第3話

「悠人、裕樹、駿、ちょっとこっちに来い」


 昼休みが終わり、午後の授業が始まる直前、担任の先生が俺たちを呼んだ。隆士は殴られた影響で鼻から血を流してしまったので、今は保健室で安静にしている。

 当事者である三人を先生は呼んだ。正直、なぜ俺も呼ばれることになったのかは甚だ疑問だが、裕樹はいつもこんな気持ちで俺と一緒に呼ばれていたのだろう。


 いつものように先生が俺たちを呼んだ。だが、いつもと違って俺は自分の中に違和感を感じていた。先生が呼んだ瞬間、心臓が跳ね上がるように鼓動をあげた。いつもなら平常心を保っているのだが、今回は体が危険信号を上げるように全身に怖気が走った。


 何かがおかしい。戸惑いを感じるものの、時間は待ってくれない。

 心臓は大きく鼓動を打ち、いつもより呼吸が早くなる。暑さのせいか、緊張のせいか額に汗をかき始めた。


「駿、何があったか説明してもらっていいか?」


 廊下に立たされると、先生は駿に説明を求める。駿が説明を終えると、今度は俺に変装した裕樹に事実確認を求める。裕樹が同意したところで今度は裕樹に変装した俺に視線がくる。その瞬間、なんだか目尻に力が入った。


「坂下、二人の言い分は本当か?」


 俺は唇を噛みしめながら、強く頷いた。言葉は出なかった。声を発しようとすれば、目尻に溜まった涙が流れて来そうな気がしたからだ。いつもなら、全くもって感じなかった先生への恐怖が今日はやけに強く感じられた。

 

 これでも、先生は苛つきをキープしている。昨日に引き続き、今日もトラブルを起こしたことに怒りよりも呆れが先に来てしまったのだろう。


「そうなると、今回はどっちもどっちだな。悠人、あとで隆士に謝っておけよ。いくら嫌がらせをさせられたからって、相手を殴っては絶対にいけないからな」

「はい、すみません」


 裕樹は律儀に謝った。いつものように泣きじゃくることなく、平常心で紳士的な振る舞いをみせ謝罪を見せた。先生はいつもと様子の違う俺に戸惑いながらも「わかればいいんだ」と一言告げ、説教は無事に終わった。


 終わったことに安堵したのか、強い鼓動を示していた心臓は徐々に動きを薄めていく。呼吸も口呼吸をしなければいけなかったのが、鼻で息を吸うことができるようになった。ただ一つ、目尻に溜まった涙だけは抑え切ることができず、滝のように俺の頬を勢いよく伝っていった。


 ****


「裕樹、悪かったな」


 下校途中、横を歩く裕樹に俺は謝罪をした。


「どうしたの、急に」


 裕樹は目を丸くして俺の方を見た。目を丸くした自分の姿に違和感があり、なんだかとても気持ち悪く感じてしまう。


「いや、今日一日お前の体を借りて気づいたんだ。裕樹は結構苦労しているんだなって」


 おそらく裕樹の体は人一倍、相手の感情に敏感なのだろう。それに加えて、とてつもなく情緒にとんだ体質だ。ほんの少しの空気の違和感を感じ取り、それに体が猛烈に反応してしまう。


 だから、先生の怒りに俺の何倍もの鮮度で反応し、何倍もの鮮度で感じ取っている。彼の大粒の涙の原因はきっとそれが影響してのことなのだろう。

 気持ちの問題ではなく、体質の問題。母さんはもしかして、このことを俺に教えたかったのではないだろうか。


「うんうん。確かに怒られるのとか嫌味を言われる時のダメージはすごいけど、もう慣れたものだよ。それに僕も今日一日悠人の体を借りてすごいなと思ったことがあるんだ。悠人ってクラスをよく見ているんだね。今日も授業中、無意識に周りの子たちが何をしているのか目がいってしまったよ。それに、正義感も強いのかな。隆士くんを反射的に殴ったのは、彼が悪いことをしたからなのかなって思った」


「あれはお前が殴ったんじゃないのか?」

「僕はそんなことしないよ。気がついたら、体が勝手に反応していたんだ。当事者としては本当に困ったものだったよ」


 頭をかき、照れながら言う。どうやら、俺たちは今日一日意識と無意識の狭間で苦労していたらしい。意識的な物に関しては自分でコントロールすることができた。しかし、突発的、無意識が働く場面では普段の俺たちが行なっている行動が出てしまうらしい。


 だからこそ、俺に変装した裕樹は悪戯を仕掛けた隆士を殴ってしまったようだ。俺も日頃の自分の行いを改めなければいけないな。


「悪かったな」

「でも、やっぱり悠人は格好いいね。無意識に悪事に対して、反応できるなんて」

「ただただ短気なだけだよ」


「そんなことないよ。昨日の福山さんのバッグにカマキリを入れたのだって、福山さんが紗香ちゃんに悪戯をしていたからやったんでしょ」

「知ってたのか?」


 裕樹の言う通り、昨日のカマキリの件はクラスメイトの花沢 紗香が福山にからかわれていたから行なったものだ。日に日に過激になっていく彼女のからかいに嫌気がさして、一泡吹かせてやろうと思った。日々の観察の結果から、彼女は虫が苦手だと言うことはわかっていたので、カマキリをバッグに入れたのだ。


「うん。だから注意しなかったんだよ。でも、先生に言わなくてよかったの」

「いいさ。どうせ言っても聞いてくれなさそうだし。それに作戦通り抑止はできてただろ」

「確かに。見ている限り、今日の福山さんは大人しかったからね」


「ああ。これで一件落着だな」

「流石は悠人だね」

「へへっ」


 俺は恥ずかしさを紛らわすために裕樹、と言うよりは俺の肩に腕を巻く。そして、腹に小さく拳を入れた。


「悠人、痛いよ」

「俺の体だからいいじゃねえかよ。この後、どうせ交換するんだし」

「そうだけどさ……せっかく格好いいと思ったのにな。やんちゃだな、全くもう……」


 不貞腐れてはいるものの裕樹の様子からするにまんざらでもない様子だ。二人でジャレ合っている時はなんだかんだ楽しいものだ。


 今日一日通して、裕樹が泣いている理由を知ることができた。

 親友として今度からはもう少し労ってあげよう。そんな事を思った一日だった。

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【短編】身体交換 結城 刹那 @Saikyo-braster7

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