【参】
その日、夢を見た。
俺は暗闇の中で目を覚ます。いや、最初から覚めていたのかもしれない。
その暗闇はひどく深く、前後どころか、自分が倒れ付している目の前の地面がどういったものなのかもわからないほどだ。
ただひたすらにこみ上げてくる恐怖と絶望が、この場から逃げなくては、という警鐘を頭の中で鳴らしている。
だが手足は使えない。はじめからそうであるように俺は幼虫のように体をうねらせて必死に這い進む。
どれだけそうしていただろうか、数時間にも、数分にも感じられる時間の中、どれくらい先に進んでいるかもわからないまま逃げ続ける。
そこに、ふと影が落ちた。周りは認識できないほどの闇だというのに、何故かその影ははっきりとわかった。
頭の警鐘がよりひどくなる。逃げなければ、コレにつかまったら終わる。そう思っても、体は思うように動かない。
そして、その巨大な影がこちらに手を伸ばし――
そこで俺はベッドから飛び起きた。
額には汗が流れ、着ている服も冬だというのにべったりと汗で張り付いている。そのとき、今日電話越しに聞いた彼女の警告を思い出す。
『向こうはもうあなたを見つけている』
俺はあわてて時計を確認すると、ちょうど午前五時をさしていた。
これは勘違いでもなんでもないのだろう。彼女の言うように、次の犠牲者は決まってしまったようだ。
正直俄かには信じることができないでいた。このままでは自身が殺されるという事実も遠い話のようだったが、今さっき見たものは夢というにはあまりにもあまりにリアルすぎる感覚がある。
残された時間は約1週間、早ければ5日ほどで死が待ち受けている。今までも自分が窮地に陥ることは何度かあったが、明確に死を宣告されたことは初めてだ。
今まではこうならないようにできる限り危険は避けてきたが、その当事者となりもうなりふり構っていられなくなった。できる全てを使ってこの怪異を解決してみせる。いや、しなければ先がない。
「くそっ、なんとしてもその名、明かしてやるよ」
俺はそうつぶやくことで自分を奮い立たせ、ソファを後にした。
もろもろの手回しと、準備を済ませた夕方ごろ、いつもより遅くコレットが来た。
「うぃー、探偵さん!お土産持ってきましたよ!」
俺はちょうど通話の終わった電話を切り、事務所の入り口を見ると、コレットが上機嫌にお土産らしきものを振り回している。
コイツはどういうテンションで入ってくるんだ、あと人に渡すものを振り回すんじゃありません。
「おう、コレット、今日は珍しく遅かったな。悪いが俺は今から出るぞ」
俺は手早く着替えると、鞄を取り出口に向かう。
「え、こんな時間に出るんですか?」
「少し知り合いを回ってくる、誰かきたら電話をくれ、あとお前も早く帰れよ!」
「ちょっと探偵さ――」
コレットに鍵は握られてしまっているので、わざわざ追い出したりはしない。そのまま入れ違いで俺は事務所を出た。
なにか言いたいようだったが、今はあまり余裕がない。謝りがてら次回ちゃんと聞いてやろう。
とりあえずは近場から攻めよう、まずは了に協力を頼み込むしかないな。あまり気は進まないが。
コレットを事務所に残し、資料をつめた鞄を抱え俺は駅へ急いだ。
ついたのは新宿区、ネオンの光が強い商店街からひとつ道をそれた先、暗い路地に占い屋「ソロモン」はある。
店の扉を引くと、地下へ伸びる階段があり、その先に椅子とまた扉。扉には「お呼びするまでお待ちください」の文字がある。
俺が扉の前へたつと同時に、中から聞きなれた声がした。
「どうぞ、お入りください」
言い終わるのを待って扉を開けた。中は薄暗く、さまざまな小物やオブジェで飾り付けられている。中には何語かわからない本や、動物の骨のようなものまであるが、俺はこれらを彼が使っているところを見たことはない。
彼はいつもどおり中央のテーブルに座り、こちらを涼しげな顔で眺めていた。
「やあ、享がここにくるのは珍しいね。いったいどういう風の吹き回しだい?」
「わかってるのに聞くのは性格が悪いぞ、ダンタリオン」
「おいおい、源氏名なんかで呼ぶなよ。僕と君の仲だろ?」
ここは俺の腐れ縁で幼馴染の猿喰 了が「ダンタリオン」として占い家業を行ってる店だ。
了はこの物であふれた狭苦しい部屋にこもって、完全紹介制の占い屋を営んでいる。
客はこの店の発行しているカードをこの店を知っている第三者から貰ってはじめてここに来ることができる。そしてその客はまた別の誰かにそのカードを渡すことになるそうだ。
そんな回りくどい営業をしているにもかかわらず、彼の占いは非常に当たると評判で、一般客どころか政財界などにも彼の店を利用したという人間は多い。
いつしかこの店のカードは裏で高値で取引を持ちかけられるまでになっているらしいが、残念ながら俺はそのカードを貰ったことがないため金策としては使えない。
「最近忙しいのに悪いな、こっちも時間がなくてな。突然で悪いが、力を貸して欲しいんだ」
了の正面にある椅子に腰掛け、向かい合う。室内に入れば時計や窓などは何ひとつなく、時間間隔が失われていく。
その上この部屋には動くものが了以外一切なく、部屋にある物も意味のわからないものしかない。嫌が応にも“会話”を引き出すつくりになっていた。
「わかってるさ、享が今どういう状況に置かれているかくらいわね。でも、どうして一番初めに僕を頼らないんだい。親友だろ?」
「それもわかってるのに聞くな。
そういうと正面に座る了が、くっくっく、と息を殺して笑った。
「ああ、そうだね。享はそういう奴だ、わかってるさ。まあだからこそ享の口から聞いておきたかったってのもあるけどね。で、あれだろ?僕には君のメモに書いてある地域の“人間が関わっていない”事件を調べろってことだろう?」
「……そのとおりだよ。で、受けてくれるか?」
「君はそれも?」
「ああ、それもわかってる」
そんな馬鹿げたやり取りをしつつ、俺は笑みをこぼしながらメモを机に置いた。
「享に時間がないのはわかってるけどさ、このままさようならは味気ないんじゃないかい?お茶くらいなら入れるよ?」
「お前の入れた茶なんか飲みたかねえよ。それに、わかってるなら動く前に呼び止めるんじゃねえ」
そういいながら席を立つ。こいつは開き直ってから以前より厄介になったと思うが、親友の了であることに変わりはないため、こんなやり取りでも楽しく感じてしまう。
「これは手厳しいね。あ、そうそう、今回の報酬だけどまた今度京都に用があるんだ、それを手伝ってくれないかな」
「ゲッ、お前それを今言うか……」
「今だから言うんだよ。そうじゃないと享は京都なんて行ってすらくれないだろう?」
そのとおりだ、あんなところ行きたくもない。特に奈良の一件から京都近郊に行くだけで居心地が悪くなるほどだ。
「そのとおりだよ。お前は全部わかって聞いてくるのが
「さすが享、そういってくれると思ってたよ。じゃあこの件が片付いたらまたあのバーで話すよ。あと最後に、これはおせっかいだけど、僕が思ったことは僕以外も感じていると思うよ」
「ん?ああ、わかった、俺の大手柄楽しみにしといてくれ」
最後に了はわけのわからないことを言っていた、なぞなぞのような曖昧さだが、意味がないことではないのだろう。
俺はそう返すと、扉に手をかけ部屋を出る。そのまま階段を上りきり店を出ると、外は雨が降ってきていた。
またタクシーを拾い、警察署に向かう。そこで葵にも話を通そうと思ったが、どうやらいないようだった。
アポイントメントも取らずにいきなり押し掛けた俺の落ち度であるため、明日出直すことを告げる。
葵に連絡も入れておき、今日のところは引き上げることにした。
事務所に戻ってきた頃には22時を過ぎていた。
さすがにコレットも帰ったろうと事務所のある雑居ビルを見上げると、2階の窓に明かりがともっている。
「あいつ、こんな時間までなにやってんだ?」
思わず独り言をもらすと、俺は一足飛びに階段を上り、事務所へ入る。
そこには俺が出るときにそのままにしてきた資料と、メモ書きを並べてソファに座り込むコレットの姿があった。
「お前、迎えはどうしたんだ?いつもはこんな時間までいないだろ」
「帰ってもらいました」
コレットはそう言って、ぷいっと顔をそむけた。
「は?いや、お前。いつ帰るんだよ」
「今日は泊まります」
ええ、なんで?明日この近辺でイベントとかあったか?
「いや、そんなのお前の親が許すわけないだろ。それに送り迎えしてくれてる爺さんはどうやって説得したんだ」
「お母さんと爺は私の味方ですから、多数決でお父さんの意見は却下されるんです。だから平気です」
父親の不憫さが計り知れる悲しい一言である。
「どうしてそこまでしてここに泊まるんだ。明日何かあるのか?友達の家とか――」
「探偵さん、私に何か隠し事してますよね?」
俺の台詞を遮ってコレットが言う。いつもと違うコレットの様子に、俺は一瞬言葉を失った。
「い、いや、隠し事なんかじゃない。いつも通り俺の仕事についてこられると困るから言ってないだけで別にそういうのじゃ――」
「じゃあ、いつも通り私がついて行ってもいいですよね?」
コレットが本当は何を言おうとしているのかはわかっている。だがこれにどこまで人を巻き込んでいいのかなど誰もわからない。
現に口寄せで被害者に繋がろうとするだけで縁を持ってしまうような怪異だ。できるだけ関わらせないほうがいい。
「それが嫌で言わなかったって言ったろ。ダメだ、今回は留守番しとけ」
「おかしいです。いつもの探偵さんなら誰にも頼ろうとしませんから」
「それは、今回の仕事は時間がなくてだな、スピード重視というかなんというか」
俺の言い訳も苦しくなってきた。本当のことを言うと絶対にこいつは首を突っ込んでくる。それだけは阻止しないと。
「いい、わかった。お前がここに泊まるのは認める!俺はもう何も聞かない。だからお前も何も聞くな。いいな」
「よくないですよ!」
「いいんだ。これは俺の仕事だ、本来子供のお前が関わっていいモノじゃない。今まではなあなあで許してきたが、今回はそうじゃない。賢いお前ならわかるな?」
「知りません。隠し事されてわかるわけないじゃないですか」
コレットはふくれっ面で床を見つめる。俺はその頭をわしわしと撫で付けた。
「わからないでもいい、ただできないこともあることを理解してほしいだけだ」
その後、コレットとは事務的な会話しかなくなっていた。
簡単に食事を済ませ、今日得た情報をまとめる作業と明日の準備をしていると時間は24時を過ぎていた。
コレットはあれ以降、こちらを詮索することはなかったがいつものような姦しさもなく、無言で何も教えない俺へ抗議しているようだった。
泊まるといってもこの事務所兼自宅は来客用の部屋や寝具はない。よって、俺はコレットにベッドを譲り、今日のところはソファで寝ることにする。
寝るとまたあの夢を見ると思うと憂鬱だが、少しでも体力を回復しておかないともちそうもない。
ソファに寝転がり、少し薄めの毛布といつものコートを重ねてかける。さすがに12月になるとかなり冷え込むので、体調にだけは注意したい。
「探偵さん、起きてますか?」
「寝てる、お前も早く寝ろ」
「起きてるじゃないですか。どうです?教えてくれる気にはなりました?」
俺はその言葉に押し黙る。なんと言われようと、どう懇願されようと無理なものは無理だ。
「はぁ、わかりました。もういいです」
そう短く返事をすると、俺は目を閉じる。まだ眠ってもいないが、今朝見た夢が瞼の裏にちらつく。
恐らく、この夢自体もその怪異が見せているものなのだから解決の糸口なのだろう。次はもっとよく観察できるように意識しなければならない。
そう考えながらも、一日の疲れが出たためかいつの間にか眠りに落ちていた。
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