第23話 会敵、開戦、怪事変

「まったく・・・なによアイツは!?」

 関所から数町も歩を進めたにもかかわらず、権兵衛は相変わらずプリプリと苛立たし気に何度目か分からぬ愚痴を吐いた。

「旦那・・・もういいじゃありませんか。悪い夢と思って忘れましょうよ」

「出来ぬ!!」

「そんな・・・」

 童みたいな、という言葉を弥吉は辛うじて飲み込む。大層な権幕で語気荒くそう言うものの、昨日のようにあからさまな殺気は出していない。そのことから道理があちら側に在ること自体は理解しているようだから、

(つまりは、八つ当たりですかね)

 そう、弥吉はアタリを付けていたが、恐らく正解のようだ。

「それに・・・お主もお主よ、祥直。何故にああも急いで!」

 その剣幕に、井上は困ったように微笑む。

「そう言われましても。彼の侍の主家である伊豆守様とは大層知恵の働く御方で、嘗ての大猷院様や春日局様の信頼も御厚き御方。・・・拙者の様な小普請組では、目を付けられるだけでお家の一大事ですので・・・」

 その言葉に、権兵衛は大きく眼を引ん剝いて、

「ふん!たかが一家臣程度の讒言で動くような奴が老中とは!」

 世も末だ、と吐き捨てた。

「そう言われますが、権兵衛殿のような特別な才がおありの方ならいざ知らず、某のような武士にとってはそれが大事なのです。どうぞ、ご理解を」

「旦那・・・誰も旦那みたく振る舞える訳じゃ無いんですよ」

「・・・弥吉、それは褒めているのでしょう、ね?」

 ジトリと訝しむような目でそう問う主に対して、弥吉はあからさまに目線を逸らし「勿論でさあ」と言葉だけはハッキリとそう答えた。

「そう・・・・・ま、そういうことにしておきましょう。・・・・・・ただし、詳しくは後でね」

 最後に付け加えられた囁きに背筋に冷たいものが走った弥吉は兎も角と置いておき、権兵衛は前を歩く井上へと声をかける。

「そう言えば井上殿。ものの流れではありましたが、予定では関までのご同行と聞いておりましたが・・・付いて来て宜しかったので?」

 少し頭を冷やせたか、先程のより言葉を随分と改めた言い回しに井上は少しギョッとしつつ、

「ま、まあ・・・あの人が止めなかったんだから、いいんじゃないでしょうか」

 そう、相変わらず人の好さそうな調子で嘯いた。

「いや、法度はそうかもしれないけれど、ねえ・・・」

 今度は、権兵衛が心配そうな声音で呟いた。

 そもこの案件はあの南光坊天海よりのお達しだ。何もない筈が無い、と初めから疑ってかかっている権兵衛たちからすれば、井上のそれは余りにも楽観視し過ぎのようにしか見えない。距離的には長坂の辺り、甲府の町まではまだ幾里もあろうか。だのにいつしか、ジーワジーワと喧しかった蝉の声もピタリと止んでおり、気のせいかどことなく肌寒くなったようにも感じる。

「ねえ・・・弥吉?」

「ええ。これは・・・いけませんなあ」

 これは、と振り返り弥介の顔を見れば、権兵衛と同じような渋面である。

 弥吉も異才は無い身とは言え、信州の山生まれの山育ち。加えて権兵衛に従い少なくない事態へ巻き込まれた身だ。少なくとも、この状況が『おかしい』ことは肌で理解していた。

「あれ!?」

 が、そんな空気感は井上の素っ頓狂な声で掻き消された。自分たちをさておき井上はずんずんと先を行ってしまっていたようで、その声は数町先から聞こえた。まさか富士山麓はもとより甲府まではまだ遠い、こんな所で出くわすとは思っていなかった。

「とは、言い訳か!」

 そんな油断に、権兵衛たちは思わず臍を噛む。

「主ら、こんなところで屯して如何する?早う道を開けぬか」

「旦那、あれ!?」

「拙い!」

 漸く目に入った内藤の前には、何やら数名の百姓と思しき影が屯しており、内藤はそれを咎めているようだ。旗本としては当然の振る舞い、であるが魔斬士である権兵衛の目にはその百姓から漂う、靄の様な常ならざるモノが見て取れた。

「旦那!」

 阿吽の呼吸、とはこういう事だろうか。弥吉が手にしていた権兵衛の愛槍を投げるように放ると彼女はそれを見ずにしてはっしと受け取った。受け渡しに一切の速さを殺すことなく、槍を受け取った権兵衛は更に速度を速め、飛ぶように走る。

「これ、これ・・・なんじゃ、お前らは?」

 ようやっと内藤もその様子のおかしいことに気付いたようだが、

(間に合わぬ)

 そう判断した権兵衛は手にしている槍を小脇に抱えると、腰から脇差の1本を鞘ごと引き抜く。

「南無三!」

そして、それを刀身が鞘から抜けぬような軌道で、井上へと放り投げた。日頃の行いのお陰だろう、幸いにもそれは狙い過たず、鞘ごと井上の後頭部へと直撃した。

「あ痛!」

 それは、どちらへの感想だったか。脇差が当たったのとほぼ同時に、百姓が投じた礫が内藤の顔をしたたかに打ったのだ。しかし寸でぶつかった脇差に頭を押されたのが功を奏した。本来なら鼻柱へと叩きつけられたであろうそれは少しずれ、内藤の額へとぶつかるに留まった。

「良し、生きてる!」

 その勢いに今度はのぞけり蹈鞴を踏む内藤の襟首を、漸くに追いついた権兵衛はひっ掴むとそのまま後ろへと引き摺り投げた。

「旦那、前!」

 と、まさにその時である。権兵衛の目の前では大きく振り上げられた鍬が振り下ろされようとしていた。仲間が仕留め損ねた獲物への止めのつもりか、はたまた、邪魔をした権兵衛を先に仕留めようとする魂胆か。

 どちらにせよ、彼女の命運は風前の灯だ。

「く!?」

 是非も無い。権兵衛は無理くり身を捩るとその左肩鎧でその一撃を受け止める。百姓の攻撃とは言え、鉄製の鍬を振り下ろすという単純な攻撃には工夫も修練も必要無い。ガンと強烈な衝撃が彼女の肩から全身を貫くと共に、陣羽織に縫い付けられた鈴が一斉に、リンリンと悲鳴のように鳴り響いた。

「旦那あ!?」

「大丈夫、問題は無い!それより!」

「こっちも大丈夫でさあ。額を切った位で命に別状はありません!ただ、血は凄えです」

 そうか、と権兵衛がホッと胸を撫で下ろす。念のため左肩をぐるりと回すが、こちらも痛いだけで動かすことに支障は無い。

「弥吉!行李を置いて、そいつを連れて退がりなさい!ここからは一先ず、私一人で行くとしましょう」

「っ!?旦那、それは―」

 悲鳴にも似た声を出す弥吉の言葉へ差し込むように、権兵衛は己の従者へ命を下す。

「早く!小普請組だろうが権現様の家臣には違いないの。こんなところで死なせたとあれば、国も沙汰無しとはいかなくなる!それまでここは―」

 ギンと目力強く睨みつければ、その百姓らも怖気たように身を震わす。

「私、仙石権兵衛が時を稼ぐ!」


「・・・よし」

 背中から聞こえる走り去る足音、その素早さに権兵衛は己の従者の有能さを再確認する。響く足音から2人分の重さであることは疑い無く、まさかこの一瞬で目方が倍となった訳では無いだろうから井上を担いで行ったのだろうとあたりを付けた権兵衛はそこで初めて少し肩の力を抜いた。

 取り敢えず、他人の心配をする必要は無くなった。

「では・・・と」

 そう言って彼女が睥睨するのは、先より敵対の意図を明らかとする百姓5人ばかり。見るに、鍬や竹槍で武装した者が3名、先ほど礫を見舞ってきた者を含めて手ぶらの者が2名と見える。室町乱世の御世なら兎も角、慶安の時代に一揆以外で武家に百姓が立ち塞がるなぞあり得べからざる事態である。

 だが、そんな事態にもかかわらず、権兵衛の心は冷静なままだ。

「さて・・・下郎共、申し開きは有るや否や?」

 トンと石突で軽く地面を叩きつつ、武士らしい口調へあらためて一応問いかけてみたが、当然に応答は無い。それどころか、のたりのたりとした動きで権兵衛を包囲するその百姓たちの目には、些かの光も見受けられない。

「・・・・・・さて」

 試しにとばかりに、権兵衛は足元にあった小石を蹴り当ててみる。と、なんとしたことか、その小石は当たること無く百姓の体を透過してコツンと地面へ落着したではないか。

 しかし、やはり権兵衛は動じる様子も無く、それどころか「ふん」と、忌々しいとばかりに鼻を鳴らした。

「やはり、当たって欲しく無い予想ほど、当たるものね。まったく」

 対して、それを囲う百姓たちはじわりじわり、と彼女への距離を縮めつつあった。癖なのか何なのか、権兵衛が陣羽織を左手で引っ張るせいでリンリンと縫い付けられた鈴が場違いなほどに鳴り響く。

「まあ・・・でも」

 そして、あと数歩で百姓の持つ武器の間合いへ入ると思われた、次の瞬間である。

「幽鬼相手なら、容赦は要らぬ、な!」

 権兵衛は手に持つ槍を瞬時に構え直すと、長柄の武器を持つ3人の内最も遠い1人へ、その穂先を突き入れた。

「一つ!」

 すると此度は透過すること無く、刃はずぶずぶと喉元へと食い込むとその傷口からは黒い靄のようなものがもうもうと噴き出す。

「二つ!」

 しかし、権兵衛は動じる事無く、突き刺さった穂先を薙刀のように横薙ぎに振り払う。すると、その軌跡の先にいた百姓の首元へそのまま吸い寄せられる。剃刀のように鋭く研がれた刃を持つ大身槍の穂先だ、防具のない素肌の首筋で抗堪することなど出来ようはずも無し、グルンと回るように振るわれたその刃は残り2人の首をも刎ね飛ばしていた。

「そして、3つめ、と」

 結果、眼も回さずに先程と同じように立つ、息すら乱れぬ権兵衛の周りには首の無い百姓の死骸が3人分、首を無くして転がっていた。そしてそんな彼女の前に、立ち竦むしかない残り2人。人間ならば命乞いをしたり逃げ出したりするのだろうが、定命の者ですらない彼らにそんな行動の自由は与えられていない。

 しかし、だからと言って敵対した彼らを、百戦錬磨の権兵衛が見逃すはずも無い。

「ま、運が無かったと諦めることね」

 まるで他人事のような死刑宣告を受けた彼らがどうなったのかは、まあ、語るまでも無いだろう。


「・・・どうか」

「うむ。北北東、違い無し。定かよ」

「さらば、甲府以北と。よくもまあ飛んだもの」

「繰り言よ。あの大音声、大爆発。致し方あるまい」

「であるな。では・・・」

「うむ。迎えに行かん、皆々で!」

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慶安事変異聞録 駒井 ウヤマ @mitunari40

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