【伍】

 事務所に帰ったが、コレットの姿はなくどうやら学校へ行ったようだ。

 机の上に広げられた書類を端によせ、今回調べた資料と了から送られてきていた報告を地図上にまとめていく。あいつはいつも仕事が異様に速いがどうやっているのかはいまだに謎だ。


 本件の事件現場と昨日調べた事件群、そこから了の報告分を差し引いていく。そこから人間が場所をピックアップするとかなり絞れてきた。ここで葵の報告を待つのもいいが、やはりどうしようとその後の運命から逃れられないのであればじっとしてはいられない。

 俺はピックアップした場所を調査するため立ち上がった。




 現地までは電車で移動し、近場から順に回っていく。どの場所も陰鬱そうといわれたらそう思う程度だが、ただその雰囲気は確かにあった。しかし、やはり確実なものは何もない。それはもう異常といわざるを得ないほどだ。


 ここまで大規模な無差別事件と化しているにもかかわらず、彼岸の痕跡はもちろん人間の痕跡すらないのはおかしい。

 幽霊にしろ、妖怪にしろ絶対に何かしらの痕跡とルールがある。それは事件現場と被害の状況を見ればおのずと絞られてくる。だが今回それらしいものはなかった。


 かといって人間の犯行かといわれると確信となるものが何もない。呪殺などとしても、基本的に殺すまでとなるとそれ相応の触媒や恨みなどの強い動機が必要となる。しかし今回の被害者はそれぞれが点でバラバラで、つながりなどは何もなかった。


 それを少しでも拾おうと目を皿にして探し回ったが何も見つからない。いや、何もないことが分かったというべきか。




 大きく調査が進展することもなく時間だけが過ぎていた。

 日も傾き、空が赤く染まる。次は街中にある教会だ、ここは一般開放している分は回れるだろう。

 夕闇に染まる教会はどこか美しく、ここが事件とかかわる場所とは思えなかった。ただ、状況からここも事件と関係がある可能性はある。

 元よりダメもとだ、正門を見つけ敷地に足を踏み入れた。


 その瞬間、全身の鳥肌が立つ。

 なぜかはわからない。わからないがここにいてはいけない気がする。早くそこから逃げなければならない。ただ、どうやっても逃げることはできないことだけがわかった。


 そのままぎこちない足取りで入り口の扉へ向かう。――イヤダ


 扉に手をかけ力を入れる。――モドレ


 そのまま扉は何の苦労もなく開いた。――オワリダ


 その時、同時に扉から出てくる人物と鉢合わせた。


「おっと、失礼。礼拝でしょうか?」


 そこには俺と同じくらいの背丈の神父がいた。見た目はさっぱりと整っており、胸には金のロザリオが輝いていた。


「え、ええ、たまたま通りがかったところにあったもので、少し見てみようかと……」


「どんな方でも歓迎です。どうぞどうぞ、見学でもお祈りでも、ご自由にどうぞ」


「ああ、お気遣いありがとうございます。では、少しの間だけ――」


 俺は何とか現状をとりなし、落ち着いて会話をする。上手く誤魔化せはしたようだ。そしてその時初めて、教会の中を見た。

 中は、何も見えなかった。そんなはずはない。外観から見ても教会には窓が複数あるし、今は時間が遅いといっても夕日が強く差し込んでいるはずだ。


 それなのに教会の中は、出てきた神父から1メートル先がやっとというほど闇に閉ざされていた。そう、それはまるでのように。


 どうなっているんだ?わからない、ここまで現実がおかしくなることがあるか?いや、もしかしたらこれは夢なのかもしれない。ああそうだ、きっと、コレは、ユメダ。


 夕日が傾き、景色が赤から濃紺へとその表情を変えていく。その命が終わるように、闇が迫る。


 一歩足を踏み出す、先に知りたいことがある。

 二歩目、ここに入らなければならない。

 三歩目、さあもう一歩で終わりだ。


 不意に、袖が力強く引かれた。

 そこには息を切らせたコレットがしがみついていた。


「だ、ダメ!それ以上は、ダメです……!」


「え、お前、どうしてここに……?」


 いや、俺はどうしたんだ?こいつはどうしてこんな場所にいるんだ?


「おや、あなたはあの時の。では彼はあなたの……お兄さんでしょうか?先日は娘が世話になりました」


 そこで何故か神父が会話に入ってくる。どうやらコレットの知り合いらしい、こいつの学校からしても教会と縁があるのだろうか?


「いえいえ、俺はこいつの叔父――」

「すいません!これから用事があるので!」


 コレットはそういいながら俺を引っ張る。突然現れてどうしたんだこいつは。


「……どうやら先約があったようですね、残念ですが教会をご案内するのはまたの機会にしましょう。菫さんも、また娘と遊んであげてくださいね」


 ん?なんでそっちの名前なんだ……?


「いえ、そんな、何度も伺うのは失礼ですし、俺は今からでも全然」

「いいから、帰りますよ……!幸ちゃんにはまた遊ぼうって言っておいてください!」


 何でお前が話をつけようとするんだ。俺はここに調査にきたんだぞ。


「いや、勝手に話を進めるなよ。俺にも予定があるんだ、お前みたいに暇なわけじゃないんだぞ」


「そんなのわかってますよ!だから、こうしてるんです!」


 コレットの気迫に、言葉が続かなかった。


 一体何なんだ、意味がわからん……。

 何時にも増して我が儘なコレットに、俺は困惑を隠すことができずにいた。

 本当ならしっかり理由を聞きたい所だが、俺達の押し問答を困ったように見つめる神父を放置するわけにもいかない。そう判断した俺がコレットを無理矢理引き離そうとした時――


 教会の横にある庭から一人の女性が歩いてきた。


「あらあら、どうしたんですかそんなに騒いで」


 物静かそうな、優しい笑顔の似合う女性だ。庭の花壇でも整えていたのだろう、土に汚れた衣服にシャベルとバケツなどを持っている。

 胸には銀のロザリオが見えた、どうやらこの教会の関係者か礼拝に来た人間らしい。


「ああ、レベッカ。大丈夫だ、なんでもないよ。君は教会で明日の準備を頼むよ」


「でもお客様でしょう?小さい子もいるようだし私が……」


「いいんだ、彼らももう帰るといっているし、君は中に入っておいてくれ」


 神父は彼女を教会に押し込むように中に入れる。


「あの、俺は中を……」


「こちらも急用ができましたので、今日のところはその子も連れてお引き取りください。すみません、ご用はまた次回来られた時にお願いします」


 そういうと神父はレベッカと呼ばれた女性を教会に押し込み、勢いよく扉を閉めた。


「……いったいなんだってんだ」


 俺は悪態をつきつつ、未だ後ろにしがみついているコレットを見る。


「で、お前はどうしてこんなところにいるんだ?」


「それは……私の都合です!」


 そういいながらそっぽを向くコレット。まだ根に持っているらしいが、結局首を突っ込もうとしているらしい。


 まあ実際今のは助けられたのだろう。ここには確実に何かがあるが、しかしそれが何かを確かめる術がわからなかった。近づくだけで感じるこの怖気から、今の俺が入ったら帰ってこられないであろう事は何故か理解できた。


「はぁ、わかった、いいからそろそろ離れろ。ほら帰るぞ」


「……もうここには来ないでくださいね」


「何でそう思ったかは聞きたいところだが、俺もあまり来たいとは思わなくなったよ」


 コレットを引き剥がし、事務所への帰路に着く。空にあった夕日もとうに沈み、完全に闇に飲まれていた。





「……礼は言うが、下手に首を突っ込むなよ」


「はいはい、わかってますよー」


 事務所に戻り、今日得た情報を広げる。

 コレットが横から覗いてくるが、追い返したりはしなかった。今日助けられたのは事実だ、説明はしないが横から眺める分には許す。


 もう少し、しかし確信できるものが足りない。あの教会は確実に今回の件に関わっている、しかしどう関わっているかまではわからない。

 あの教会が何なのかを調べることができれば、確信できる情報と証拠を手に入れることができるだろう。問題はそれをどうするかだ。


 この呪いの根本にまで迫っている感覚はあるが、何も掴めず空を切るような状態がもどかしい。あの場所へ行くには、死を覚悟しなければならないほどの異様な空気があった。


 これが人間の死が起点になった事件であることは俺が巻き込まれている夢の内容から確信している。あれは手足が動かない以外は人間ができる行為が一通りできる。他の動物の追体験などではないだろう。


 それならば、その人間が関わる事件や問題が報告されていないほうがおかしい。人一人がいなくなるのはそんなに簡単なことではない。

 その秘匿性が今回の教会だけでは説明がつかない。それこそ出入りしている人間は無数にいるだろうが、それは逆にそれだけの人間が目撃しているということでもある。


 現在、あの教会を運営しているのは「多井中 正樹」と「多井中 レベッカ」夫妻。彼らは元々別の宗派で、数年前に鞍替えし、今の教会に派遣されてきたようだ。あのときに見た女性は、どうやら彼の妻らしい。


 間には子供が一人、「多井中 幸」という近所の学校に通う小学生だ。どうやらコレットと知り合いのようだが、詳しい話は聞いていない。


「見落とし、いや、そうじゃない……そうじゃないなら、見えないのか?」


 見えないモノ、しかし超常ではなく、現実である。発見できないもの、確信できないもの。


 近しい人間が突然いなくなって騒がない人間などいるのか?いや、近親者の同意で行われた?それなら誤魔化す事ができる、だが殺人に加担するような何かがこのレベルの呪詛を溜めるほど多数、多方にあるのかというと難しい。


 暴力団などの組織的な犯行だとしても、今でも運営されているような教会がその犯行の場所になるとは思えない。そうなると、それこそ西洋魔術の類が簡単に想像がつくが、現代日本で深い根をはれる宗教観を見出せるとは思わない。


 他には呪い屋がかかわっている場合だ、この状況で呪い屋がかかわっている可能性は十分にある。だからこそ警察も人為的な怪異として捜査に乗り出しているのだろう、しかし、彼らはほとんど証拠を残さない。


 彼らはどれだけ異様な死体が出ても、ぷつりと糸が切れたかのように怪異が終わったことによりようやくその存在がわかる。彼らが仕事をしている事を知れるのは、依頼者本人か呪い屋くらいにしか感知できないといわれるほどわかりにくい。


 ただ、今回のコレが呪いだとするなら尻尾を掴む事はできるかもしれない。呪いはどうやってソレを行っているのかわからない点に重きをおいているが、今回の場合はそこがこちらに筒抜けになっている。


 もし呪い屋だというのなら、この「やり方」を探せば何かしら出てくるはずだ。


 しかし、本当に呪い屋がこんな杜撰なことをするだろうか?もっと別の、個人的な何か、目的があるのか……?


「止めよう、これ以上考えても答えは出ないな」


 いつの間にか、横で眺めていたコレットが居なくなっていた。集中していて気付かなかったが時間も時間だ、帰ったのだろう。


 俺は机の明かりを落とし寝ることにする。またあの夢を見させられるのは非常に憂鬱だが、徐々に鮮明になるあの夢こそ大切なヒントでもある。


「早く何とかしないとまずいな……」


 そうぼやきながらベットに入る。アラームをかけずとも5時に起きれる事が、皮肉にも時間のない現状ではありがたかった。




 朝、とはいえまだ日が昇ってすらいない時間帯だが、俺はいつものように悪夢から飛び起きる。最悪の寝覚めだ。


 記憶に霞がかからないうちにメモをとる。今回の夢もまた以前より鮮明だった。視認で切る状況どころか、感覚もかすかに感じることができた。まだ遠くに感じている程度だが、床の冷たさと、四肢の痺れる様な感覚と痛み、そしてかすかに聞こえたささやき声。


 そしてぼやけるような歪んだ視界で、ようやく近くに落ちているものが何なのかわかった。それは手足だった。切断されて、転がった小さな手足。それは少ない光源に照らされて艶かしく、現実味がなかった。


 おそらく状況からして、この被害者は生きたまま両手両足を切断されたのだろう。その恐怖たるや、想像することもできない。強い呪になった理由もわかる。


 しかし、生きたまま四肢切断などまともな設備もない場所で可能なのだろうか?仮に可能だとして、この凄惨な殺人を行った人物は医療の心得があることはわかる。素人がそんなことを行っても、切断する過程で血液不足からショック死することは確実だ。


「……まともじゃないな。仮にそうだとして、ここまでする理由は何だ?」


 単純に考えるなら苦痛を与えるための怨恨、次に残虐嗜好による快楽犯あたりが考え付く。

 ここに関しても、特定できるようなつながりはない。

 最後の方に聞こえていた声も、男か女かすら判然としないほど聞こえずらかった。


 これを立証するのは俺の役目ではないが、情報は多いに越したことはないというのが本音だ。

 早ければ明後日にも自分の命運が尽きるとなるといてもたってもいられない。少ないヒントも取りこぼすことなどできない。




「終わったら、コレットにも謝って説明しないとな。よし、今日は昨日いけなかった分回るか」


 自分にそう言って、俺は焦る心を落ち着かせ立ち上がった。

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探偵奇談 橋藤 竜悟 @hashihuji2tk

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