第2話

「悠人、おはよう」 


 翌朝、登校の1時間前に裕樹は俺の家にやって来た。

 時刻は朝7時。まだ外は静寂に包まれているにもかかわらず、俺の家に来た裕樹はうるさいくらい笑顔をきらめかせていた。一瞬、昨日の大泣きは嘘なのではないかと思ってしまった。


 あの後、裕樹に連絡したら、即決で「行く」と言ってくれた。

 裕樹は俺の母さんのことが大好きだ。正確にいえば俺の母さんの研究に強い興味を示している。だから、母さんの名前を出すと何があっても裕樹はやってくるのだ。


「いらっしゃい、裕樹くん。昨日は迷惑かけちゃったみたいでごめんね」

「いえいえ、いつものことですから」


 裕樹はなんて事のないように母さんに謙遜する。あれだけ大泣きしたのに、良くそんなことが言えたものだ。


「じゃあ、二人ともこっちに来て」


 母さんに言われ、俺と裕樹はラボへと歩いていった。俺の家には実験をするラボがある。広大な面積の庭に母さんが建てたのだ。ラボでは母さんが秘密裏に進めている研究の実験を行なっている。


 俺たち二人はその実験の実験体となるみたいだ。最初は母さんと父さんでやるつもりだったみたいだが、いい機会だということで俺と裕樹に変わった。事前に裕樹の母親には承諾を得たみたいだ。


 ラボにたどり着くと、昨日調整していた装置の元に3人で赴いた。

 人が入れるサイズの鳥籠型の機械が二つ並べられ、機械の周りにはたくさんの配線がされている。配線は二つの機械の間にある大きな装置へとつながっていた。大きな装置には操作パネルが取り付けられており、それを使って装置を動作させるようだ。


「おばさん、これは何?」

「ふっふっふ。こいつは『身体交換装置』さ」

「「身体交換装置?」」


 何だかとても胡散臭い装置だな。でも、母さんが言うのならば、本当のことなのだろう。


「文字通り、二人の身体を入れ替える装置。二つある小部屋の中に頭にかぶる装置がある。悠人と裕樹くんはその装置を被って小部屋の中に待機。あとは私が真ん中の装置を使って操作をするわ。そしたら、悠人と裕樹くんは自分たちの体が入れ替わるという仕組みになっている。もう一度同じ操作をすれば、元に戻るわ。試しに今日一日だけ二人の身体を入れ替えてみようと思うの」


 母さんの言葉を聞いて、俺と裕樹は互いに顔を合わせる。今日一日、裕樹の体を借りることになるらしい。何だか浮世離れした話だ。

 

 母さんは、俺に『なぜ裕樹がすぐ泣くのか、裕樹の気持ちを知りたいか』と聞いた。きっと、裕樹の体を借りることでそれが理解できるのだろう。


「俺は構わないけど」

「僕も。悠人の体を借りれるって何だか夢物語みたいだね」


 裕樹は思いの外、乗り気な様子だ。

 おそらく好奇心の強い彼の性格から来ているのだろう。


「よしっ。じゃあ、二人とも各々小部屋の中に移動して」


 母さんの指示で俺は右側の小部屋へと向かった。中に入ると、銀一色の世界が広がっていた。真ん中には、施設の喫煙所に設置された灰皿のように円柱の物体が建てられ、上には母さんの言っていた帽子のような装置が置かれていた。

 装置を頭にはめ、母さんの方を向く。母さんは俺と裕樹を交互に見て、二人の動向を確認していた。


「準備ができたみたいね。それじゃあ、稼働させていくわ」


 母さんはパネルを操作し始めた。少しすると、小部屋のドアが閉まり、母さんの姿が見えなくなる。そのあとすぐにシステム音が鳴り響き、浮遊する感覚に包まれていく。体が宙に浮かぶ感覚に思わず気分が悪くなり、吐き気を催す。


 視界が歪み始めると意識が朦朧としていく。強い眠気に襲われると俺は我慢することができず、呆気なく意識は彼方に吹き飛んでいった。


 ****


「あの装置、本当にすごいな」

 

 学校の昼休み。俺は目の前に映る自分の姿に視線を向けながら、裕樹に向けてそう言った。鏡越しのような左右対称ではなく、他人から見える生の俺の姿を初めて目の当たりにし、何だか高揚感を得た。周りから俺はこんな風に見えているのか。


「僕っていつもそんなに不貞腐れた表情しているのかな。何だか悠人を見ているみたいだ」

「多分だけど、表情はいつもの俺たちの表情をしているはずだぜ。鏡で見たときの俺は今の俺の表情をしていないからな」


 意識は身体を操作するためのもの。俺たちは癖のように自分の表情筋に力を入れているみたいだ。俺の場合は常に眉に力が入り、不貞腐れた表情をしているのだろう。だから裕樹の体を借りても、眉に力が入って、不貞腐れた表情になっている。逆に裕樹は目を大きく開ける癖があるみたいだ。


「それにしても、身体交換っていうのはよくできているな。今日の授業の問題、全部スラスラ解けたぞ。ペンを走らせているとポカポカと頭の中に正解が浮かんでくるんだよな」

「ってことは、記憶とかは身体が持っているってことなのかな。僕は逆にいつもなら思い浮かんでいたことが全く思い浮かばなかったよ。悠人はちゃんと勉強した方が良さそうだね。これからは身体交換を悠人の勉強管理として使えるかも」


「そんなもんに使わなくてもいいよ。管理されても、どうせやらないだろうし」

「悠人らしいな。はあ、名案だと思ったんだけどな」

「おい、悠人。昨日なにかあったのか? いつもよりおどおどしている感じがするけど」


 二人で話していると他のクラスメイトたちが俺たちのところへとやってくる。彼らは俺の姿を見て憎たらしい笑みを浮かべていた。きっと、俺に変装した裕樹に対して、何やら良からぬことを考えているみたいだ。


 ふと彼らの手を見る。全員が横に手を当てる中、隆士だけが後ろで手を組んでいた。きっとあいつが何かしてくるはずだ。


 そこで俺は思わず我を疑った。いつもなら、こんな推理をすることはないのだが、今日はやけに冷静に物事を見ていた。もしかして、裕樹は毎度の如くこんなことを考えているのだろうか。


「いや、別に。何もないと思うけど」


 裕樹は平静を装って話す。いつも嘘をつく時は挙動不審になるのだが、今日はやけにうまく隠せていた。他人目線では、普段の俺と変わらない仕草だ。


「そっか。昨日の説教で更生したかと思ったんだけどな」

「それより、どうしてここに来たの……あ、来たんだ」


 裕樹はハッとした様子で言い方を訂正する。その段階で俺に似せてももう手遅れだろう。


「悠人に渡したいものがあって来たんだ。おい」


 指示の元、後ろに手を組んでいた隆士が裕樹に近づく。


「これなんだけどさ」


 隆士は後ろに組んでいた手を前に出す。すると彼の手に緑色の物体が見えた。

 それは隆士が手を離すと勢いよく裕樹の元へと飛んでいく。

 カマキリだ。しばらくして俺の脳は緑色の物体を認識した。


 その瞬間、クラスに衝撃音が走る。気がつけば、隆士が床に崩れ落ちていた。

 クラスは唖然となった。俺に変装した裕樹が隆士を殴ってしまっていたのだ。

 状況に全員が気づいたところで、裕樹の様子を見ると裕樹は強張った表情で隆士に目を向けていた。

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