第22話 入るは虎口か大江山か

 次の日、弥吉と権兵衛は諏訪から甲斐へと通じる街道を進んでいた。昨日と同じく主人たる権兵衛が先頭を歩き。されど昨日とは異なり、弥吉の隣には一人の同行者がいた。

「良き空模様ににて、どうやら甲斐の国境までは裏崩れも無い模様」

「ほんとに。浅間山も最近はめっきり大人しくて」

 権兵衛と弥吉の主従2人きりだと昨日の様な事態が起こらないとも限らない、と懸念されたのだろうか。旗本の1人、井上祥直いのうえただみちが同行を買って出た。昨日権兵衛が頭を下げさせた旗本の列にはいなかった男で、何でも彼らの中では唯一の小普請組(他の侍は皆寄合旗本)だったので宿で居残りを命じられたらしい。

 もっとも、そのお陰で権兵衛の癇癪から逃れられたのだから、少なくとも運の良い男なのは間違い無いが。

「しかし、これほど目立つお人を無視するなんて、まったく石高ばかり高くても見る目の無いことで」

「まったくで。若し貴方が居てくれれば、あっしもあんな冷や汗をかくことは無かったんですがねえ」

 井上は大変に人の好い男で、同行の士にあんなことがあったにもかかわらず気にした風も無い。それどころか含むところでもあるのだろう、言葉の節々に毒を混ぜながらニコニコした顔で弥吉と話の花を咲かせている。年の頃は権兵衛たちよりも大分年上だろうに、上段ぶったところは微塵も無い。青白い気味の肌色と面長い顔立ちとくればどこか怜悧な印象となろうが、その人好きのする目鼻立ちがそういったものを那辺の彼方へと吹き飛ばしていた。

 しかし、それは同時に芝居がかった、云わば作られた雰囲気であることも確かだ。それが他に何か裏があるのか、それとも単なる小身の小普請組故の処世術か、現段階では権兵衛は測り損ねていた。

「そう言えば御役目殿。聞いた話では貴殿が猶子となり、斬魔尉の御役目を継いだとか?」

 不意に、前を歩いていた権兵衛へと井上は話題を振った。

「え?・・・そ、そうよ。残念ながら、宗家の跡取り含めその子女に才が無かったらしく。仕方なく、ね」

 雑談には我関せずのような顔をして歩いていた権兵衛だったが、その耳自体は油断することなく傾けられていた。そのため、少しの動揺めいた行間はあれど直ぐに返事を為した。

「元和より後、後継ぎがどうとか嫡子がどうとかが法度で定められる前は、それこそ一門衆から目ぼしい才ある男子を見繕っていたらしいわ。恐れ多くも権現様の定めとは言え、ままならぬものね」

「ああ、ではその『仙石権兵衛』と言うのも」

「そう、世襲。聞けば、中興の祖の越前守様も四男であったから他家に養子に出されたけれど、その才故に連れ戻されたとか」

 そして、その結果が改易の末に返り咲き、果ては関東一の斬魔尉の家柄になるとは。正に、塞翁万事ではないが縁がどうなるかはやってみないと分からないものだ。

「何とも何とも・・・しかし驚きましたな。まさか寝物語に聞いた頼光の如き、悪霊幽鬼を屠る一族などが存在していようとは」

 感心するように井上は何度もうんうんと頷くと、歩調を速めて権兵衛の横へと付いた。

「正直を申せばこの饗応を申しつけられた折、誰かの悪戯かと勘繰った次第にて。して・・・斯様な家柄は他にも?」

「ええ。上古とは違い、数える程ではあるけれど、ね。専ら今はそういった輩の相手は陰陽の術士で大方は事足りるから」

 元々、斬魔尉という官職自体が令外官だ。それも名目だけの官職で無し、綱や頼光が如き才人を家系として繋いでいく必要があるとあれば、耐えて無いのが不思議なくらいだ。

「讃岐の十河は絶えて亡く、水戸の芹沢は家名を残すばかり。今も力を持って残っているのは当家や高名な渡辺一族を除けば・・・そうね、北辺の蛎崎に周防の神代くらいなもの。勿論、細々とした手練れは残っているかもしれないけれど・・・」

「・・・旦那」

 こっそりと、井上へ気付かれぬくらい小さな声で弥介が注進する。権兵衛も「先刻承知」と軽く手を振ってそれに応えたが、主は調子に乗せられやすい気質だ。それを十二分に理解している弥吉は、それでもじっと後ろから2人の会話を注意して眺めることにした。

「弘前の蛎崎家は、今は松前などと鹿爪らしい名前になっとるそうですよ」

 井上はそれに気付いてか気付かぬか、相変わらず人の好い笑顔のままである。

「良くご存じね」

「それはもう。某のような500石取り程度の小普請組は、良く人を見なければやってゆけませんから。・・・しかしその装束。御噂の通りですなあ」

「そう?」

 そう言って権兵衛が身を捩らすと、途端にリン、リンと軽やかな鈴の音が幾重にも響き渡る。今日はいよいよ甲斐の国境を越えるとあって権兵衛は具足を着用し、左腰には大肩鎧。加えて両腰には脇差を2本ずつ差して槍を1筋肩に担ぎ、おまけに鈴鳴り響く陣羽織着用という完全なる戦支度を整えての進行だ。

 ただでさえ大阪の役が終わってからは鎧武者など見る機会が無く、島原の役は遠すぎる。道で行き交う人すべてがぎょっとした顔で通り過ぎていくのも無理のない話だろう。

「その鈴が、霊を鎮めるための、調伏の為に使われる御道具なのですか?」

「伏魔退魔なんて恐れ多い。そもそも言ったでしょう、斬魔尉は術士じゃあ、無い。霊を鎮めるなんて、器用な真似は出来やしない。私に出来るのは」

 チャキリ、と鯉口を鳴らして、

「コレや槍で幽霊やら取り付かれた人間ごとずんばらり、とするだけよ」

「へえ、色々類別があるもんなんですねぇ・・・・・・っと、もう直ぐそこが甲斐との境の関です。某が話をしてきますから、御役目殿はこのまま、ゆるりとお進みください」

 そう言って、井上はタッと駆け出して行く。はぐらかしたようなはぐらかされたような不思議な気分に、権兵衛は「ふん」と鼻から憮然と息を吐いた。すると、そんな主の心境を知ってか知らずか、弥吉が安堵の表情で近づいて来る。

「どうしたの?」

「いえいえ。・・・巧く誤魔化した、と思いやしてね」

「だと、良いけれど。それにしても・・・ひどく仰々しい警備じゃないこと?」

「ですねえ。さっきからいやに多くの人とすれ違うかとかと思えば、ああやって通れなくて帰って行く人のせいですか」

 そもそも、国境の関所と言うものは警備が厳重なものではある。が、その関所の様子は聊か常軌を逸していた。完全武装の足軽が両側に10名弱ずつ控えており、その上鎧姿の侍が床几に腰かけ、百姓だろうと来る者全てにキッと目を凝らしている。これでは如何に通行証のある者であっても引き返さざるを得ないだろう。

「まあ、あっしらは大丈夫でやしょう」

「でしょうね。彼もそれくらいは出来るのでしょう」

 幸いなことに、権兵衛らには井上が居る。いくら彼自身が下卑する小普請組とはいえ、正式な饗応役であることに異論は無い。きっと彼が話を付けてくれるのだろうと高を括っていたところ、豈図らんや。何やらごしょごしょと話したかと思えばその侍はスックと立ち上がり、無言で手をさも「急いでこちらへ」と言わんばかりに振り出した。

 一瞬、ぎょっとした顔で互いを見合わせた弥吉と権兵衛であったが何とも深刻そうなその侍の表情に言い知れぬ凄みを感じた2人は歩調を速め、足早に関の元へと辿り着く。

「どうしたの?ゆるりと、と言ったじゃない」

「そうでしたが、申し訳ない。何せ某が聞いていた話とは―」

「仙石殿」

 井上の謝罪を遮ったその言葉は、まるで大上段から投げかけるような尊大さだ。

「時間が惜しい。そのようなことは後でしてもらいたい」

 権兵衛がその声を頼りに振り向くと、そこには床几の侍以上に仰々しい鎧を纏った侍が立ち、鹿爪らしく生やした口髭を扱いていた。

「その『後』が無いかもしれないから、今やっているのだけど、ね」

 その人を人とも思わぬ言い様に、権兵衛の機嫌は忽ち急降下した。昨日程ではないが、刀を抜かれてもおかしくないくらいの殺気を滲ませて睨めつける。

「それで気が済んだのなら、急ぎ通られい。拙者も忙しいのだ」

 しかし、その侍は表情を寸とも変えず、変わらぬ尊大な声音で言い放った。それには流石の権兵衛も面食らう。

「・・・アンタ、名前は?」

「内藤玄番綱清、松平伊豆守の家の侍大将だ。此度は、この関の番を上から申し付けられておる」

 しかし、この内藤玄番以外の足軽などの紋は明らかに異なる。そこから判断するに、どうやらこの男1人で乗り込んできて音頭を取っている様子。本来の主従関係で無いにもかかわらず有無なく従わせる、というのは中々出来ることでは無い。

「ふうん・・・お家の威光もあるとは言え、中々やるわね」

「では、気が済んだのなら・・・おや?」

 そこで内藤なる侍大将は何故か小首を傾げた。その視線の先には今まで権兵衛の影に隠れていたのだろう、井上が居るばかりなのだが。

「何故、こんなところに?」

 その急に現れた困惑顔に権兵衛も振り向いてそこに井上の他に誰か居るのかと確認する。が、やはりそこには彼しか居ない。

「・・・おい独活の大木。この井上殿が、何か?」

「・・・井上、だと?」

 権兵衛の悪口雑言も耳に入らぬ様子の内藤が、何やら口を開こうとした、次の瞬間。井上は今までにないくらい強い力で権兵衛の手を引くと、

「そ、それより御役目殿!急ぎ参りましょうぞ!」

 と、ぐいぐいと彼女の手を取って関を越え、甲斐側へと引っ張って行く。

「ちょ、ちょっと!ちょっと待って!」

 落ち着いて!と声を荒げる権兵衛もなんのその。強引に引っ張りながら立ち去る井上と連れ去られる権兵衛、そしてそれを慌てて追いかける弥吉。


 バタバタと通り過ぎて尚、遠くからは「待て待て」「離しなさいよ!」などと吠えたつ声が響く。その先からの光景に足軽たちは皆一様にポカンとしていたが、

「ふう・・・行ったか。では、後は手筈通りに」

 という内藤玄番の言葉に再び一様に我に返った。そして、後れを取り戻さんといそいそと準備を始めた。そんな中、彼に初め井上とやり取りを行っていた侍がおずおずと声をかけた。

「準備、完了しました。しかし、本当に・・・」

 しかし、その組頭からの抗弁はジロリと向けられた冷たい視線に切り払われる。

「・・・何だ?」

「いえ、その、外から閉じて閂までしてしまえば・・・彼の人たちは、どうやって・・・」

「心配は無用ぞ。一両日経てば関は開く。それとも・・・何か?これは松平伊豆守様の命であるに、逆らうと?」

 そう言われてしまえば、彼に出来る抗弁は何も無い。

「い、いえ!失礼しました。おい、閉めろ!」

 号令の元、関所の扉はギギィと音を立てて閉められる。ズンという重々しい響きの後に、手際よく閂や鍵が閉められていく。それを眺めつつ、内藤玄番は他に気付かれぬよう「ふう」と肩を下ろした。

「これで良し、か。しかし・・・」

 扉の向こうを見つめつつ、先と同じように髭を扱く。されど、その鹿爪らしい髭は何故だか、さっきよりも萎れて見えた。

「どうして・・・どうして、こんな所におられるのです、若」

 その独り言は、作業を終えた足軽たちのざわめきに掻き消され、幸運にも誰の耳にも入らず風となって飛び去って行った。

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