第21話 病床の皇太后への見舞い(二)
「母の名を申せば私のこともお分かりだと存じます。私には両親の庇護がありません。自力で食べていかねばならず、商人として身を立てようと戴家に養子にするように頼んだのです」
皇太后はしばらく黙ってから尋ねた。
「……商人として華都に来たのは何故ですか?」
「私は皇太后様のような女性になりたいのです」
「私のような?」
この点は嘘偽りない真情なので、白蘭は相手を見つめる目に力を込めた。
「私は母みたいになりたくありません。男の寵愛に人生を左右されるような惨めで愚かな女になりたくないのです。ですから、私は嫁ぐ前に、己の力量で自立した女商人としての立場を固め、そう認められたうえで夫の家に入りたいのです」
分かって下さるはずだ。白蘭はそう信じて語りかける。
「皇太后様は母と違って愛だの恋だの下らないものに惑わされず、政に手腕を発揮なさいました。私も皇太后様のようになりたいのです。女傑と一目置かれるような存在に」
皇太后は黙ってしばらく遠くを見つめた。それから白蘭に視線を戻す。
「貴女が母親と違う生き方をしたいと願う気持ちは分かりました」
分かっていただけた。白蘭はほっとしたが、皇太后は困惑の色が混じった複雑な表情で話題を変える。
「貴女は私の護符を探し出そうとしているそうですね」
「はい。私は皇太后様の憂いを晴らし、皇帝陛下に有能だと評価していただきたいのです」
「それに」と白蘭は勢いよく牀の上に身を乗り出した。皇太后が喜ぶはずだと思って意気込みを口にする。
「私は琥の王族にとって護符が自分の魂同然に大切なものだとよく分かっております。私が必ずや貴女様の護符を見つけて差し上げます」
しかし、それを聞いた皇太后はゆっくりと首を横に振った。
「貴女が私を思う気持ちは嬉しく受け取ります。でも、無理に謎を解こうとしないでほしいのです」
思いもかけない言葉だった。白蘭は狼狽する気持ちをおさえられない。
「なぜ、ですか……?」
皇太后の病は篤い。お元気なうちに護符を見つけて、持ち主の手に返して差し上げたいと白蘭は願ってるのに。そしてこの謎解きは一刻を争うように思われるのに……。
白蘭の当然の疑問に対して、頭脳の明晰さをうたわれたはずの皇太后からは歯切れの悪い返事しか返ってこない。
「世の中にはむりやりはっきりさせない方がいいこともあります……」
「ですが……」
「物事を静観するのも大切なことですよ……」
それでも納得のいかない白蘭がさらに問いを重ねようとしたとき、皇太后の上半身がぐらりと揺れた。
傍の宮女が「皇太后様!」と小さく叫んですかさずその身体を支える。冬籟も「どうなさいました?」と心配そうな声をかけた。
「少し、眩暈が……」
「お疲れなのでしょう。そろそろ俺も白蘭もさがります」
宮女の手を借りながら皇太后は
「貴女、貴女の魂も自由です。貴女も幸せに生きていいのですよ」
「……?」
皇太后のその言葉の具体的な意味は全く分からないが、白蘭への愛情がこめられていることは伝わるので、白蘭はそれに対して頭を下げた。
臥室から出た白蘭は、先を歩く冬籟の背中にたまらず声を掛ける。
「どういうことなのでしょう?」
彼も歩みをゆるめて振り返る。
「血の繋がったあんたの幸せを願うのは分からんでもないが、全体的に皇太后様らしくない口ぶりだった。奥歯にものがはさまったような……。特に護符の謎を解いて欲しくなさそうでいらしたのは解せんな」
「そうですよね……」
「俺には事情は分からんが、卓瑛が何か知っているかもしれない」
夕闇の漂う側燕宮の庭に出ると、洞門から宦官が駆けてきた。これから皇帝が側燕宮に来るのだという。その先触れからまもなく卓瑛が姿を現した。
「今日は義母上の調子がよく、白蘭とお会いになっていると聞いたんだが……」
「残念だが白蘭と話しているうちにお疲れになったようだ」と冬籟が答える。卓瑛は「そうか」と肩を落としたものの重病人のことなので予想はしていたらしい。一つ息を吐くと、冬籟と白蘭に「夕餉を運ばせるから、ここで一緒に食べないか?」と誘いかけてきた。
「卓瑛、夕餉時に藍可を一人にするのか?」
「藍可が一緒だと冬籟は私と食事をしてくれないだろう?」
「夫婦水入らずの時間だ。俺は邪魔したくない」
卓瑛が少し悪戯っぽい表情を浮かべた。
「今日の私は久しぶりに羊を食べたい気分なんだが、漣国に羊がいないから藍可は今でも羊肉が苦手だ。ちょうど西域出身の白蘭もいることだし、藍可抜きのこの三人で羊を楽しまないか?」
ここで卓瑛は白蘭に目配せをした。羊肉は西域でもおなじみだ。ここで白蘭が故郷を懐かしんで羊を食べたいと言えば、それを口実に卓瑛は冬籟を食事に誘うことができる。
今の白蘭は特に羊を食べたいわけではないが、空気を読めない者に商人など務まりはしない。
「うわあ、私もちょうど羊を食べたかったんですぅ」
わざとらしいほどはしゃいでみせたその口調は、雲雀に少し似ていたかもしれない。
卓瑛は満足げにほほえむと「私は義母上の臥室を見舞ってくる。東房に席をもうけさせるから先に向かっていてくれ」と宮殿に入っていった。
卓瑛の背を見送ると、冬籟がぽつんと「あんたに気を遣わせたようだな」とこぼした。白蘭が「何のことでしょう?」ととぼけると、ふっと鼻から息を吐いて笑う。
「小芝居を打ってくれたようだがバレバレだぜ? あんたは華都で珍しいものを食べたかったんだろうに。卓瑛が俺と飯を食いたがっているのに合わせてくれたんだな」
そのとおりだが、見すかされていたのは照れくさい。
「べ、別に、それだけじゃありません。皇太后様の不可解な態度のお話もしたいですし、それから……」
白蘭は話を逸らそうと、さっきから少し気になっていたものを指さした。
「あれは何ですか? 記念碑か何かですか?」
池のほとりの塚。膝がしらほどの高さの盛り土に何か文字が刻まれた石碑がたっている。
「それは銀蝉を偲ぶための塚だ」
「……」
「銀蝉は側燕宮の洞門の少し外で亡くなった。卓瑛と皇太后様がその死を悼んで碑を建立したんだ」
冬籟は白蘭を側燕宮の主殿の脇の小ぶりの殿舎に連れていく。ほどなくして卓瑛もやってきて、その房室の中央の大きな卓に羊料理を中心とした夕餉が運ばれて来た。
卓瑛が過去を懐かしむ。
「子どもの頃も義母上、銀蝉、そして冬籟と私、藍可の五人で夕餉をとった」
冬籟が短く「そうだな」とだけ応じた。
「白蘭のおかげで冬籟と昔のように夕餉をとる機会ができて嬉しいよ。冬籟、これを機に皆で食卓を囲もう。次は藍可も一緒に、また白蘭のために海産物でも……」
「護符の謎解きに必要ならな。だが、俺に気をつかうのはよせ。藍可はもう卓瑛の妻なんだから二人で過ごすべきだ」
「しかし……」
「西妃や南妃が入内すればますます藍可にばかり時間をさけなくなる。今の二人の時間を大切にしろ」
「冬籟、私はお前と疎遠になりたくないんだ」
「大人になれば立場も変わる。いつまでも子どもではいられない」
「大人になっても共に育った過去は変わらないだろう?」
「過去ばかり見ていては大人になれん」
「だが……」
白蘭は心の中で溜息をついた。このままこの話題を二人で続けても出口は見つからないだろう。二人もそれは分かっていて、されど始めた会話の落としどころを見つけあぐねているようだ。
「あの、陛下にお尋ねしたいのですが」
卓瑛も冬籟も、白蘭が話を中断したのにどこかほっとした顔だ。
「皇太后様は護符の謎を解かないで欲しいようでした。陛下は理由をご存知ですか?」
卓瑛が首をひねる。
「いや? 私も初耳だ。なぜだろう……」
*****
各話ごとの「あとがき」を書いております。「どの部分がどの資料に基づいているか」あるいは「どの部分が鷲生の独自設定かなのか」などについて書いております。何かのご参考になれば幸いです。
→「中華ファンタジー「後宮出入りの女商人」の資料や独自設定など。」
https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557
第21話 「庭」について
https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557/episodes/16817330659572109263
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