第22話 病床の皇太后への見舞い(三)

 陛下も皇太后の真意が分からない。さて、この話題も手詰まりだ。急いで別の話題を見つけなければ。


「ええと、池のほとりに銀蝉の塚があるんですね。えっと、あの、皇太后様をとても優秀な宰相が補佐していたとは琥でも聞いていたんですが、名前は華都に来て初めて知りました。えーっと、銀蝉というのは字ですよね。あの、そう、由来か何かあるんですか?」


 話の接ぎ穂を探しているのは丸分かりだろう。卓瑛が苦笑する。


「銀蝉の銀は彼が若い頃から白髪が多かったことに由来し、蝉は高潔を表す字だ。彼は私人として何かを欲することはなく、ただひたすらに義母上と私に仕えてくれた」


 冬籟も羊肉の炒め物を飲み込んでから同意する。


「ああ、私心がないのは筋金入りだ。宰相としての邸宅を賜っていたのに生涯妻子を持たずじまいだった」


「家族がいなくて寂しくないか尋ねたことがある。彼は『皇太后様と三人の御子が私の家族でございますよ』と笑いながらもまじめに答えてくれたものだ」


「そうだったな。皇太后様が母、銀蝉が父。俺たち五人は実の家族のように過ごしていた」


 卓瑛と冬籟が代わる代わる白蘭に銀蝉のひととなりを説明してくれる。


「貧しい生まれで職を転々とした苦労人だったから、身をもって民の実情を理解していた人物だ。皇帝は民のためにあるべきという信念を持ち、義母上は彼にご自身の補佐だけでなく、私に政を教える師の役割も任された」


「あんたが雲雀に夕食前に字を教えているように、銀蝉も午後から夕暮れまで卓瑛に政治を教えていたんだ」


「具体的で実践的な教えだったよ。冬籟やときには藍可も一緒に聞いていたな。それが終わると義母上が子どもたち三人との夕餉に彼をしばしば招いたんだ」


「さすがに後宮の后の住む正房で食べるのは憚られたから、この廂房を使っていたな」


 冬籟がふと思い出し笑いをする。


「政治の話をするときの銀蝉はとてもまじめだったが、皆で食事を囲むときは別人のようだったな」


「そうだね。頭の回転の速さを、周囲を楽しませることに使っていた」


 銀蝉は冗談や滑稽話を語るのがうまかったのだと卓瑛が懐かしむ。。


「起承転結があってね。いつのまにかグイグイ引き込まれて、そして面白おかしい結末に皆が笑い転げることになる」


「腹が痛くなるほどな」


「本当に楽しかった……ご苦労の多かった義母上にとっても心癒される時間だったろう」


 卓瑛が「そう言えば」と何かを思い出した。


「義母上は若い少女が好むような小物を欲しがることが多かった。後宮に納められるような豪華な品ではなくて……」


 冬籟も同じ記憶があったらしい。


「ちょっと花模様がついた愛らしい合子とか童女が持つような素朴な人形とかだな。銀蝉が市井で買い求めて差し上げていた」


 冬籟が白蘭に複雑な顔を見せる。


「后となられて重責を担う前の、ちょうどあんたくらいの娘時代を懐かしんでおられたんだろう」


 優れた手腕で大帝国を切り盛りしてきた女傑といえども、ときには気楽だった少女時代に戻りたいこともあったのだろう。銀蝉もそのささやかな息抜きを叶えて差し上げていた。それなのに……。


「銀蝉様はなぜ暗殺されてしまったのでしょう?」


 卓瑛が答えた。


「下賤の身で宰相の座にあることを貴族達が許さなかったからだろう」


 王朝交代期、古い家柄の貴族の全てが蘇に移ったわけでなく、華都に残っている家もある。


「皇帝家より古くて由緒正しい家格の貴族もいるからね。そして蘇の王侯貴族と同じく、自分達の方が皇帝よりも伝統的価値観を身に着けていると自負している」


 冬籟が「春賢の崔家もそうだ」と言い添えた。


「父帝はそのような貴族とともに詩歌など伝統的な教養を重んじておられた。だから、父帝の頃には、貴族たちが朝廷で宰相銀蝉より下に位置付けられても、父帝が義母上と銀蝉たちを軽んじておられたので、彼らの鬱憤もたまりにくかったのだろう。だが……」 


 銀蝉を蔑んでいた先帝から卓瑛に代替わりすることで、その状況は一変する。


「銀蝉は私の師だ。私は父帝と違って彼を敬愛している。それが貴族たちを警戒させたようだ」


「それに」と冬籟が加える。


「あいつら貴族の頭の中では、女や子どもは何もできないってことになっている。皇太后様の能力を過小評価し、そばで支えてきた壮年の男性の銀蝉さえ取り除けば、若い新帝の力は弱まり、自分達が朝廷で好き勝手ができると思ってたんだ」


 とはいえ、下手人を捕らえても彼らは背後関係について口を割らなかった。貴族達も当然容疑を否認する。そしてその主張を崩す証拠がない。冬籟は悔しそうにそう語った。


 卓瑛の表情も険しい。


「貴族たちの後ろにさらに蘇王がいると私たちは考えている」


「蘇王が?」


 冬籟が腕を組んだ。


「董の貴族達が銀蝉の失脚を図ることくらいなら俺たちも予想していたが、命まで奪うとは思わなかった。宰相が死を賜るのは皇帝からだけだ。皇帝になり代わって宰相の命を召し上げようとする発想は、董王朝よりも自分の方が正統な皇帝だと思っている蘇王のものではないかと俺たちは睨んでいる」


「先帝と華都の貴族、それから蘇の王侯貴族には共通の価値観とそれに基づいた目標がある。彼らは伝統にのっとった王道政治を実現させたいと願っているんだ。だから銀蝉のような野卑な宰相を取り除き、彼の影響を受けた私に蘇王の王女を入内させ、そして蘇王の血を引く皇子を産ませて次の皇帝にする。彼らの最終目的はそこにあるんだろう」


 そのために銀蝉は襲われたのだが、実は、その現場は側燕宮とかなり離れた場所だった。


「その夜は私も政のことで義母上を訪ねて側燕宮に泊まっていた。彼は私か義母上に異変を知らせて警告しようとしたのだろう。血痕は遠くから始まっていて……。彼が自分に残された気力をふりしぼって側燕宮にまでやって来たのだと思うと胸が詰まる……」


 宰相は命尽きるまで先の皇后と新帝に身を捧げたのだ。


「私も衝撃を受けたし、義母上も少し前から優れなかった体調が一気に悪化した」

 二人は銀蝉が息を引き取った場所に彼の生前の功績と忠義を労うために塚を建てた。自身の家庭を持たなかった銀蝉には最大の弔いと言えるだろう。


 ここで冬籟が妙なことを言い出した。


「あんた、銀蝉に会ってみるか?」


「は?」


 死者に会えるはずなどないだろうと白蘭は当然の疑問を抱く。けれど、相手は毅国の王子なのだった。


「玄武を司る毅王の血筋に生まれたことで、俺にはどうやら冥界の住人の姿を見る力があるらしい」


 四神の玄武は冥界からの使者だという。


「俺は呪文を知らないから玄武を呼び出すことはできんが、血筋のおかげか死者の姿が見えるようになった」


 詳しい理由は冬籟自身にも分からない。ただ、冬籟が董に来てからしばらくして幽鬼が目に入るようになったという。


「数年ほど前だったか、うっすらと向こうが透けて見える人影を目にすることが重なった。何事かと調べてみると、俺はその場所にゆかりのある死者の幽鬼を見ていることになるらしい」


「銀蝉様の姿も見えるんですか?」


 そうだ、と冬籟はうなずく。


「見間違えるはずがない。あれは銀蝉だ」


 卓瑛も「私も冬籟に見せてもらった」と言う。


「幽鬼の姿は冬籟様にしか見えないものではないのですか?」


「幽鬼によるが、俺が丁寧に跪拝をするとその影を濃くする者もいる。生者に会いたいからじゃないかと思う。そして、その影が十分に濃くなれば俺の側にいる他人にも見える」


「……不思議なことです……」


「あんたを銀蝉に会わせよう。あんたは後宮出入りの女商人で、次の西妃の代わりに実務を回すつもりだそうだから。銀蝉が生きていたら、あんたがどんな人間か確かめたいと思うだろう」


 夕餉の後、卓瑛は藍可のいる青濤宮に向かい、白蘭は冬籟と銀蝉の塚に詣でた。


 塚は側燕宮から見下ろせる位置にある。盛り土は昨日できたばかりのように雑草の芽一つ生えてもおらず黒々としており、普段から念入りに整えられているのだろうと感じるが、石に刻まれているのは「丞相銀蝉塚」と素っ気ない文言だけだった。 


 塚の数歩手前で冬籟が足を止める。塚の方に向けられた彼の視線を追っても白蘭には誰の姿も見えない。しかし冬籟は虚空を見つめながら跪き、そして両手を組むと目を閉じて首を垂れた。


「あ……」


 靄がかかったかのように視界が白くなる。その白い空気がすうっと集まって大きな塊になると、人の背丈ほどの濃灰色の円柱状になる。それが更に凝縮すると蝋のような質感の人の姿が現れた。


 冬籟が「銀蝉……」と呟いて顔を上げ、もう一度深々と頭を下げる。


「……!」


 その人影が一歩白蘭に近づいた。その瞬間、その顔や衣に一気に色が乗る。


 丁寧に染められた濃色の袍に身を包む壮年の男性。元は庶民だったらしい浅黒い肌、銀と称せられたように白髪の多い鬢、弛んだ頬と顔のしみは年齢を感じさせるが、その眼差しは力強い。


 銀蝉、いやその幽鬼は白蘭を真正面から見た。白蘭という人間の心の奥底まですっかり見透かすかのように。そして、ゆっくりと腰を折って礼を取る。


「銀蝉……殿……」


 そのまま銀蝉は下げた首を上げることなく、再び白い影となり、やがて煙となって夜の庭園に溶けていった。


 冬籟が立ち上がると「驚いた」と声を漏らす。


「幽鬼の方からここまで生者に会いたがったのを見たのは初めてだ。いつも白い影で、顔の造作なんかも灰色の濃淡でしか分からない。こんなに色鮮やかな銀蝉の姿を見たのは暗殺される前に会って以来だ」


 冬籟がいぶかしそうなので、白蘭は「それは……私が皇太后様の入内前と同じ年頃の琥の少女だからではないでしょうか。銀蝉殿は今でも皇太后様を喜ばせようと、私が何か少女らしいものを持ち合わせていないか尋ねたかったのでしょう」と答えてみた。


 そしてちょっとした嫌味を思いつく。


「なにせ私は『小娘』ですからね」


 冬籟は「根に持ってたんだな」と顔をしかめて、息を吐いた。


「小娘呼ばわりは悪かった。今日もあんたは卓瑛と俺の間が上手くいくようにあれこれ気をつかってくれた。見た目よりずっと大人びてることは認めよう」


 白蘭は軽く笑って「ありがとうございます」と礼を述べた。



*****

各話ごとの「あとがき」を書いております。「どの部分がどの資料に基づいているか」あるいは「どの部分が鷲生の独自設定かなのか」などについて書いております。何かのご参考になれば幸いです。

→「中華ファンタジー「後宮出入りの女商人」の資料や独自設定など。」

https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557

第22話 「蝉」「市」について

https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557/episodes/16817330659573090707

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る