【肆】

「……ッ、ハッ、ハァ、ハァ」


 おれは昨日と同じように悪夢とともに飛び起きる。時間は午前5時、外はまだ暗く、寒い室温にべったりと体に張り付いたシャツが凍えるほどに冷たく感じる。

 やはりしっかりと覚えている、夢の内容が最初から最後まで鮮明に思い出せた。それは、昨日見た夢よりもさらに情景が繊細になっていた。


 昨日はただただ深い闇だった場所が、少し広めの室内であることがわかった。地面はコンクリートで、どうやらガレージや倉庫のような場所だということがわかる。

 近くには筒状のものが数個散乱しており、中央に背の高いテーブルのようなものがある。

 その中を、俺は這ってナニカから逃げている。そして最後、そのナニカにつかまるとき、その影は背の高い何者かの影であった。


 どうやらこの夢は徐々に鮮明になっていくようだ。恐らく最終的にその夢を理解してしまいショック死するのだろう。

 そうなると、やはりこれは誰かの殺された記憶だ。その誰かは自分が殺された最後を不特定多数の人間に見せ、すがりたいのだろうか?


 しかしそれでは殺してしまう理由がない。この怨念のようなものが殺されたショックで錯乱しているとするならば、口寄せを伝って術者に憑くなどという芸当ができるとも思えない。

 この怪異は、はっきりと敵意のようなものを示している。自分が受けた情景を相手にも見せるという行為を持って責め苦とし、自分と同じ立場に引きずり込もうという悪意がある。

 そこまで考え、ふと、その気配に気づき顔を上げた。


「ようやく此方に気づいたか。どうやらずいぶん楽しい夢だったみたいじゃないか。此方もそのむせ返る程の陰気で目が覚めてしまったぞ」


 そこには、明かりのついていない部屋の薄暗闇でもわかる金の瞳を湛えたクロの姿があった。


「……クロか、さすがにお前にはバレるか」


「うん?此方に隠しているつもりだったのか?そんなもの、この娘が其方を一目見た時点でわかったぞ。どうやら娘もそれで気取ったようだが、この程度で隠していたとなると失笑どころか馬鹿にされている気すらするわ」


 クロはいつもの三日月のような笑顔はなく、ただ俺の後ろを見通すように睨みつけていた。


「すまないがこれは――」


「娘に聞かせるな。とでも言いたいのであろ?そんなこと百も承知だ。此方が娘を危険にさらすわけがなかろう?今更そんなわかりきったことを言うな」


「そうか、すまない。ありがとう」


 クロはコレットと文字通り一心同体であるため、クロが感じたものをコレットが受け取ってしまっていることがある。それをクロが意識的にしているのかはわからないが、約束してくれるのなら大丈夫だろう。


「ありがとう、ありがとうか。フン、享一郎、其方に憑くソレをどう見る?」


 視線を動かさず、クロは俺に問う。


「……おそらく人間が、強い恐怖を感じて死に、それが呪いになったモノだと思っている。その死を訴えたいのか、自分の仲間を増やしたいのかは正直わからないが、この呪いを止めるには、この事件の根本にある事件を解決しないといけないんじゃないかともな」


「その程度では3割といったところだ。ソレを個と見るな。ソレは全てが繋がってできている。そうだな、享一郎。其方が抗う様に此方は久方ぶりにそこそこ楽しませてもらっている、よってこれはその礼とでも思ってくれ」


 そういうと、クロは何か呪文のようなものを小声でつぶやくと、興味を失ったように寝室へきびすを返した。


「まあせいぜい励め、死にそうになったときは此方を呼べよ?そのような三下に喰われるくらいなら此方の糧になれ」


 そういって、低く笑うとクロは寝室に戻り扉を閉めた。


「お前に喰われるくらいなら首を括るよ」


 俺は誰もいない空間に言葉を投げつけ、シャワーを浴びにソファから出た。




 コレットが起き出す前に支度を済ませて事務所を出る。ついてくるなとは言ったが、それで言うことを聞くかというとそんなに殊勝ではないのがあいつだ。


 その日は前日に続き警察官である葵を頼り、残ったピースを拾い集めることになった。

 当たり前だがこの事件にかかわっている葵も暇ではなく、事前に連絡を入れ俺が自分で警視庁の庁舎に出向く。

 エントランスで出迎えてくれた葵は、こちらの顔を見ると顔をしかめた。


「……享一、あなたちゃんと寝てる?ひどい顔色よ」


 俺も今までの被害者の例に漏れず、体調不良として表に出てしまっているらしい


「手伝わせといてこういうのもなんだけど、そんなに根を詰めないでいいのよ?調査してる人間が倒れたら本末転倒でしょ」


「ああ、大丈夫だ。そうは見えないと思うが、俺はいたって健康、何よりやる気に満ち溢れてるよ。で、今回調べさせてほしいのは」


「近辺で起こった事件、または行方不明者でしょ?享一が大丈夫って言うならこれ以上は言わないけど、倒れるのだけは勘弁してね」


 葵は心配そうにそういうと、エレベーターへ向かって歩き始める。

 彼女が所属している「超常犯罪対策課」は警察組織内でも秘匿された部署になる。なので警察内での葵の肩書きは「資料管理課」であり、左遷された人間の行く末と噂されている部署だ。周りからは「資料番」などと揶揄され、経費の無駄、無能の集まりと陰口をたたかれるほどである。


 実際のところは、怪異の存在を知っている、ごく一部の警察官で構成された怪異による事件を専門に扱う特別部署なのだが、どうやら庁内では肩身の狭い思いをしているようだ。そのような現状と、扱う案件の危険度が高いためか、あまり人がいつかない部署でもあるらしい。


 そのままエレベーターへ乗り込み、地下2階のボタンを押す。建前とはいえ、資料室の管理業務は実際に行っているため部署は地下にある。おかげで過去の捜査資料なども引っ張りやすいのは助かっているが、それを協力者とはいえ部外者の俺に見せてもいいのだろうか?


「それで、大体どれくらい前までの範囲で調べたいの?あまり遡ると時間がかかるから、絞ってくれないと付き合えないわよ」


 俺もその点はぬかりなく、今回調べたいことは絞ってまとめてきた。ポケットから手帳を取り出しメモを見せる。


「そうだな、範囲は大体練馬区のこのあたりだ。時期は……直近から1年位前まででいいかな。まあどれだけあたるかによってその辺は変わると思う」


「ふーん、そのあたった事件が今回の件にもかかわってくるって?」


 葵は手帳に一通り目を通してこちらに渡してた。


「恐らくな。どういったモノが起こしているかはまだ調べてる途中だからなんとも言えないが、今のところ一番有力なのは過去の事件の悪霊かその類だとふんでるよ」


「なるほど、“再現型”か“道連れ型”ね。でもそれだとして、何がスイッチになって被害が出ているの?こっちの調査じゃ被害者同士全員が合致するような条件は、住んでいる場所が同じ区であることと性別くらいしかなかったのだけど」


「そうか、これといって進展はない、か。ならやはり今わかっていることそのものを鍵とするしかないな」


 警察の入念な調査でも浮かび上がらなかったということは、もっと普遍的な何かか、完全な無差別かだ。普遍的な何かは見つけるのが困難、無差別は理解そのものができないときたら別のアプローチが必要だろう。


「ああ、それと、今回の件では被害の件数が少ないから恐らく違うと思うけど、被害者の年齢が20代前半から30代後半でまとまってるわ。範囲が広いから条件としてかなり弱いけど、一応ね」


 それが条件の一部というならちょうど俺も当てはまっている。だが普通怪異は年齢などを基準にする場合きっちり同じ歳を狙う。これではあまりにもお粗末過ぎる。


「そうだな、一応気には留めておくよ」


 話しながら「資料管理課」とプレートがついた部屋の前に到着する。葵はそのままドアノブを回し、扉を開ける。中からはほこりっぽさと紙とインクが混ざった独特な匂いがあふれる。


 部屋の中は、入ったところに複数のデスクやコピー機などの事務機器などの作業用スペースがあり、あとは棚とダンボールとファイルしかない殺風景な部屋だ。奥に続く扉もあり、扉の上には資料室と書かれたプレートが張られている。


「最近の練馬区周辺の事件ね、少し待ってちょうだい。あ、そこの棚にコーヒーがあるから入れといて」


 俺が資料を触るわけにもいかないので、葵が指を刺した先にある棚をあさり、インスタントコーヒーを見つける。それを置かれていたカップに適量突っ込んで備え付けのポットからお湯を汲みいれ、資料が来るのを待つ。


 隣にはコーヒーミルとサイフォンが置かれていたが、誰か凝り性な人物でもいるのだろうか。近くにおいてあった砂糖とクリームを拝借し、適当な椅子に腰掛けながら暇をあかしていると、葵が資料を束にして運んできた。


「ここ一年で報告されてる分は大体これくらいね。で、ここからどうするの?まさか総当りで調べる時間なんて私にはないわよ」


「いや、この中で被害者が死んだ、または行方不明になった事件だけピックアップする。加害者は人でも怪異でもだ、ただ明確な殺意や害意を持ってるやつで頼む。ああ、あと現在行方不明で捜索依頼を出されてる分もお願いしたい」


 この怪異が読み通り呪いだというのなら、そこにはそうなってしまった人間が不可欠だ。それを洗い出し、何に対してこの妄執を残しているのかを特定しなければならない。


「まあ時間一杯は手伝うわよ。じゃあ私はこっちの資料を見るからそっちお願いね」


 葵はそういうと、資料を半分取り、ファイルを開いていく。電子化している資料もあるが、そちらだと閲覧履歴が残ってしまうらしく部外者相手には見せられないのだという。

 俺もそれに習ってファイルを開いていく。とりあえずは見えることからつぶしていこう。




 3時間後、資料室内にある2年間の事件記録を見たが、それらしい物はあっても確信を持てるものはなく、どうやら今回は空振りに終わったようだ。


「そろそろ私も仕事に戻らないといけないから、今日のところはここまでね。まあこっちでも知り合いの所轄に声をかけとくわ」


「すまんがよろしく頼む。俺も自分でできる範囲であたってみるよ。今回は助かった」


 一応ピックアップしていた資料をメモしておき、荷物をまとめる。3時間の内に戻ってきた課員はちらほらいたが、皆忙しそうにしていた。

 俺も頼んでおいた調査がもう終わったと一部から連絡が入っていた。後は話を聞いてまわってまとめてから行動しよう。


「こっちが頼んでるんだから当たり前よ、まあがんばり過ぎない程度によろしくね。あと、何かあったんならちゃんと相談すること。享一は隠してるつもりでしょうけど、筒抜けなんだから」


 葵はあきれるように、だが許すように笑って部屋から出る俺を見送る。


「……似たようなことを了にもいわれたよ。まあ善処するとしかいえないな」


「げえ、あのインチキ王子と同じっていうのはいただけないわね。とりあえず、わかってくれたらそれでいいわ。じゃ、さっさと終わらせるのに私も頑張るから享一も無理はしないでね」


 その声に手を上げて答えつつ、俺はその場を後にした。

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