第十三話 帰還、そして夜が明ける
非常灯の緑色の灯りだけが
無造作に転がるのは人体模型の上半身。
打ち捨てられたように、胸像に腕だけは括りつけられた格好の人型。
その千切れた胴体からは肺やら胃やら、
半開きの口。
虚空を見つめる輝きの無い瞳。
その目に映り込む影があった。
「お~い……。こんなところで野垂れ死ぬ気か? いや、そもそも生き物じゃないか……」
少し目を腫らした特攻服姿の茶髪少女、マナイ=田ノ上が縦半分皮膚の無い顔を覗き込んでいる。
「ア……花子サン……」
勝手な呼び名にいつもは怒るマナイが、言い返さなかった。
代わりに大人の背丈ほどの高さに浮いて
人体模型を模した
人であれば絶命していて当然の姿だが、マナイの呼びかけに平然と反応する。
声に合わせて、破れた胴体から半分見えている心臓が拡張と収縮を繰り返す。
「どーすんだよ、これ」
ウンコ座りで宙に浮く脚の無い少女が指差す先は、ノびている中年の男教師、
「あたい片付けるの
「ソレハ、ソノママデ
「お願い?」
光の無い、虚ろな目で天井を見つめたままの人体模型からの提案に、幽霊少女はキョトンとする。
こんなに壊れているのに、喉に損傷が無いからか声には何の変化もない。
「教室ノ中ニ、サッキノ人ノ子タチガ気ヲ失ッテイテ……オ家マデ届ケテアゲタインデス」
「おま……それマジ? そんな恰好じゃ担げねーじゃん」
「マゾデス……ジャナカッタ、マジデス。デスカラ、花子サンニオ願イナンデス」
「ったく……、しゃーねぇなぁ……」
くしゃくしゃと頭を掻くマナイ。
血色の悪いはずの頬が闇夜の中でうっすらと赤く浮かんでいたが、血沸肉男の動かせない眼球にその色を映すことは無かった。
◇
蒸し暑い夜だったが、湿気を感じさせない心地よい夜風に頬を撫でられる。
心なしか、エンジンの鼓動がリズミカルに届くのを体で感じ、アサギは目を覚ました。
目覚めたばかりの霞む瞳に、普段通っている道の見慣れた景色が、歩いている何倍もの速さで後ろに流れていくのが映った。
顔を動かせば、流れていく街並みとともに、華奢な背中、風になびく茶色い髪が見えた。
「あれ……」
「起きたかマセガキ。もうちょっとで着くぞ」
風に乗って女性の声が届く。
「え……?」
「送ってやってんだよ。学校ん中でくたばってたら警察の取り調べが待ってんだろーが。有難く思え。神様仏様マナイ様って敬え」
「うん……」
「やけに素直だな……かーっ! 調子狂うぜ」
声と背中と髪しか分からないが、アサギにとってちょっぴりオトナのお姉さんがどんな表情をしているのか、目に浮かんだ。
実際に見えないのが少年にはちょっと勿体無く思えた。
そんなことを考えていたら何も言えなくなっていた。
「……」
「あのな……」
「はい……」
「あたい……、マジモンの仏になるから。……成仏するから」
「え……?」
「一応未練が無くなったってとこかな……。オマエ届けたらおさらばだ」
「そんな……」
人間とか幽霊とか関係なく、転校を繰り返してきたアサギにとって人間関係の構築は大変であり、話せる相手はごく限られていた。
ほんのひとときでこんなにコミュニケーションがとれたのは初めての経験であり。
それがもう別れになるとは胸の締め付けられる思いだった……。
「んだよ、さみしーってか。お子ちゃまはこれだから……。あのな。あたいは五十年地縛霊やってたんだ。いい加減楽してもいーだろーがよ……」
「そっか……うん」
スクーターが停車する。
降りて初めて気付いたが、マナイもアサギもノーヘルだった。
幽霊は見えないからヘルメットが無くても違反切符切られないのか、便利だな、とアサギは子供ながらに思った。
「じゃあな」
軽く片手を挙げるマナイ。
「あの子と仲良くしろよ」
それだけ言い残すとスクーターはエンジン音も立てず、静かに夜の闇へと消えていった……。
アサギは手を振り、赤いテールランプが消えるまで見送っていた。
◇
翌朝。
バラバラに部品が散らばった人体模型と、その隣で気絶した男性教師が虹ヶ丘小学校四階廊下で発見された。
また、同じ四階の少し離れた場所――音楽室の前では女性教師が倒れているのも発見された。
何が起こったのか。男性教師の口からは的を射た証言を得ることができず、即座に休職扱いになった。
そのまま職場復帰することなく早々に退職願を出されたために、真相を追求することはできないまま事件は幕切れとなった。
女性教師からも何を語られたかは公になっていないが、彼女もまた人知れず退職となった。
確かなことといえば、男性教師の使用していたパソコンが押収されたこと……。
そのために臨時休校となったことだった。
そして余談であるが、時期を開けた未来、稀代の音楽家ハイドンの頭蓋骨が、彼の活動地から遠く離れた日本で発見されたというニュースが世を駆け抜けるのであった。
◇
開けて翌日。
(あれ? なんだこれ?)
教室の自分の席に着いたアサギは、引き出しに入った、角が潰れ形が不格好になった小さな箱を見つけた。
中身は――。
(へぇ……こんな贈り物する変わった人間もいるんだな……差出人は……どこにも書いてないな……ま、いいや)
箱や中身をあらゆる角度から眺めてみたもののどこにも名前や印らしきものが無い。
「名前なんか無くてもバレバレだっつーの」
この学校に来てから、誕生日にまつわる話をしたのは後にも先にもただ一人。
アサギは誰にも聞こえない声で呟くと、貰える物は、と八本脚の真っ赤なフェルトマスコットを凹んだ小さな包みに戻し、ランドセルに突っ込んだ。
「ホームルーム始めるぞー」
同時に担任が教室へ入ってくると、蜘蛛の子を散らすようにクラスメイト達が席に着く。
「あれ……なんだ休みなのか……。夜更かしして風邪でも引いたのかな」
送り主は自分の起こした行動で休校になってしまったことで、せっかくの誕生日を直接祝えなくなってしまったこと、自分の名前を書き忘れたことに気付き名乗り出られるはずも無く、意気消沈し欠席しているなどとは露とも思わず。
アサギは昨日の小さな冒険を思い出しながら、隣の空席を眺めるのだった。
~fin~
【血沸肉男物語~夜の学校には何かがいる~】 霜月サジ太 @SIMOTSUKI-SAGITTA
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