第14話 (最終話) 大人の恋

「お台場で再会した時、昔と印象が違ってて初恋が冷めなかったか」


「うん。こんな人だったっけとは思った」

蘭はくすっと笑う。


「悪かったな」

純の鼻にシワが寄る。


「そうじゃなくて、あの築地のお寿司屋さんで見た時にそう思ったの。印象は変わったけど改めて好きになった」

 蘭はレインボーブリッジに向かう船を見ながらそう言った。


「なんだよ。やっぱり失恋した俺に同情していたのか」


「違うよ。絶対同情なんかではありません」

 蘭は純の右ほっぺたをつねった。純が大げさに痛がる。


「中学卒業の時に引っ越さなかったら、じゅんはずっとユリ姉と付き合っていたのかな」

 蘭は小さな声でそう訊いた。


 純は少し考える。

「いや、高校までは付き合ったかも知れないけど、その後は多分自然消滅になったと思う」


「何故そう思うの」

蘭は不思議そうな目をした。


「あれは子供の恋だから」

 遠い視線で純はそう答える。


「なにそれ」


「付き合っていた時は確かに楽しかったけど、百合のこと何も憶えてないもの。どんな夢を持っていたとか、家庭のこととか、悩みとか。そんなことを相談したかどうかさえもすっかり忘れてる」


「そうなんだ。じゅんはユリ姉のことが忘れられないのかなと勝手に思い込んでた、私」


「何故」

 今度は純が不思議そうな顔をした。


「佃島をけていると知った時そんな気がしたの」


 一度肯定した首はすぐ左右に振られた。

「確かに佃島を避けていた。前言った通りの理由でね。百合のことを忘れられなかったせいとかじゃなくて、百合は俺にとって佃島の一部だった。逆説的だけど、佃島を嫌いになりたくなかったからこそ避けるようになったのかな」


 蘭はずっと純の口許くちもとを見ていた。

「少し分かるような気がする」


「俺は今ランの夢も知っているし、悩みがある時は一番の相談相手になりたい。自分の夢をランに語りたいし悩んだり苦しい時は分かちあってもらいたい。それが大人の恋だと思うし、そうやって愛に育って行くんじゃないかと思う。愛に育つ恋が大人の恋で、恋のまま終るものは子供の恋だと思う」


「じゅんの悩みとか私も聴いてあげたい。でも、子供の恋と大人の恋か…じゅんはそんな風に考えているんだ」

 蘭は青空に浮かぶ白い雲を見上げた。


「おかしいかい」


「おかしくない。むしろ考え深くて感心した」

 ベンチから立ち上がった蘭は後ろ手で純を眩し気まぶしげに見た。


「よせやい。照れるぜ」


「一つ小さな夢があるんだけど」

 蘭はくるりと背を見せた。視線の先には白い雲がある。


「俺も小さなやつならあるよ」

 背中へそう言うと蘭は向き直った。


「先に言ってみて」


「ランが先に言えよ」


「ダメだよ。そういう時はレディファーストじゃないの。男の子が先陣を切るものだよ」

 蘭は指先を立て左右に揺らした。


 純はベンチから立ち上がり石ころをひろって海に向かってえいと投げた。

「俺が先に言う。来年はここでランと花火を見たい。この前あまり花火見てなかった気がするし」


「良いよ、約束する。私、来年の花火はここでじゅんと一緒に見る」


「ランの小さな夢は」


今叶いまかなった」


「俺と同じか」


 蘭は手をかざしてお台場を眺めながら答える。

「うん。ここからの方がずっと綺麗だから」


「来年の俺も、花火に感動しているランの顔を見てる時間の方が長くなるかも」


 もう一つ石ころを拾った純は、思い切り遠くの海へ投げつけた。その石の行方を蘭は目で追って行く。近くで海鳥が鳴いた。


「それで良いよ。じゅんはずっと私を見ていなさい」


 蘭は気持ち良さそうにうんと言って伸びをした。蘭の髪をさらさらと海風が揺らして行く。


 純は、その横顔を満足気に見守る。

「いや、やっぱり花火中心に見る。花火の方がランよりずっと綺麗だからな」


「バカ」

蘭は笑った。


(そう、その笑顔だよ)


 その思いは口には出さなかった。

 十年前からその笑顔が好きだったなんて言える訳が無い。

 代わりに出たセリフは

「遊覧船から見るのもいいかもな」だった。


 通り掛った船を純が指差すと蘭は二、三歩前に出た。

 船に向かって、おーい、と手を振りその姿勢のまま叫んだ。


「じゃあ、それは再来年ね」


「OK!」


 後ろから抱きしめる。

 女は体をひねり男の首に手を巻きつけてささやいた。


「大好き」


「分かってるさ」


 男は女にやわらかなキスをした。


                       (了)


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十年目の花火 千葉の古猫 @brainwalker

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