疑似就活レポート

沈黙静寂

第1話:業界研究篇

 これはとある小説家志望の虚栄と欺瞞に満ちた就活体験記である。

 大学三年冬、必要性も分からず登録したエージェントからの迷惑メールを流し見つつ「第二回冬期企業説明会」キャリア支援室の個人ページから取得したリンクが再送され、寝惚けながらパソコンを起動した。寝巻姿で説明会に出席出来るとは良い時代になったものだと冷蔵庫から取り出した牛乳パックを画面の向こうの面接室に掲げる。商社、金融、建設、情報通信、メーカーなど業種を跨いで陳列する大手企業は何処も自社の業界シェアと社会貢献性を主張するばかり、某広告代理店の採用担当の生気を失った顔つきを除いて現実味の薄い話が続き、いつの間にか訪れた質問時間では的外れな応答を避ける意図と態々質問者の名前など覚えないだろうという予断から様子を見る。素人学部生が放つ業界動向に対する疑問符は私には統計的に出力されたものとしか思えないが、良い質問ですねという返答に御社とは反りが合わないと見切る。

 私の就職活動は二週間前、十一月下旬の第一回冬期企業説明会を寝ながら聴講した時点から始まった。春夏あるいは二年次から始めた者と比べると出遅れはしたが選り好みしなければ一社は通るだろうという目算だ。官僚や士師業の類は別として、私の周りにも研究として心理学や政治学に傾倒する者や海外ボランティアやインターン活動に精を出す者はいたが、恐らく大半の学生は蒙昧な人生観で取替の利く仕事を求める一方、私の場合は誰より優れた作品を生産出来る自信があったので就活は時間の無駄としか思えなかった。

 それでは何故芸大や専門学校を選ばなかったかと言えば、芸術は工学と異なり自身に駆け巡る病魔を発現する行為であり誰かに師事を仰ぐ必要は無く、かと言って分別を付け理工系に進む場合は作業に十分な時間を割けない為、人文社会系で教養と芸を極めるのが最適解であるという考えを理解してくれる者は案外少なく、事実本学にも趣味としての美術サークル以上に精力的な活動者はいなかった。私大の連中のように実家が太ければ大学への寄生やコネ入社等もあり得たかもしれないが、実力主義と芸術至上主義を組み合わせる私にはより繊細な行動計画が必要であり、長期インターン参加への時間を惜しんで書いた長編ミステリーは怠惰の証ではない。

 勿論収益性を欠いた大口は自覚しているので、一人で悩むのは失策だろうと偶にはキャリア支援室の門戸を叩く。ただの新卒の下調べを業界研究と呼ぶべきではないだろという思いを胸に対面する中年女性に一通りの自分史を伝えると「今からなら大丈夫じゃない?」安易な楽観視と「でもクリエイターは狭き門だからね」安易な悲観視を組み合わせた両眼で私を見てきた。「出来れば創作に関わる仕事、あるいは最大限趣味の時間を確保出来る労働環境が良いのですが」「うーん……」コンテンツ飽食の時代に供給不足というのは違和感が否めないが、生に直結しない営みであることは認めざるを得ない。

「英語の点数は問題無さそうだから、次回までにガクチカと自己PRと志望理由を書いてきて。クリエイティブならポートフォリオも」ポートフォリオは簡単な物なら用意はあるが洗練させる必要があるだろう、志望動機は適当に先方を褒めれば良い、残りは創り上げてきた作品数等幾らでも言えるがチームプレイが凡そ無いのは不安だ。こんな時の為に活動に他人を巻き込むべきだったという後悔は先に立たず、私は実力の無い企画者が嫌いなので己の力量の最大化に時間を費やしたことは失敗ではなく、就職適齢期が三年後であれば真っ当に訴えられたのにと社会に責任転嫁する。

 二回目の面談日、事前に提出した文書には「直近のインターンシップについて伺いたいです。私が興味のある業種はIT・通信系、職種で言えば企画・開発、調査・分析、広報、人事辺りになるかと思います。特に興味があるのは現在伸長しているコンピュータグラフィックス産業で、私自身が予てより創作活動を行っているのもあり、創造力や発想力と言った個人の武器や、講義で培ったプログラミングや統計学の知識が活かせるのではないかと思います。当分野は特に日本市場で急速な成長が見られ、世界的にも継続的な発展が見込めると思います。CG関連企業のインターンやワークショップ、セミナー等の情報があれば是非お聞きしたいです」と訪問理由を記載し前回同様の女性を相手にする。娯楽産業から視野を広げた上で、単なるライターは元より職種の項目に無いし人工知能に代替される未来が明白であり、理想に描く出版社の先進的なメディアミックス部門は正に針の穴の如く狭き門、望みの部署に配属されるとも限らないので第二の趣味としてモデリングソフトで遊んでいた経験をどうにか活かせないかと思いCG産業に狙いを絞った。

 確たる思想哲学と違って就職の軸は揺れに揺れ、業種を絞るか否か、職種を絞るか否か、趣味と仕事を分けるか否かについて社会人経験の無い私に想像出来る訳が無く、巷でまずは大企業で三年働けと言うが一年と三年あるいは大企業と中小企業の有意差について具体的に語る人は少ないし、本来私のような野心家は起業すべきだろうが成功する見込みは無いし、呼ぶ当ての無い友人に相談を希うにも無益な軽蔑あるいは共感を呼ぶだけなので餅は餅屋に任せるとしよう。後が控えているのか忙しない素振りの担当に以下の自己PRとガクチカを提示する。

「【自己PR】私の長所はパーソナリティと発想力の二点にあります。第一にパーソナリティについて、身の周りの他者に常日頃気を配り相手の助けとなる行為を厭わない温厚な性格であると自覚し、実際に知人からよく真面目と言われます。例えば中学時代は授業に欠席した同級生に対して、板書内容を伝えたり授業の内容を解説したりと繰り返す内に、冗談交じりに神様と渾名が付けられていました。小学生時代には地域毎に割り当てられた組の中で自ら班長に立候補する等、皆がやらないような仕事でも率先して取り組みます。また芯の強さ、精神力の強さにも自信があります。高校時代の体育祭では組毎にチームが分かれ、上級生が下級生に対して数カ月間に渡り指導する中で、どう練習を進めるか、どんな戦略を立てるかと言った計画や、実地での下級生の指導を皆と協力してやり遂げました。第二に、高校時代から創作活動を嗜む私には発想力に自信があります。当初は執筆活動のみに注力していましたが、三年前に他の媒体での表現にも興味が生まれ絵を描き始めるようになり、昨年は高度な表現を求めてCG制作を始めました。幅の広さに留まらず、私の作品はどの媒体も誰よりも質が高いと自負しています。従来の価値観では一つの物事に集中することが美徳とされてきましたが、AI化が進むこれからの時代は一つの物事に囚われない柔軟性こそ重要だと考えます。このように時代に応じて新しいことや面白いことに挑戦し続ける発想力が何よりの私の武器だと思います」

「【ガクチカ】学生時代に力を入れたこととして、大別して趣味の活動、大学のゼミ、部活動、アルバイトの四点が挙げられます。趣味については小説、絵、デザイン、漫画、映像、CGと言った幅広い創作活動を精力的に行っています。そこでは他の誰も思い付かないような作品を創り、他者から評価されることを目標に取り組んでおり、色々な媒体に挑戦しつつこれまで小説は計百万字、絵は計三百枚描く等、時間を費やし一つ一つの表現を極めました。諦めずに努力を続けた結果、美術を主題とした論考がとある公募に入選となり、見事実績を残すことも出来ました。現在ではCG制作のコミュニティで他の開発者と積極的に交流し、世界を変えてやるという気概で革新的な創作を追求しています。ゼミについては科学社会論のゼミに入り、毎週学術書のレジュメ作成や発表を行い、昼過ぎから夜遅くまで同級生や先輩と熱心に議論しました。入学当初は理系の男女比の問題に漠然と興味があるだけでしたが多くの書籍を丁寧に読み、様々な考えや背景を持つ学生と交流する内に、自分の主張や論点が明確となり、科学資本主義の全体像について理解を深めることが出来ました。卒論では芸術工学分野を専攻する男女数名に質的調査を行い、私にしか書けない議論を記述出来ました。部活動では小学生から高校生まで計十年間バスケ部に属しておりレギュラーとしてチームに貢献しました。夜遅くまでの練習や部員との交流を通して、忍耐力や結束力を培うことが出来ました。アルバイトではコンビニエンスストアの接客と飲食店の接客を経験しており、どのように対応すればお客様や仕事仲間が気分良く過ごせるかを考え、協調性を育むことが出来ました」

 自己PRでは自身の人柄や能力を、ガクチカでは目標設定から過程を経て成果に至る流れを具体例と共に伝えることが重要と知りその形式をなぞった。当時の温厚な振る舞いは今や見る影も無いことやバスケ部時代は補欠だったこと等、物書きらしく虚実織り交ぜたが露呈する可能性はまず無いだろう。徹夜で完成させたポートフォリオ第二版には特に言及されず、眼鏡を傾ける女は溜息を吐きながら言う。

「細かい言い回しは変えた方が良いがそれは後日としよう。CGの、その……モデリング?とかはどのくらい詳しいの?」

「まだ始めて約一年なので素人に毛が生えた程度です。本当はもっとやりたいことがあって」

「知り合いに業界で働いている人とかいる?」

「多分いますけどはっきりとは分からないです」

「……新卒なら経験は問わないだろうけど、まずは先輩の話を聞く所からだな。色々な人から情報を収集して本当に働き甲斐があるかどうか、見極めた上でガクチカも練り直せば良い。何でも良いなら受かるまで二十社、三十社と出すしかないけど」

「はぁ」生煮えの相槌を残して四時限目の講義へ向かう。情報収集にせよエントリーにせよ時間効率を訝しむ私は就活を朝のゴミ出し程度の作業としか思えず、缶とペットボトルを間違えた所で私の人生には然して影響しない気がした。

 さてこれからどうしようか。奔放な自慰行為の叶ったモラトリアムは終わり、世の為他人の為に時間を捧げなくてはならない。当然有り余る制限時間内に売上の立たなかった私に責任があるしそれも長期的に俯瞰すれば間違った選択ではないはずだが、運だけで衆目を集める作家への憎しみが絶えることは無い。勘違いの無いように言うと私は反労働ではなく反就活、余程の専門職でなければ仕事自体は人並みに出来るだろうし技術や稼ぎ方や人間関係への理解を深める為に訓練が必要なのは分かる。問題なのは恣意的な採用制度が市民の収入と幸福度の計算可能性を損じていること。十年後の世界では受かりもしない企業説明会を周回する学生など阿呆臭く映って仕方が無いだろう。

「早く創作に戻らないと」帰りの電車で終えてしまおうと十数社の志望企業と募集部門を一覧表に纏める。今から長期インターンの募集は無いようだが、短期では幾つか発見したので応募することにした。果たして上手くいくのかどうか、卒業出来れば何でも良いかと開き直り、残りの単位の数を数える。

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