 和樹は虎尾に賄賂を払い、外事課に特別勤務することとなった。

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鬼哭丸① 鷹山トシキ @1982

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