第41話 沙月姫の入内
沙月姫はその日のうちに入内した。長らく人の住むことが無かった西妃用の宮殿、
姫は琥の女商人白蘭から推薦された女を侍女として雇い入れる。その雲雀という名の少女は泊璜宮の姫の御前で当惑しきりだ。
「お嬢さまが……えーと、西妃様でいらっしゃるんですか?」
「ごめん、雲雀。いつかは事情を明かすつもりでいたんだけど……結局、嘘で騙したことになっちゃって……」
姫が涙ぐむのを見た雲雀はぶんぶんとかぶりを振る。
「そ、そんなことないです。お嬢様はお嬢様ですよぅ! お嬢様が私たちを助けて下さったお優しい方なのに変わりはないじゃないですか! 立場なんか関係ないです!」
「雲雀……」
冬籟とともにこの華都で過ごしてきた雲雀のその言葉が胸にしみた。
挨拶にやってきた東妃の態度も変わらなかった。海賦文様の紫の
「白蘭と西妃様、どちらの呼び方がいいかしら?」
「どうぞ白蘭、と。白蘭を知っている方にはそう呼ばれたいですし、西妃などと呼ばれてしまうとまるで東妃様と陛下の寵を競っているかのようですから」
沙月姫が泊璜宮の女主として茶の用意を整えると、東妃も椅子に腰かける。
「卓瑛が『白蘭に言い過ぎた』と反省していたわ。冬籟のことで傷ついたからっていっても、ちょっと行き過ぎだったもの。私から白蘭にそう伝えてほしいって」
「いえ……騙すような真似をしたのは私の方ですから。陛下にも……冬籟様にも」
卓上に置いていた白蘭の手に東妃が自分の手をそっと重ねる。
「冬籟だって気持ちの整理が追いつかないだけよ。貴女に彼を傷つけるつもりなんてなかったって分かってるわ。白蘭が打ち明けようにも相応しい機会もなかったのでしょうし、卓瑛と冬籟の関係が微妙なだけにどう説明すればいいのか難しいところだった」
「……」
「私から二人にちゃんと言っておいたわ。事情を打ち明けていないまま冬籟の前で白蘭が白虎を使役すれば、冬籟が『騙された』と怒ることは白蘭だって予想できたはず。それでも白虎を呼び出したのは何よりも冬籟を助けるためでしょう?」
「え、ええ……」
「白蘭は保身よりも冬籟の命を優先した。彼も今は頭も冷えて、それは分かっているの」
「大丈夫よ」と東妃は沙月姫の手をぐっと握った。
「もう卓瑛も冬籟も怒ってはいないわ。私はそれを伝えに来たの」
あの二人には怒りや憎しみといった負の感情にとらわれてほしくなかったから、彼女はそれには安堵する。
「それは良かったです。あの……冬籟様のお怪我の方は……?」
冬籟の身体のことも心配だった。
「あの璋伶という医師が墨泰宮に呼ばれて治療にあたっているわ。陛下から太医のところにある薬を何でも使っていいと勅免を得たので張り切っているわよ」
「そうですか。璋伶さんが貴重な薬を自由に使えるのならすぐによくなりますね……」
東妃が一つ溜息をついた。
「冬籟はもう怒ってはいないのだけど、心が落ち着くまで少し待ってあげて。彼は本当に貴女を愛しているし、卓瑛のことも私のことも大事にしている。彼は優しいから他人の幸せを願おうとするけど、今回は誰のために何を願っていいのか分からないの。『何があいつの幸せなのか分からん』って考え込んでた」
「……」
「初めて貴女が沙月姫と分かったときには動転して怒りをぶつけてしまったけれど。今でも彼は貴女の幸せを望んでる。それは信じてあげて?」
白蘭はただ黙って頭を下げた。
ほどなくして、西妃の入内を聞いた蘇王が「ならば南妃の入内も挙行すべきだ」と主張し、朱莉姫が後宮に入ってきた。
冬籟への襲撃の件は朱雀が勝手に暴れただけだと見え透いた嘘をつき、自分の都合を一方的に押し付けてくる厚顔ぶりには呆れるが、董としてもこれから姫にしてもらう役割があるため入内を受け入れた。
その南妃は「慣れぬ環境で体調を崩した」と声高に言い張り、墨泰宮に「医師を借りたい」と言ってよこし、そして「西妃に見舞いに来ていただきたい」と後宮を所管する内侍省にねじこんできた。
宦官達は「南妃は父親譲りの驕慢さだ!」と怒ったが、西妃が「私が伺えば後宮はまるく収まるのでしょう?」と申し出たことで、ほっとしたようだった。
それはもちろん朱莉姫が璋伶と白蘭が会えるように取り計らったからで、南妃の住まいの
「ずっと安静にさせるのに今度は成功してますからね。日毎に傷口がしっかりしてきています。いい薬も思う存分試せていますしね」
「傷が癒えれば北域討伐に出立するおつもりだとか」
「そうですね。あと数ヶ月ほどすれば」
冬籟は祖国を奪還する旅に出る。この璋伶も連れて。
「璋伶さんもご無事で」
「ちょっと予定が変わってまずは軍医として同行することになりましたが。でも、あちらですぐ武人として活躍して見せますよ。南妃を下賜していただくためにね」
璋伶が白い歯をこぼす。
「白蘭嬢が塞ぎこんでいらっしゃると伺いましてね。今日は、そのお気持ちを晴らして差し上げたいと南妃様にこのような席を設けていただいた次第」
白蘭を気遣ってくれるのには感謝したいが、ただ、冬籟はともかく白蘭は彼らに特に親切にしたわけではない。それどころか南妃にはきつく当たってしまった。
「私、あまり貴女たちに良くしてあげなかった。恋愛バカへの嫌悪感を丸出しにして。今は貴女たちが恋に生きる気持ちが少し分かるようになって、あんなに怒ることなかったなって思って……」
朱莉姫が肩をすくめる。
「まあ、確かにびんたは痛かったけれど。でも、あのときの私たちは雲雀を誘拐しようとしてたんだから、主人の白蘭が怒ったのは当然ではあるわよ」
璋伶も深く頷く。
「白蘭嬢、我々は義務より自分の意志を優先しようとした人間ですが、だからといって他人のために生きようとする人物への尊敬の念まで捨てたわけではありません」
彼は「白蘭嬢だって、皇太后様を尊敬なさっているでしょう?」と続ける。
「皇太后様に直接具体的に何かしてもらったわけではなくとも『皇太后様が義務を果たされる方だからこそ自由を差し上げたい』とおっしゃったとか。他人のために一生懸命な人を見ていると、こちらも助けて差し上げたい気に自然となるものなんですよ」
彼は「自分がそうでない後ろめたさもありますしね」と苦笑したあとで、今度は何か企んでいることが丸分かりの笑みを浮かべた。
「私からすると、冬籟様も白蘭嬢も何をそんなに悲観なさっているのか分からない。大丈夫です。お二人が幸せになれる道はちゃんとあります。簡単じゃないですか。なんで皆さんこんなことも思いつかないのか、私にはそちらの方が分からない」
顔だけではなく頭もいいと自他共に認める彼は楽しそうに語り始めた。
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