第37話「まともな者はいまいか」

「マリア……」


 そのスクリーンには一人の美女が映っている。

 長い黒髪に雪のような白い肌。

 切れ長の目を彩るまつ毛は艶やかに長い。

 まさしく絶世の美女と形容するに足る女である。――メイド服を着ていなければ、ああ、それだけの形容で済んだだろう。


『わたくしにお任せください』


 その女はわずかに頬を紅潮させながら言った。


「マリア……お前今どこにいるんだ」


 なぜか肩がビクビクと不規則に震えている。

 いったいスクリーンの向こう側でなにをしているのか。

 問うてはいけない気がしていた。


『ちょうど、20階層に……あっ』


 そこで、ひときわ大きく、女――マリアの体が揺れた。


『あっ……そこっ……あっ!』


 快感に身をよじるかのようだ。比喩である。――たぶん。


『んっ……ああっ! ……ふう』

「なに一息ついてんだ」


 我慢しきれなくなって思わずツッコんだ。


『シンラ様のお顔を見たら我慢ができなくなってしまいまして。その……大変気持ち良かったです』


 顔を真っ赤にしながらマリアが言った。

 美女の恥らう姿は悪くないが、そもそも本当に恥らいのある女はスクリーンの向こうで人の顔を足しになにかをしない。

 ――はっきり言おう。

 この女は狂っている。

 今にはじまったことではない。


「ていうかお前何しにダンジョンに潜ってんだ」

『ナニをしに?』


 小首をかしげるな。潤んだ瞳でこっちを見るな。めんどくせぇ。頭痛が再発する。


『〈ドキドキ栄養ドリンク〉の原材料を求めて、でございます』


 マリアがスクリーンから一歩引いて、小脇に抱えていた籠の中身を見せた。


「またあの得体の知れないドリンクか……」


 自分のデスクの上に散らばっていた殻の空き瓶。〈マリア特製ドキドキ栄養ドリンク〉とラベリングされたそれの製造元は、まさしく今スクリーンの向こう側にいる女、マリアであった。

 なにが入っているのかはいつも謎なのだが、悔しいことにこれが驚くほど効く。気づくとこの仕事において手放すことができない必需品になっていた。……なんか中毒性を誘発するヤバいもん入ってない?


『今回こそドキドキ栄養ドリンクを飲んでシンラ様にわたくしを襲ってもらわねばなりません。わたくしの方はいつでもカモンでございます。毎夜枕と下半身を濡らして待っているというのに、一向に来てくださらないので、今回はちょっと強めにしようと。早くわたくしをシンラ様のお嫁さんにしてください……照れ照れ』

「少しは慎みを持てよ……あと口で照れとか言うな」


 身に纏った『メイド服』は飾りか。

 下半身とかぬかしたあとに純情ぶるのもやめてほしい。 


「相変わらずマリアは突き抜けてるわねぇ……。これが冗談じゃなくて命懸けちゃうくらい本気なのがなにより驚きだわ……」

 イザベラが横からスクリーンを覗き込んで言った。


『さて、名残惜しいですが、ひとまず23階層まで速攻で参ります。シンラ様の手を煩わせる愚図は直接わたくしの手で切り刻んで差し上げたいのですが、駒は駒なりに使い道があるので、今は生かしておくとしましょう』


 マリアがメイド服を手で軽くはたき、襟を正して言った。


「あー……」


 たしかにマリアは趣味嗜好と性格がぶっ飛んでいる以外はとても優秀だった。こんななりで、俺の担当する探索士の中でも一二を争う戦闘能力を有している。23階層でもなんなく踏破するだろう。


「……こっちとしちゃ助かるけど、お前も無理すんなよ」


 とはいえダンジョンだ。十三怪異物などのバグモンスターが遊走してくる可能性もある。

 そう思って一応そう声をかけた。


『はあぅ!』


 すると突如、マリアが奇声をあげて恍惚とした表情を見せる。

 隣でイザベラが「うわっ」と素で驚いたようにビクつく。


『む、無論です! わたくしはシンラ様と肉体的にも法律的にも結ばれるまでは絶対に、絶対に死にませんッ!』

「お、おう……」

『わたくしの夢がとん挫するくらいなら、筋肉ジジイなどすべて捨て置きます』


 さっきと言ってること違う。あと目が怖い。瞳孔が開いている。


『では、行ってまいります』

「……た、頼んだ」


 そしてマリアからの術式通信は途絶えた。


「シンラ、たしかマリアってあんたの自空間で寝泊まりしてるのよね」

「はい」


 マリアは特定のパーティに所属していないソロの探索士である。

 ほかにも似たような立場の担当探索士が、俺のあの自室――樹上都市で暮らしている。


「なんかこう……大変そうね……夜とか」

「よく言われます」


 やつを止めるためのトラップの製造が日課です。


「シンラー、〈みんな健康になぁれ団〉に念のためダンジョン扉付近で待機するように手配しておいたぞー」

「お、サンキュー。……よし、それじゃあ俺たちは28階層に行くか」


 今の会話の間に残りの通信を確認。イザベラに必要な情報を送りつつ、もろもろ手続きを終えて潜行準備を終える。


「今日は寝れるといいなぁ……」


 現在七徹中。――睡眠までの道のりは険しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダンジョン対策室の眠れない日常 葵大和 @Aoi_Yamato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ