ほんと
ヤチヨリコ
ほんと
中学時代に一度、悪さをしたことがある。
それは中一のとき、文化祭でのことだった。
文化祭が行われる体育館では、ステージでクラスごとで競う合唱コンクールなどの企画が行われ、反対の入口側では文化部が展示を行っていた。我が校の文化部は美術部と文芸部、あとは吹奏楽部しかない。吹奏楽部はステージで演奏をするため、美術部と文芸部の作品が壁際に展示されていた。
美術部は、壁面に美術部の生徒が描いたポスターや絵画を飾っている。折りたたみ机の上には、イラストが描かれたポストカードの他に、立体作品が展示されている。私の描いたポストカードは一枚も減ってないように見える。先輩や、絵の上手い同級生が描いたポストカードはもっと減っているのに。
文芸部は、美術部と隣り合って設営されていて、文芸部員の書いた作品が作者ごとに本にされ、折りたたみ机の上に十数冊置かれている。『ご自由にお持ち帰りください』と書かれた札があるものの、作者の家族以外が持ち帰っているとは思えない本の山だ。よく見ると、文芸部の本の表紙は美術部の展示にあったポストカードのイラストと同じだ。
文化祭のチラシを見ると、チラシにはこう書かれていた。
『美術部と文芸部の生徒たちが協力して、一つの作品を作り上げました。文芸部の生徒が小説を書き、美術部の生徒が表紙をデザインしました。作品を製本したものと表紙のイラストのポストカードを文化祭で無料配布します。それぞれ協力しあい素晴らしい作品が出来上がったので、お楽しみに!』
美術部か文芸部の顧問が書いたのであろう紹介文を読んで、ため息をついた。文芸部の展示を見る。やっぱり、私が表紙を描いた本は減っていない。私のせいだ。そうに決まっている。私は泣きそうになった。
ブザーが鳴る。ハッと気づいて、ステージを見る。――オープニングの吹奏楽部の演奏が始まった。
美術部と文芸部で本を作ろうということは、昨年から決まっていたらしい。入部してすぐに両部の部員が三年生の教室に集められて、それぞれの顧問から誰々とペアになりなさいと言われた。
私とペアになったのは、同じく一年の平川という男子生徒だった。隣に座ると平川は「よろしく」と頭を下げ、私も慌てて「よろしくお願いします」と言った。大人っぽいというのだろうか。たしかに文学青年のイメージはこんなかんじかもしれないと思った。
本を作るため、私と平川は互いの教室を行き来するようになった。話してみると、普通の中学一年の男の子だった。人より少し多く本を読むそうだから、物知りで生き字引のような印象を持つこともあったが、それでも私たち凡人とそう変わらない雰囲気を持っていた。
表紙を書く上で参考にするために、いくつか平川の作品を読ませてもらったが、平川の書く小説は中学生が書く小説とは思えなかった。ドキドキするし、ワクワクする。波乱万丈でありながらも、登場人物の気持ちはとても共感できるもので、まるでプロが書いた小説みたいだった。平川、いや、平川君はプロになりたいのかもしれない。平川君の小説は、私があまり小説を読まないこともあってか、少し難しいと感じるところもあったが、それでも面白い。本なんてあんまり読まないのに、これをきっかけにもっと小説が読みたくなったくらいだ。
平川君に感想を伝えると、恥ずかしそうにはにかんで、「ありがとう」と言った。
「僕は、将来きっと小説家になるよ。書き続けて、プロになる。中学を卒業して、高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても、ずっと書き続けるよ。プロになれなくってもね」
「いつかなれるよ!」と私が言うと、平川君はやっぱり恥ずかしそうにはにかんだ。
平川君の小説がみんなに読んでもらえるような表紙を描こうと思った。みんなが手に取って、平川君の小説を読んでくれるような、そんな本にしたいと思った。
昼休憩から戻ってきて、生徒用に並べられた椅子に座る。そろそろ、ステージが始まりそうだ。
誰かがあの本を手に取ってくれるか、それだけが心配だった。けれど、私の心配は杞憂でしかないのかもしれない。山の高さは減っていない。誰か手に取ってくれないか。手に取ってくれさえすればわかる。これは良い作品だ、と。そのことばかりを考えていた。だけど、本の山は高いまま。他の一年生の本は少し減り方が遅いものの、着実に減っている。二三年生の本は既になくなっているものもある。
結局、私と平川君の本はあまりなくならないまま、文化祭は終わった。
片付けのとき、顧問に「この残った本ってどうなるんですか?」と聞いた。顧問は「一冊残して、あとは廃棄だね」と答えた。廃棄、つまりは捨ててしまう、ということ。頭を殴られたかのような衝撃だった。まさか、そんなはずはない。だって、あんなに良い作品なのに。呆然とする私を無視して、文芸部と美術部の生徒が展示を片付ける。
思いついたことがあった。けれど、これを実行するのは倫理的に駄目だろう。たとえ、捨てられるものだとしても。盗む、だなんて。手を伸ばして、引っ込める。文芸部員に「ちょっと待ってください」と声をかけられたのは、もう片付けが終わりかけた頃だった。
「あとは私がやります」
訝しげに見られたが、美術部員のほうが多いのだから美術部の片付けはあちらに任せておけばいいと言って押し切った。そして、廃棄用に本がまとめられたダンボールの中から、平川君の本だけ抜き取った。それを美術部が用意した作品梱包用のダンボールに再びまとめて美術室に運び込み、自分のロッカーにしまった。他の美術部員にはあれは作品だと言って誤魔化した。
本は家に持ち帰って何度も繰り返し読んだ。学校に行く前に一回、学校から帰ってきて一回、夜寝る前に一回。何度も読んでいるうちにページの端は黒ずんで角が丸まっていた。
私が中学校を卒業するまで、美術部と文芸部の生徒がペアになって本を作るというのは続けられた。平川君以外の他の文芸部員とも本を作ったが、平川君のような小説を書く人は終ぞいなかった。
三年間、盗みを働いた罪悪感はずっと胸に残り続けた。平川君の作品を私が働いた盗みで穢してしまったような気がした。もう合わす顔がない。本を読み返すごとに罪悪感はますます膨らんでいった。
他校に進学した友達から、自分たちの高校の文化祭に来ないかと誘われた。断る理由もなかったので、行くとだけ答えた。
実際来てみて、他校の文化祭というのはこういうものか、と思う。他校の文化祭に行ったことなどないから、どういうものかはわからないが。
友達が所属する文芸部に顔を出そうと、文芸部のブースに足を運んだ。ブースでは、折りたたみ机の上に十数冊くらい冊子が積まれ、机を挟んで向こう側には平川君と友達が立っていた。そういえば、平川君はここに進学したのだと思い出す。一年の文化祭以来、特に関わりがあるわけではないから、どう話しかければいいのかわからない。
友達に声をかけ、冊子を一冊購入する。友達は代金を受け取り、平川君に商品を手渡させる。そのとき、平川君は私に向かって「ありがとうございます」と頭を下げた。
ある程度文化祭を見て回って帰宅した。自室のベッドに寝そべって、文化祭で購入した冊子を読む。すると、編集後記にこんなふうなことが書かれていた。
『僕が書き続けられた理由 平川孝典
僕が小説を今日まで書き続けることができたのは、中学時代、僕の本を全部持って帰ってしまった人がいたからだ。
僕の中学では文化祭にむけて美術部員と文芸部員がペアになって一冊の本を作るということがあった。一年のとき、同じ一年生の女の子とペアになった。彼女は僕の書いた小説を面白いと言ってくれたし、良い本を作るために誠心誠意努力してくれた。なのに、文化祭当日、僕らの本だけが残ってしまった。僕は彼女が描いた表紙のせいだと思った。だって、僕の小説は誰よりも面白いのだから、誰の手にもとられないのは彼女の描いた表紙が悪いからだ、と。今思えば、ずいぶんと傲慢な態度である。
文化祭が終わったあと、僕と本をいっしょに作った女の子が最後の最後で全部持って行ったのだと文芸部の先輩が教えてくれた。
僕は後悔した。本が手にとられない原因を彼女だけのせいにしたことを。彼女だってクリエイターだ。自分が手掛けた作品が誰の手にもとられないのは、悔しいに決まっている。僕はクリエイターとしての敬意を彼女に対して欠いていたことを恥ずかしく思う。
彼女とは一年の文化祭以来あまり話した思い出がないのだけれど、あのとき彼女が僕らが作った本を持ち帰ったから今の僕があるのだということを、僕はいつか彼女に伝えたい。いつになるかはわからないけれど。』
読み終わって、息を呑む。
また来年、友達の高校の文化祭に行こうと思う。それで文芸部のブースに顔を出そう。友達にも会いたいし、何より、平川君にも会いたいから。
ほんと ヤチヨリコ @ricoyachiyo0
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