第18話 蘇の役者の登壇(一)
青濤宮で卓瑛にうけあったとおり、白蘭は他の商人達とせっせと文をやりとりしている。自室の机は書類でいっぱいだ。
今は護符の謎解きのためだが、ここで他の商人と誼を通じておくのは、白蘭が今後も華都で自立した女商人として活動する礎にもなるだろう。
雲雀が遠慮がちに「お嬢様ぁ」と扉から顔をのぞかせた。ああ、そろそろ雲雀の勉強の時間だ。
「お嬢様がお忙しかったら、今日はお休みでも……」
白蘭は「ううん」と言いながら立ち上がった。
「授業料を貰ってるんだからお休みは最小限にしなきゃ。それに私、早く雲雀に字を覚えて欲しいの。雲雀だったら活き活きした文章を書きそうだなあって期待してるのよ」
白蘭には琥に董の様子を書き送る役目があるが、ゆくゆくはそれを雲雀に任せてみようかと思う。好奇心旺盛な雲雀なら、いい内容を書いてくれそうだ。
雲雀が「嬉しいですぅ」と顔を輝かせ、トントンと軽快な足音で階段を下りていった。
字の勉強は午後の飯庁を使うことにしていた。白蘭の自室の机は塞がっているし、雲雀はお手本と自分用の紙とを並べる必要があるから飯庁の大きな机の方がやりやすいのだ。
「雲雀もだいぶ筆に慣れてきたわね。それでも雑にならずに一画一画ていねいに書くのは偉いわ」
「えへへ。私、お嬢様にここで教えてもらって字を書いた紙を持ち帰って、弟達に字を教えてるんですよぅ」
それはいい。移民の最初の世代は読み書きができない。誰かが教えなければその子も孫もいつまで経ってもそのままだ。雲雀だけでなくその周囲も少しでも字を身に着けて欲しいと白蘭は願う。
雲雀が「あ……」と飯庁に入って来た客に気づいた。雲雀が手習いに飯庁を使えるのは、夕餉をとる客が来るまでだ。そろそろ切り上げなくてはならない。
その客は雲雀を見ると「お、雲雀嬢がいた!」と声を上げた。
「ああ、
美しい顔立ちの男だった。褐色の肌にくっきりとした大きな瞳、少し唇がめくれた蠱惑的な顔立ち。洒落た耳環や飾がよく似合い、やたら艶っぽい雰囲気が漂う。
「お嬢様、この方は蘇の役者さんなんですよぅ。前に一座の公演で華都に来たとき道に迷って、私が案内して知り合ったんですぅ」
なるほど役者か。卓瑛や冬籟が自分の容姿に頓着なさそうなのに対し、この璋伶は己の美貌を少々過剰なほど意識している様子だ。
璋伶は右手を胸に当てて白蘭に一礼した。芝居がかった仕草が様になっているのはさすが本職というべきか。
「はじめまして。こちらのお嬢さんも愛らしい方だ。一日が終わる前に未来の美女二人にお目にかかれて今宵の私は幸運に恵まれたことです」
「はじめまして。璋伶さんはお食事ですか?」
「ええ。どこで食べてもいいのですが、前に私を助けてくれた心優しき雲雀嬢がこちらで働いていると聞いたので、ならばぜひとも再会したく参じた次第」
「でもぉ。私これから帰るとこですよぅ」
彼がふっと笑い「またお目にかかれますよ」と答えた。
その声色に白蘭は違和感を覚える。喜劇役者の演技から、ふと素顔が垣間見えたかのような。なんとなく雲雀をここから早く送り出した方がいい気になり、彼に軽く会釈して二人で外に出た。
すると、宿の出入口から少し離れたところにいた男が、白蘭と目が合うなり「そんなところにいたのか、さあ行くぞ!」と怒鳴りながら近づいてくる。
白蘭は「誰だっけ?」と一瞬けげんに思い、そして春賢だと思い出した。
「あの……?」
「夕餉が遅くなるじゃないか」
春賢から「夕餉を振る舞うから自宅に来い」と誘われたことはあったが、それは二度も断ったはず。私は行きたくない。ええと、こういうことになったら……。
「あの、私は仕事で後宮に向かうところなんです」
「我が儘を言うな。自分の立場を弁えろ!」
「は? 立場? 私は商人です。だから後宮に商談に行かなければ……」
「何で夕刻までに済ませておかないんだ!」
「この時間は雲雀の勉強を見てやることになってますから」
「賤しい娘に字を教えるのが僕よりも大事だと? バカバカしい。さ、来るんだ」
春賢は鼻で笑うと白蘭の腕をつかんだ。もちろん白蘭は振り払おうとする。それくらい簡単にできると思った。春賢は武人と違って弱々しそうな体格だし、何より相手が嫌がっていると分かれば手を放すものだろう。
しかし、、春賢は更にぐっと力を込めて白蘭の腕を引いて連れていこうとする。「や、やめて」と白蘭がうろたえた声を上げても一向に気にしない。
雲雀が「お嬢様!」と鋭く叫んだ。宿から璋伶が「雲雀嬢?」と言いながら飛び出してくる。雲雀が「お、お嬢様が大変ですぅ」と、春賢に腕を取られている白蘭を指さした。
璋伶がつかつかと歩み寄ると春賢の手首をつかんで捻り上げた。
「白蘭嬢が嫌がっていらっしゃる」
璋伶は華奢に見えるのになかなか膂力があるようだった。つかんだ春賢の手をポイっと軽く放っただけのように見えるのに、春賢は体の均衡を大きく崩してたたらを踏む。そこから体勢を立て直した春賢は璋伶を睨みつけた。
「なんだお前は! 関係ないだろう!」
「女性が男に絡まれていれば、お救い申し上げるのが主人公の役目というもの」
春賢がいきり立つ。
「横取りする気か! 僕が先に目をつけたんだ! 僕は崔家の春賢だ。科挙を受けるんだぞ!」
「横取りなどとは人聞きの悪い。白蘭嬢が嫌がっていらっしゃる。女性を遇するには礼をもって……」
「礼儀だと? 女は男に仕える生き物だ! 男が女に礼など取る必要などどこにある!」
「は?」
「古の聖人は『女は男に従え』と説いておられる。『家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫が死んだあとは子に従え』と」
侮蔑も露わに春賢が続ける。
「お前は見るからに南の蛮人。ものの道理などを知らぬだろう。さ、帰るぞ、白蘭」
「帰るって、どこへですか?」
一緒に帰る場所などありはしないのに気持ちが悪い。白蘭は自分の胸の前に両腕を引き寄せた。
「僕の家に決まっているだろう」
璋伶が肩をすくめてよく通る声を出す。
「おやまあ。ええ、白蘭嬢は確かに美しい。妻に望む気持ちは分かりますとも。だが物事には手順と言うものがある。結婚するならそれ相応の段取りを……」
*****
各話ごとの「あとがき」を書いております。「どの部分がどの資料に基づいているか」あるいは「どの部分が鷲生の独自設定かなのか」などについて書いております。何かのご参考になれば幸いです。
→「中華ファンタジー「後宮出入りの女商人」の資料や独自設定など。」
https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557
第18話 「役者」について
https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557/episodes/16817330659570887011
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