第十二話 目的の達成

 夜の闇に覆われた虹ヶ丘小学校。

 その四階の廊下を爆走した黄色の車輪無しスクーターは、四年一組の教室の前に佇んでいた人影に容赦なく激突した。


 遠目からでもたるんだ体型の影は、ブレーキの利かないスクーターの衝突に受け身のひとつも取らず弾き飛ばされていた。


 もちろんスクーターもただでは済まない。

 衝突により横転、乗っていたアサギとサキも放り出された。



「ってぇ~……」



 うつぶせに落ちたものの、すぐ体を起こすアサギ。

 多少体を打ったものの怪我は無い。何かに守られたのか、運が良かったのか。



「おい! 藤村!」


「うぅ~ん……」


「大丈夫か⁉」



 焦った声を上げたアサギは、仰向けの咲の腕を引っ張って起こす。

 直後、上半身だけ起きた咲は掴まれた手を咄嗟に離す。


 十歳の少年の手は逞しくはないが、その暖かい体温でドキドキするには十分だった。



「だ、大丈夫だよっ……!」


「わ、わりぃ……」



 上ずった声で返す咲。

 アサギも女子の手を握っていたことに気付き顔が熱くなる。

 顔を逸らした二人はそれぞれに自身の鼓動だけを静寂の中に聞く。


 ――そういえば、肉男とマナイの声が聞こえてこない。

 灰土の怪しい術が放たれていれば窓ガラスの割れる音が聞こえてきてもいいはずであるが、一切の無音だ。



「う……、うぅぅ……」



 耳慣れない低い声。少し離れたところに倒れていた中年太りの影――体育教師の雲堂が目を覚まそうとしている。



「なぁ、あれ誰だっけ……」


「体育の……雲堂先生……っ!」


「やっべ! 急げ!」



 アサギは再度ヒナの手を掴み立ち上がると、反対の手で教室の横開き扉を開けて転がり込む。



「誰だぁ! こんな時間に学校にいる奴はぁ! 大人しく出てきなさいっ!」



 体育教師ならではの怒鳴り声。

 言い終わるかどうかのタイミングでアサギは扉を閉め、足を延ばしてつっかえ棒代わりにする。



「俺がっ! ど、どあっ! おおお押さえてるからっ! 藤村は早く忘れ物取れよっ!!」


「う、うんっ!」



 そう、夜の学校へわざわざ忍び込んだ目的は、大事な忘れ物を取りに……なんてのは名目でしかなく。


 今すぐそばにいる少年に想いを伝えたいからだった。

 そのために学校に伝わる七不思議の力を借りたいと、行動に出た。


 こんなことなら素直に告白したほうが何倍も簡単だった気もしないではない。


 そんな考えも頭をよぎるが後の祭り。

 ここまで来たならば、今はとにかく使命ミッションを遂行するのみだった。


 が、腰が抜けて立てない。

 さっきまでは引っ張ってもらったり担がれたり乗せてもらったりで気が付かなかった……。


 四つん這いになって自分の席に向かう。すっかり忘れていたけれど今はスカート姿だ。

 アサギにお尻を向けているが、下着は見えていないだろうか、などと余計な心配が頭を巡る。


 スマホの心許ないライトしか灯りの無い真っ暗闇では見ようにも見えないはずだが、それでも恥ずかしかった。


 どうにか席に辿り着く。



「はははははやくっ! 藤村っ! せせせせ、せんせ、ちちち近づいてくる!」


「う、うんっ!」



 そんなことは分かっている、咲だって分かり切っているのだ。


 ようやく席に辿り着く。ぺたんこ座りになって、まずは自分のリュックを開ける。

 でもアサギの声が震えているのと同じ、いやそれ以上に咲の手は震えていた。



「まままままだかっ⁉」


「待って! もうちょっと!」


「誰かいるのか! いるんだろう⁉ 大人しく開けなさい!」



 アサギの押さえる引き戸を猛烈な勢いで叩く大人、焦りで我を失った体育教師。


 そもそもどうしてこんなところに居たのか。何らかの事情で遅くまで残っていたのかもしれないにせよ、四年一組の教室の前に立ち塞がっているのはあまりにも不自然だった。


 最初から読まれていたのか――。


 廊下と教室を繋ぐ引き戸には覗き窓が嵌められているが、暗がりではいくら覗いても反射するばかりで硝子ガラス一枚向こうの様子を窺い知ることができない。

 それはアサギたちにとっては幸運なことだった。



「開けなさ―い‼」



 激しく叩かれる扉、揺れる硝子の音と怒鳴り声に焦りが募る。


 リュックの中に、大事に入れた小箱は、先程の転倒の衝撃のためか、へこんでいた……。



「え……」



 アサギの引き出しに、この小箱を入れるだけだ。

 けれど、無残に潰れた箱を前に戸惑ってしまう。



「あっ」



 手の震えから、咲は小箱を落とした。

 箱は数度転がり、ギリギリ手の届く位置に止まった。



「ままままだかー!!」


「ごごごめんっ! もうすぐっ!」


「出てきなさい!開けなさ―い!」



 静寂と暗闇が全てのはずの空間に響く、怒声と扉が外れんばかりに叩かれる音。



 早く、早く、早く、早く、早く早く早く早く早く――!



 小さな体の中から、今にも飛び出して踊り狂いそうなほど撥ねる心臓。


 腰が抜けたままで動けず、目いっぱい体と腕を伸ばして、箱を拾う。


(指先が触れた、もう少しっ!)


 こんなことなら柔軟運動をもっとまじめにやっておけばよかった。

 運動の苦手な咲は祖母に進められていた入浴後のストレッチもサボりがちだった。


(とれたっ――!)


 焦りと興奮で頭もどうにかなりそうに熱くなる中、震えの止まらない両手でどうにかアサギの引き出しに小箱を押し込んだ――!



「終わったよ!」


「よし!」


「いい加減にしなさーーい‼」



 新品のハリセンが綺麗に決まったクリーンヒットしたような突き抜ける音とともに、アサギが押さえていた引き戸とは逆の、教室の黒板側の引き戸が開けられた。

 押さえられて埒が明かないと判断した雲堂がすぐさま移動していたのだった。


 が、暗がりの教室を照らすには心許ない懐中電灯を左右に振るが、生徒らしきものどころか、動く物の姿ひとつない。


 戸が開かなかったのは建付けが悪くなったためなのか。

 見かけたと思った人影は夢か幻か。


 だとしたら、なぜ自分はこんなところに立っていて、一体何にぶつかったのか……。



「誰かいるんだろう! 出てきなさい!」



 声を張り上げるが、反応はない。



「す、速やかに出てくれば、先生も怒らないぞ……」



 反応の無さに不気味さを感じ、教師の声が弱弱しくなる。



「呼ビマシタカァ?」


「ひっ……⁉」



 下から、声がした。

 真下を見ると、人体模型の顔があった。


 胸のあたりまでしか無い模型は、立っている。


 雲堂の顔が引きつり、血の気が引いていくのを感覚として感じる。



「オ呼ビデスカ? 先生?」



 縦半分表皮の無い顔の人体模型が、幼子がすれば愛くるしく見えるように首をかしげる。

 見た目が怖いからと不評で理科準備室に仕舞われているはずの人体模型人形が、突如跳ね上がって教師の顔を覗き込んできた。



「ふぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 二度と塞がらなくなってもいいからと目いっぱいに瞼と口を開ききり絶叫する。



「先生、校内ハ、静カニ、デスヨ」



 人体模型は器用に片手で立ち、皮膚の無い筋繊維むき出しの手の人差し指を立て、これまた皮膚が無く歯茎丸出しの口に当てる。



「ひぃっ! はっ⁉ はっ⁉ た、たすけ……っ!」


「アレェ? 先生、モシカシテ、私ノコト、怖インデスカ~⁇」


「あ、当たり前だ!どうして人体模型がっ……!な、な、な、なんでここにいるっ⁉」


「失礼デスネ~。夜ノ学校ナンデスカラ、カタイコト言ワナイ……クラエ! ろけっと眼球!」



 表皮の無い側の眼球が掛け声と共に飛び出す!

 それはさながらロケットパンチ。


 プラスチック製の眼球は運動の額に当たり、中年太りの体育教師はそのまま仰向けに倒れ込んだ……。

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