第13話 古い写真

 ぬくもりを確かめながら静かに両目を開くと、蘭の視線は穏やかな目に捉えられた。


「バカは俺さ。早く気付くべきだった。そうすればランに苦しい思いをさせずに済んだのに」


だましていた私をゆるしてくれるの」


「俺の間抜けをランが赦すなら、俺もランを赦す」


「本当?」

 包まれた手に女の右手も重ねられた。


「当たり前だろ。今更別れると言われても承知しない」


「ありがとう」

 大粒の涙が蘭の頬を伝わった。


 渦巻いていた様々な感情の内、怒りは湧いた直後に消えていたが、代わりに大きくなった不安がこの時純から消滅し多幸感に包まれた。


「ラン、勇気があるよな」

 指先ですくい取った涙を宝石のように見つめる。


「電話した時のこと?」蘭は斜め上方に視線をやる。


「うん」


「あれは思い切ってした」蘭はまた下を向く。


「だろうな」

 純は握った手にやや力を込めた。


 蘭はその手を握り返す。

「お台場で会った時、妹の蘭だとすぐ告白するつもりだったのに……その勇気は出なかった」


 純が肩にそっと手を回すと、蘭は肩を寄せた。


「俺たちはあの日新たに出会って好きになってしまったんだ。百合のことは会う時の切っ掛けに過ぎない。ランだけが悪い訳じゃないさ」


「だとしても私は卑怯ひきょうだった」


「そんなことないさ。それより百合ちゃんは元気なのかい」


 純は肩に掛けた手で蘭をベンチに誘導した。


「ユリ姉は結婚したよ」


「いつ」


「今年の春、お見合いした相手と意気投合したんだって」


「クロユリがお見合い結婚」

思わず純は笑った。


「おかしい?」

蘭は非難がましく訊いた。


「いや、おかしくない」

純は真顔に戻した。


「じゅん 私で良いの」


「ランが良いんだ」


「本当に」


 蘭は漸く純を直視することができた。その顔はイタズラっぽくウインクした。


「ランが好きだからランが良い。ランじゃなきゃダメなんだ」


ユリ姉ゆりねえが好きだったくせに」

 蘭の目から涙は消えた。


「百合だと思ったから好きになったんじゃないよ」


「本当?」

蘭は純を見詰めた。


「俺、木曜日の夜に卒業アルバムと古い写真を見るまで、すっかり忘れていたんだ百合の顔」


「へえ」


「百合の右目の下にホクロがあったことさえ忘れていた。クロユリの泣きぼくろはチャームポイントで有名だったのにさ」


「へえ。でも私のことも全く忘れていたんでしょ」


「しょうがないだろ。あの頃は百合の妹としか見てなかったんだから」

 言った直後、純の羞恥心しゅうちしんが『それは本当か?』と詮議せんぎしているような気がした。


「私は姉さんがじゅんを家に連れて来た時から好きだったんだよ」


「どうして俺なんかを」

 海を眺めていた純は、右隣に座っている蘭の目を覗き込んだ。


「それはなんとなくだけど」

 蘭は逆に海へ視線を逃した。


「じゃあランだって似たようなもんじゃないか」


「そんなことない。じゅんと撮った写真はずっと大切にしてた」


「花火の時に撮った二人の写真は俺の卒業アルバムにずっと挟まっていた。あの写真のランは紺地にランの花の浴衣を着てた。台場の時もランの花柄だった。あの時はそこに気付かなかった」


「あの写真、じゅんが捨てずに取っておいてくれて嬉しい」


 蘭の表情はとても柔らかになった。

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